|HOME|紀州犬|紀州犬の子供譲ります|  

■横田俊英のホームページ What's New(ホームページ更新最新情報)


【7月の歳時記】  【登山・ハイキング】

自然からのメッセージ (自然から感じることの日記 1月から12カ月までの1年分) (執筆 横田俊英)

霧ヶ峰高原を1日歩き回ると人の心は清涼になる(7月2日撮影 甲斐鐵太郎)


(副題)霧ヶ峰高原をまるまる1日歩き回る散策は人がまるごと自然に身を投げ出すことであり、こうした身体行為は人の心を清涼にする。

(副副題)トーマスモアが空想のように描いた『ユートピア』の世界は人が人間性を保全するための処方箋であった。


(写真は車山の北側に広がる霧ヶ峰高原のレンゲツツジと散策路。(7月2日撮影 甲斐鐵太郎))



(写真は車山の北側に広がる霧ヶ峰高原と鷲ケ峰の遠望のレンゲツツジ。(7月2日撮影 甲斐鐵太郎))


(写真はコロボックルヒュッテのテラス前 霧ヶ峰高原の夏。(7月2日撮影 甲斐鐵太郎))


(下の写真は6月中旬過ぎに咲き始めたニッコウキスゲ。7月中旬過ぎに霧ヶ峰を黄色に染める。)


(タイトル)

霧ヶ峰高原を1日歩き回ると人の心は清涼になる(7月2日撮影 甲斐鐵太郎)

(本文)

 何やかやと処理する仕事があってこれをすませて中央道に向かったのは土曜日の午後5時であった。諏訪湖畔の温泉宿に朝食だけの「半泊まり」で宿泊して代金は入湯税付きで5千円ほど。この地の名物になっている大きな海老(えび)が盛りつけられた塩天丼に千円を奮発して諏訪の地酒で風呂上がりに一杯やって横になる。都会が嫌で仕方ない質(たち、性質)だから逃げるように東京を後にしたのであった。

 夏至(げし)の前後の2ヶ月間は日が長いから家にこもっていてはもったいないということで休日には決まって旅にでる。行き先はいつでも中央道方面であるから私はよほど日の沈む方面が好きなのだ。霧ヶ峰高原の夏は私の遊び場である。それは秋も冬も春も同じであるものの日の長い夏はやはり遊び甲斐がある。

 霧ヶ峰高原の6月中旬から7月の始めにかけてはレンゲツツジが山一面に赤い花を咲かせる。それと入れ替わるようにニッコウキスゲ(日光キスゲ)が黄色い花で高原を覆い尽くす。高原が初夏から盛夏に移行する模様をレンゲツツジの赤と日光キスゲの黄色が象徴的に表現する。これらの花が咲き始めると観光の車が増えて強清水(こわしみず)や車山の肩そして八島湿原の駐車場は待機車が列をなす。

 車山(くるまやま、1925メートル)は頂上に気象レーダーの白いドームがあって霧ヶ峰の象徴となっている。八島湿原から尾根道を登った先には鷲ケ峰(わしがみね、1798メートル)があってこの二つは霧ヶ峰高原をそびえる目立って大きな山だ。この二つの山を結んで草原の高原を1日かけて歩くハイキングコースができている。上り下りの少ない歩行はさほど気張らなくてもよく、絶えずよい景色を見ながら歩くことができるのよい。毎週この霧ヶ峰の高原を全1日を費やして歩行している地元の達者な年配者がいる。この人の真似をしようとすると都会からでかけた者は山歩きの後に温泉でもう一泊して疲労をほぐすとよい。夏は午前4時には明るくなるから5時に諏訪の宿を出発すると9時には始業に間に合う。安い宿を選べば7千円で宿泊できるからこのような方法をとたらいい。

 日本100名山の踏破することに価値を求める山好きには向かないのが霧ヶ峰高原の散策ではある。車山(くるまやま)は、深田久弥(ふかだきゅうや)はその100名山に「霧ヶ峰」をあげておりその最高峰が車山(1925メートル)であるからこの山を登っておけば霧ヶ峰を「征した」ことになる。この山域にはビーナスラインによってつながれた美ヶ原(うつくしがはら、最高峰は王ヶ頭(2034メートル、蓼科山(たてしなさん、2530メートル)、八ヶ岳(やつがたけ、最高峰は赤岳2899メートル)とがあり、これらは100名山に数えられている。私は蓼科山(たてしなさん、たてしなやまという言い方もある)に登り車山に登り美ヶ原に行くことによって1日で100名山の3つに登ることをしたが、こんなのはお遊びであって、数をこなすことには価値はないと思いつつ、3つの山を実地に見聞することに満足した。この山域で少し足を伸ばすと100名山に数えられている甲武信岳(こぶしだけ、2475メートル)、金峰山(きんぷさん、2599メートル)、瑞牆山(むずがきやま、2230メートル)そして大菩薩岳(大菩薩峠、大菩薩嶺、だいぼさつだけ、だいぼさつとうげ、だいぼさつれい、2057メートル)を「踏破」することができる。

 霧ヶ峰高原をまるまる1日歩き回る散策は人がまるごと自然に身を投げ出すことであり、こうした身体行為は人の心を清涼にする。もやもやしていた頭の中の曇りが消えるとか、風呂上がりの水やビールがことのほか旨いということでそのことが確認できるであろう。山から下りると自分のの頭には霞がかかっていたことに気づくことが多い。人の心知らず知らずのうちに倦(う)んでいることが多い。自然のなかに全身全霊を投げ出すように運動することはそれを取り除くための有効な方法になる。人の心は倦んでいるものだ。都市生活はとくに人の心を倦ませる。それは都市にあるもののすべてが人工であるからであると説く人がいて私はこれに同意する。都会からはなれて農村や自然を相手に生活することは人の心を解きほぐす。トーマスモアが空想のように描いた『ユートピア』の世界は人が人間性を保全するための処方箋であった。


 (写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) (書き殴って読み返しておりません。誤字、表現の不適切さなどについてはご容赦を)


【7月の歳時記】     【登山・ハイキング】

自然からのメッセージ (自然から感じることの日記 1月から12カ月までの1年分) (執筆 横田俊英)

TOPへ   |ホーム|に戻る




|HOME|紀州犬|紀州犬の子供譲ります|
|ホーム|に戻る