森の生活
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エッセーの部屋

ソローと『森の生活』-1-

 『森の生活』は、米国の19世紀のかくれた思想家ヘンリー・D・ソローの著書の名称です。その著書にはウォールデンの副題がついており『森の生活-ウォールデン-』として岩波文庫と講談社学術文庫から出版されております。

 この著書には何度も挑戦しておりますが手強い書物です。ソローの思索を著述したものなのですが、ソローはナチュラリストでありトランセンデンタリズムに生きた人ですからそこから生まれる言葉は簡単には現代の人々には意味を理解しにくいのです。同じようなことを話している吉田兼好や松尾芭蕉の方がわかりやすと思います。しかしソローは吉田兼好や松尾芭蕉とは違います。そこのところがまた難しさでもあります。

横田俊英と「森の生活」

 ソローが用いた「森の生活」は神聖なものであり犯しがたいものなのですが、私の素直な思いから横田俊英のWebサイトのサブタイトルに「新しい森の生活者」を用いることました。またサブのサブとして解説的ではありますが、「新しい森の生活・新しい山麓生活」「東京近郷の新しい田舎暮らし物語」という言葉を添えてあります。

 私は東京都心部での生活に飽きてしまい中央線を西に下って最初に山の中にはいる地の相模湖町に住まいを移したのです。勤め先は千代田区内の御茶ノ水駅近くにありますから、速い電車に乗りますと通 勤時間は1時間半です。地方で勤務する人々なら自然環境豊かな森の生活は何の支障もなく営めるはずですが、正真正銘の都心部への通 勤となると少しばから気張らなくてはなりません。中央自動車道を西に走ると一番に緑の中に飛び込むのは高尾山麓を貫通 する小仏トンネル付近です。私はトンネルを抜けた先に住まいを据えることにしました。

 八ヶ岳や塩山の方に住まいを置きますと週末田舎人、週末森の生活者ということになってしまいますが、そちらに住むとなると通 勤のある勤務から自由になってからということになる思っております。

 現代はインターネットや電子メールの発達で都心の事務所でしていた事務との仕事が、住まいのなかで時間を選ばずにできるようになっています。相模湖町に据えた住まいでもこれらの情報のやりとりに便利な道具である電子メールやファクシミリに依拠して仕事をすることが少なくありません。それでも事務所の仲間と顔を付き合わせなくてはならないものですから、毎日御茶ノ水まで電車通 勤します。

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ヘンリー・D・ソロー

  「新しい森の生活者」とうのが私のホ-ムページのサブタイトルなのですが、この言葉は1817年生まれの米国の自然の賛美者、ナチュラリストで文明批評家かつ後世の政治家に多大な影響を与えたということでは隠れた偉大な思想家であるヘンリー・D・ソローの著書『森の生活-ウォールデン-』から拝借しているのです。

 ヘンリー・D・ソローは1862年5月6日に45歳で病没しますが、この年の9月にリンカーンによって奴隷解放宣言が公布されます。ソローは奴隷解放主義者を支援するとともに自らも政府への不服従の行動をとります。悪をにくみ奴隷制度を養護する国家権力への良心にもとづく不服従という姿勢は、ガンジーの心を動かした他、1960年代の黒人解放運動のリーダーであったマーチン・ルーサー・キングなどの教本になりました。

 マサチューセッツ州コンコードに生まれたソローはハーバード大学を卒業して、コンコードの小学校教員になりますが、学童のへのむち打ち教育に反対して2週間で止めてしまいます。その後兄とハーバード大学に入学する前に通 っていたコンコード・アカデミーの経営をします。そこでは全人教育に打ち込んだのですが、そこでの教育活動は兄の病死によって3年で終わってしまいます。コンコード・アカデミーでえの教育活動はどのようないきさつなのか不明ですが、コンコード・アカデミーの名称と建物をソロー兄弟が借り受けての学校経営でした。

 ソローの生き方は直接の学校経営とは離れますが、その生涯は教育と関わりが深いものであり、ソローが45歳で病没するまで、コンコード成人教養講座での講師として活動しました。またソローはナチュラリストとしての生涯を送ることになります。ソローが20歳のときに超絶主義者(トランセンデンタリズム)でのエマソンが『自然論』(Nature)を刊行、エマソンはハーバード大学で講演を行いました。ソローはエマソンに共感して、超絶クラブの会員になり、生涯をナチュラリストあるいは超絶主義者(トランセンデンタリズム)としての生活で貫きます。

 コンコードにはエマソンを始め後の知識人が大勢いてソローに大きな刺激を与えました。ソローの時代はイギリスの産業革命の嵐のなかにあり、人々は金権主義、物質主義に支配されつつありました。そうした社会背景のもとで生きるナチュラリストとしてのソローの生活は金銭的な豊かさとは遠いものでした。しかし、コンコード成人教養講座での講師活動等を通 じてソローは人々の尊敬を受けておりました。

 ソローの『森の生活は』、ソローの28歳からの2年2ヶ月間の生活を下にして書かれたものです。ソローはコンコードの町から離れたウォールデン湖のそばに小屋を建てて2年2ヶ月の生活を送ります。ソローはここで自給自足に近い生活をします。ウォールデンの森からコンコード成人教養講座に出向いて講師活動を続けます。

 ウォールデンの小屋では畑仕事をしながら読書と著述活動をします。小屋での生活を始めたのが7月4日のアメリカの独立記念日でした。ソローは、自然のなかに人間がその身を投げ出して、自然から受けるものを肌身で感じることによってこそ、人間が本来持つ生きる喜びを感じとることができる、考えを実行に移したのです。

 ウォールデン湖畔での森の生活やそこでの思索は、著書『森の生活-ウォールデン-』として世に出されます。ソローはこの著書を刊行するのは2年2ヶ月の森での生活の7年もに後のことです。この間にはコンコード成人教養講座で、森の生活の経験と思索を何度か講演します。『森の生活』刊行までには7稿まで推敲をして決定稿にします。初版が刊行されたのは1854年8月9日で、2000部印刷・製本されました。このときソローは37歳になってました。ダーウインの『種の起源』、マルクスの『経済学批判』が出版されたのは1859年ですから、ソローの『森の生活』はそれより6年前に刊行されたのです。『種の起源』や『経済学批判』に比べますと、直ぐに社会の反響を呼ぶような書物ではありませんでした。ソローの著書は『森の生活-ウォールデン-』は、ソローが生身でソローの全霊を自然に晒して自分と向き合い、思索を重ねた結果 の静かな静かなメッセージだったのです。それが世の評価を受けるようになるのはソローの死後の何年も後になります。

 ソローは「森の生活」の家計簿を示します。支出は鍬代、畝立て代、豆の種子代、種用の馬鈴薯代、エンドウ豆の種子代、かぶらの種子代、カラス避けようのひも引き代、馬人夫と少年の3時間の賃金、収穫のための馬と荷車代。収入は豆、馬鈴薯等の売り上げ。差し引き少しのお金が残る勘定になります。

 森というと人の入らない山奥を連想しますが、そうではありません。当時と現代とでは交通 等の事情が違いますが、人里に近いところで自給自足に近い生活をしながら鳥や獣と会話し、読書をして、ペンをとりながら思索をしたのです。

 ソローは最高の学歴を持った知識人でした。牧師の説教にも似た形で大勢の人々を前に、知識や自分の考え述べるという立場は今の大学教員以上の知識階級の属していたといっていいでしょう。 (つづく)
 
エッセーの部屋

山の向こうに五箇山を感じる5月5日の城端曳山祭。
(副題)春は遅い。街の向こうに壁のようにそびえる山の先は五箇山なのだ。
(副副題)五箇山は絹織物で栄えた町であるが今はその工場跡をわずかに確認できる。


山梨県の道志村を富士山に向かって走る。4月27日のことだ。山中湖は桜の見頃であった。
(副題)奥道志の民宿が見える一風呂浴びて日本酒を飲みたいと思う。
(副副題)多摩丘陵は4月12日には青く萌えていた。それから2週間、奥道志は緑であった。


沢渡に泊まり晴れたら上高地の見物にでかける、5月8日の沢渡。
(副題)市営第二駐車場まえにある宿は素泊まり三千円。贅沢はできないがくつろぐ。
(副副題)沢渡バスターミナル付近の5月8日春の盛りであった。上高地の緑は未だだ。


「富士山や月は東に日は西に」2017‎年‎3‎月‎11‎日午後6時。(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №31)
(副題)蕪村の「菜の花や月は東に日は西に」の富士山版で「富士山や月は東に日は西に」。
(副副題)撮影カメラはEOS 5D。35mmフィルムカメラの画面と同じ大きさの撮像素子のカメラだ。


ライカM5への思いを残してCanon EOS 5DとNikon D70で風景を撮る。(旅行家 甲斐鐵太郎の自然博物誌 №30)
(副題)買った品物をそこそこの値段で売るという中古カメラの売買の楽しみは消えました。
(副副題)ニコン F6 ボディは新品273,330円、中古79,980円から(キタムラネットショップ2017年3月9日付け)


自然からのメッセージ (自然から感じることの日記 1月から12カ月までの1年分) (執筆 横田俊英)

1月  自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)
2月  自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英
3月  自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)
4月  自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)
5月  自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)
6月  自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)
7月  自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)
8月  自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)
9月  自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)
10月 自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)
11月 自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)
12月 自然からのメッセージ(自然から感じることの日記)(執筆 横田俊英)

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