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自然からのメッセージ (自然から感じることの日記 1月から12カ月までの1年分) (執筆 横田俊英)


○1月4日 自然博物誌 18 霧ヶ峰高原の最高峰、車山山頂と気象レーダードーム (文章と写真は旅行家 甲斐鐵太郎)



○11月23日 自然博物誌 12 陣馬山の小道の紅葉と山頂の青い空 文章と写真 甲斐鐵太郎(旅行家) 


旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 16 霧ヶ峰高原と車山
(副題)車山(標高1,925メート)に45分で登り高原の尾根道を散策する
(新田次郎はビーナスラインがつくられたことで霧ヶ峰が俗化し、また自然が破壊されることをなげき、
霧ヶ峰挽歌として『霧の子孫たち』を書き残したこの文章を残した。)

写真(下)は、左は車山(標高1,925メート)山頂のにぎわい。
右は車山への登山道。ともに夏雲が湧いてきて、高原を空の青と山の緑に加えて白い雲で彩る。7月23日撮影。 




自然博物誌 19 富山県南砺市城端(じょうはな)の城端曳山祭(5月4日撮影) (文章と写真は旅行家 甲斐鐵太郎)


旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 17 黒部第四ダム
(副題)黒部第四ダムの上流の山向こうの大鳶山(おおとんびやま)は越中安政大地震で崩壊、堰き止められた谷の水が流域平野に土石流として流れでて平地を泥の海に変えた

写真(下)は、立山三山の大汝山(3,015メートル)で朝日の昇るのを待つ。日が昇る前の朝焼けのショーは薄い雲があるときに趣がある。昇り始めの太陽は薄い雲のために半熟卵の色となる。太陽はその後この山、鹿島槍ヶ岳の背後に回って室堂の上空に大きな影を映す。羽毛ジャケットを着て午前4時過ぎから1時間半ほどの間の光のショーは晴れていればこそのことで、この日は年に1度あるかないかの晴天(雄山神社の宮司の話)ではるか遠くの山も見えていた。7月18日撮影。 







小舟とポルシェと青空と白い雲、何気ない風景




旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 番外編 bR 小舟とポルシェと青空と白い雲、何気ない風景の背後にあるのは10メートルの大津波(写真は3月26日撮影) 

登山・ハイキング  日本野鳥の会会員 横田俊英 



旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 17 黒部第四ダム(7月17日、18日、19日)
(副題)黒部第四ダムの上流の山向こうの大鳶山(おおとんびやま)は越中安政大地震で崩壊、堰き止められた谷の水が流域平野に土石流として流れでて平地を泥の海に変えた
「甲武信岳登山のすすめ」 「埼玉県の最高峰」甲武信岳(こぶしだけ)に登る(8月15日 執筆 横田俊英)
「上高地散策のすすめ」日本の美しい景色を訪ねる旅には上高地が最高だ(8月2日 執筆横田俊英)
「八ヶ岳登山のすすめ」 いつも麓から見ている赤岳に登る(8月1日 執筆 横田俊英)
7月19日 「富士登山のすすめ」 頑張らず、踏ん張らずに登るのが富士登山のこつである (執筆 横田俊英
7月2日 霧ヶ峰高原をまるまる1日歩き回る散策は人がまるごと自然に身を投げ出す行為は人の心を清涼にする(執筆 甲斐鐵太郎)
春分の日に浮かれて富士山と八ヶ岳と諏訪湖を廻る (3月21日 写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎) 
霧ヶ峰高原の2月22日は標高1,925メートルの車山は雪が少ないので手軽に登ることができる(2月22日 撮影と文書は甲斐鐵太郎)
雪の日に霧ヶ峰高原を散策する (3月11日 写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎)
白い雪の世界は青空を際だたせて気持ちがよい (写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎)
霧ヶ峰や八ヶ岳に足を運ぶと縄文の世界を思い浮かべる (写真と文章は旅行家 甲斐鐵太郎)


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登山・ハイキング  日本野鳥の会会員 横田俊英 
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自然からのメッセージ (自然から感じることの日記 1月から12カ月までの1年分) (執筆 横田俊英)
日本の風景とは何であるかもう少し知りたい(執筆 横田俊英)
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念願のゴアテックス製防寒ヤッケ

 1997/3/6記



 12000円でタラスブルバのゴアテックスヤッケを買った。サイズはLL。ピンク系統なので街着には気がひける。アウトドア遊びの時に使用が限定される。

 定価は29000円で、前年のモデルで定価で売られていたものだ。

  2000/12/9記  



 このゴアテックスヤッケを本格的に着始めたのは2000年秋から。犬の散歩のためにバイクに乗るときに着用する。

 ゴアテックス製品は蒸れがないのが何よりである。値段が高いのが難点だ。

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夏至の日の旅と北アルプスの立山越え


 6月の夏至の日に旅をした。

 日が一番長いので、山登りをするととても楽しいから一年で最上の日であると思っている。富山市に出かけ、立山から黒部湖を経て信濃大町に抜ける旅行をしたのである。季節外れの早い台風が到来したので、富山市に予定外の逗留を余儀なくされた後での北アルプス立山越えであった。

 その前年の秋に同じルートを旅した。この日は室堂に宿を手配していたが、山に雪が来る寒さに里心がついて大町に出てしまった。  

 ずいぶん昔に同じルートで剣岳と立山に登ったことがある。このときは剣山荘と室堂の小屋に計二泊した。帰りに大町ルートをとったのだが、室堂からの記憶が全くない。この記憶を呼び戻すことを楽しみの一つに、北アルプス立山越えの旅を二度敢行したものの記憶は戻らなかった。

 それにしても3000メートルを超える日本アルプスを突き抜ける交通 手段ができていることは驚異である。私は、海のまち富山から電車やバスやロープウエイやトローリィーバスを乗り継いで安曇野に出られることが非常に面 白いと思うのである。夏至の日の立山の室堂までのバスルートの一部には6メートルの雪の壁が残っていた。台風一過の立山の夏景色を期待したが室堂はガスに包まれていて気温は摂氏6度であった。

 黒部湖が眼下に見える黒部平にまでロープウエイで下ったところで、雲間から陽光がもれてきて新緑のダケカンバやナナカマドを美しく照らした。

 急ぐ旅ではなく、帰り道に大町でも松本でもどこでも一泊する余裕があったので、私の気持ちはゆとりに満ちていた。

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春の魚野川水系毛戸沢の山スキーによる5時間の散策

1997年3月2日(日)、快晴、無風



 昨日は雨に打たれての解禁日の釣りとなり、16センチの山女魚1尾に鮠3尾。全体に低調なので、せっかくの晴天の日は雪の原の散策と決める。長男のカズが小学1年の年に富士山麓天神山スキー場でスキー初滑りをした時に使ったのが最後になっていた山スキーを持ち出しての散策を決行。翌日は朝から雪になった。つかの間のスキー散策の日和であったことになる。気候の大きな変動は雪国・湯沢町の特徴であり、まったく「晴れたらいいね」である。

10:45 毛戸沢の入り口をスタート。



 快晴、無風、少し動いただけで汗が吹き出す。5メートルも歩かないうちに靴の踵が当たるのでくつ下をはきかえる。またシールの後のひっかけ部が外れて困る。張り方を調整、これで一応は止まるが、最後まで悩まされる。帰りには靴がビンデングから抜けることがあるので、見たら調整用のねじが弱い方の位 置にあった。調整してOK。ひさしぶりの山スキー装着なのでトラブルが多い。雪目にならないようにサングラスは欠かせない。ときおり外してみると起伏のある雪面 を陽光が照らす眩しさは春を装うに十分過ぎる。こんなのどかな時を過ごしていいのだろうかとの思いがよぎる。

12:45 車止めのある広場の橋の所を引き返し点にし昼食。



 タッパーにつめたカレールーとお握り一個。晴れた春の雪の野原にはクロスカントリースキーを楽しむ三人組がいた。二時間の河原歩きで汗をたっぷりかく。下を向くと帽子の額のところから汗が滴り落ちる。眼鏡には汗の塩が浮いていた。昼食時はオーバーヤッケの襟を立て、ファスナーを閉じないと寒い。目の前には万太郎岳と平標が陽光を受けて白銀に輝く。雪の河原は起伏を見せて木立との調和、顔を見せたせせらぎとのコントラストがいい。リバーサルフィルムで撮影を続けながら歩を進めるが、撮影の度にリュックから6×4.5のカメラを取り出す。撮影は散歩が目的の場合には丁度いい休憩になる。急がないことを心掛ける散策にはこれがまたいいのだ。高速道路の高架下で茶色のネズミを見かける。のこのこと動く。また鶴のようで鷺のような青みのある足の長い大きな鳥を一羽見かける。

13:25帰途につく。



 途中、雪の中に顔を出した流れに餌を投じてみるが、魚信はなし。帰りは寒さのため帽子の耳カバーを出し、オーバーヤッケのファスナーを閉じて行動する。ゴアテックスの帽子は汗でびっしょり。特に耳の所に汗がたまっていた。

15:45スタート地点に戻る。



 靴は山スキー用にオーダーした小さめのもの。ソールにシャンクが入っているので反りが出なくていい。少し当たると感じていたが案の定、左足小指の外にまめが出来ていた。顔には30%の日焼け止めクリームを塗っておく。これは効く。なければ唇は無残。気分を良くして風呂にはゆっくり入る。

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雨の中大菩薩峠へ
       
     
       
     
     
       
   
       
       
   
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紀州犬コマチおよび柴犬サクラとのハイキング
 私の家から陣馬山や高尾山は歩いてそのまま出かけられる山ですから、犬達とよくハイキングにでかけます。そんなことでコマチやサクラはハイキングのベテランです。


@コマチの最初のハイキングは高尾山から陣馬山に続く尾根筋の明王峠まで(生後50日ほどで)。
 舗装路を2時間、山道を40分のハイキングです。5月の陽気のいい日で新緑の中の木もれ陽は何ともいえません。コマチは、山道の途中で人に出会うと怖がって逃げておりました。その人の横を通 り過ぎて行けないのです。警戒心から出る行動なのでしょうか。この日は、私の後をしっかり追ってくるので、引き綱なしで通 しました。


A明王峠を経て陣馬山へのハイキング(生後55日ほど)。
 舗装路2時間、山道2時間。引き綱なし。山道では人に会うと、初回のように怖がりました。


B和田峠から陣馬山へのハイキング(生後60日ほど)。
 山道1時間。柴犬のサクラが一緒でした。サクラは引き綱を離すと直ぐに途中までの足として駐車場においた車に戻ってしまいます。この癖はその後もずっと続いております。紀州犬のコマチは私の後を追っていましたが、何かの拍子に崖を少し降りていってしまいました。あわてて連れ戻しました。


C明王峠から景信山に出て、陣馬山へのハイキング(生後60日ほど)。
 山道4時間。引き綱なし。この時もサクラが一緒。コマチは今回は道で人に会っても怖がらずに通 しました。以後は前方からくる人を怖がらなくなりました。


D大菩薩峠から大菩薩嶺(2057m)へのハイキング。(生後65日ほど)。
 歩行は3時間。引き綱なし。人を怖がることはまったくありません。良く歩きました。その昔、大菩薩峠に友人と登ったときには、塩山駅で朝を待ち、始発バスで登山口に行き、そこからの遠々の登りでした。その時にはもう既につづら折りの自動車道ができており、ほぼ直登の登山道を登るうちに何度自動車道を横切ったことでしょう。腹が立ちました。以後、自動車道が付いている山道の最終地点までは必ず車を利用することに決めました。

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久しぶりに初秋の陣馬山に紀州犬コマチとハイキングに出かける
 99年9月21日のことです。コマチの散歩を兼ねて明王峠から陣馬山に足をのばしました。陣馬山の山小屋でビールを飲むのを楽しみにしての犬を連れてのハイキングです。


 山行きは久しぶりのことでした。陣馬山頂の小屋には東京都の行政書士の有志が集まっておりました。コマチは行政書士のオバサンに可愛がられ、お菓子をさし出されて喜んで、オバサンの顔をベロベロ舐めていました。犬に菓子は嫌なのですがオバサンの善意に水をさすのもまずいので黙って見ておりました。この日コマチは登りはじめの時だけ向こうからくる人に警戒心を示しました。


 里はまだまだ暑いので山はどうかな。尾根筋にでたら爽やかな空気でした。山小屋の管理人のオバサンとは顔なじみですが、その笑顔と運動後のビールでしたので最高の気分になりました。

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