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紀州犬物語 「千代と小春と梅の3匹の紀州の子犬たち」(1)(執筆 横田俊英)
(副題)紀州犬との暮らしは愛に満ちスポーツマインドそのものである(出産から2カ月、生後3カ月、4カ月ころまでのこと)
(本文)
1、4カ月の「千代」、3カ月の「小春」、2カ月半の「梅」
庭には3匹の子犬がいる。母親が違う紀州犬の子犬たちでそれぞれ冬至のころに生後4カ月になる白毛で、子犬たちはみな女の子である。名前はまだないがあえて名前を付けると生後4カ月に達した一番年長の女の子は「千代」であり、生後3カ月を過ぎた二番目の女の子は「小春」であり、生後2カ月半を過ぎた女の子は「梅」である。
2、柴犬でも360グラムほどなのに250グラムであった紀州犬の小春
千代と梅は360グラムの体重で生まれた。小春は250グラムであった。梅は男の子ともう1匹の女の子とともに生まれた。千代と梅は女の子1匹だけで生まれた。梅の母親はこの前は210グラムの子を生んだ。柴犬でも360グラムほどの子を生むのでかなり小さな子を生む傾向になるのが小春の母親であることを知っているから、250グラムで生まれた小春はしっかりと育つと考えていた。
3、「ぬた毛」の紀州犬を夢見る石山治さんと篠原幹雄さん
近くに住んでいる石山治さんという古くからの紀州犬愛好家は千代と同じころに和歌山で生まれた胡麻(ごま)毛の紀州犬の女の子を飼っている。胡麻毛の紀州犬の子犬はゴミと見まごう姿をしている。茶色とも灰色ともつかない薄汚れた被毛なのでゴミのようとも思えてしまうのである。胡麻毛の有色紀州犬でもゴミ色でない子犬もいる。石山治の子犬は灰胡麻といって黒ではない胡麻でもない灰色と白の間の色をした「ぬた毛」ともいう毛色になるであろうことを強い願いにして飼っているのである。もう一人、ぬた毛の紀州犬であることを願って大阪から連れてきた男の子を飼っている有色紀州犬愛好家の篠原幹雄さんがいる。
4、「鉄系」の紀州犬しか飼わない石山治さんも篠原幹雄さん
石山治さんも篠原幹雄さんも「鉄系」の犬しか飼わないという頑固一徹な紀州犬愛好家である。鉄系とは和歌山産の紀州犬のことで東京に一度出てきて名をあげた犬の血は混ざっていない系統のことを言い、厳密には「鉄」といういオス犬の血を「純粋」に近い形で現代に引き継いでいる犬たちのことである。
5、紀州犬メスの子犬の千代の成長を楽しみにしている
ゴミのような姿をした石山治さんの飼い犬は千代と同じころに生まれたのに千代よりずっと大きい。千代の母親は大きい犬ではない上、千代と同じようにすぐに大きく育つ犬ではなかった。石山治さんの子犬と千代を比較すると育ちが悪いのではないかと不安になる。しかしゴミのような犬は育ちがよすぎるのである。ゴミを見て誰かが52センチ(メートル)を超えちゃうぞ、石山治さんをおどかしているから、千代とゴミとどちらが正常なのか分からなくなってしまうので、妙な詮索は不要ということで千代の成長を楽しみにしているのである。
6、小春は頭部が小さく吻も細く、前足の関節は大きく外転していて肘の付き方も外転気味である、不細工である紀州犬の子犬だ
小春は千代に比べると一月近くも遅く生まれていることを考慮しても体が小さいような気がしていた。しかし時期がくれば育っているもので、千代と小春の体格差は月齢の差程度のものになっている。千代は頭部が大きく吻(ふん)も太い。これに対して小春は頭部が小さく吻も細く、前足の関節は大きく外転していて肘の付き方も外転気味である。不細工な紀州犬の子犬だ。千代は前足がスクッと降りていて、これは良いなと思わせるのである。
7、梅は鼻先に白い斑点が残り鼻筋も白い地肌が消えなかった
梅は頭部が大きな子犬であった。一緒に生まれた女の子は早くに鼻が黒くなっているのに梅は鼻先に白い斑点が残り、鼻筋も白い地肌が消えなかったので、このような状態で人に渡すことに忸怩(じくじ)たるものがあったので手元におくことにした。梅は3匹の兄妹のなかで一番の腕白な子で母親のいる空間とをフェンスで仕切っているのを乗り越えて遊ぶのであった。
8、梅だとは気付かずに「良い子犬を連れている人がいるもんだなぁ」とうらやましく思った私
テツゾウというのが梅の母親であり、テツゾウの飼い主の大熊哲三さんは「子犬はどうですか」とたびたび聞いてる。ある日犬仲間が集まったときに大熊さんが梅を人に抱かせているのを遠くから見ていた私はその子犬が梅だとは気付かずに「良い子犬を連れている人がいるもんだなぁ」とうらやましく思ったのである。だから梅は良い犬かもしれない。
9、3匹の子犬たちの母親は吐き戻しをすることがなかった
千代も小春も梅も生後長い間兄妹犬や母親と過ごしてきた。紀州犬や柴犬など日本犬は母親が上手に子育てをする。生後2カ月ころになると母親は食べものを吐き戻して子犬に与えることが多い。3匹の子犬たちの母親はこうした吐き戻しをすることがなかった。季節によるものかどうかわからない。
10、生後20日を過ぎ遅くても生後30日ころになると子犬は母親の食事の椀に口を突っ込んで一緒に食べるようになる
子犬は生後20日ごろに歯が生え始める。このころに柔らかくふやかしたドッグフードを与えるとぺちゃぺちゃ音を立てて食べるのである。牛乳を温めて口元におくとこれも音を立てて飲む。食欲旺盛な母親は飼い主が子犬のためにと与えた食事を全部自分が食べてしまう。生後20日を過ぎ、どんなに遅くても生後30日ころになると子犬は母親の食事の椀に口を突っ込んで一緒に食べるようになる。子犬も食べるということもあるので小粒のドッグフードにしてこれにご飯や牛乳を混ぜて与える。
11、母犬と子犬の食事はともサイエンス・ダイエットのプロ・パピー(小粒、幼犬・母犬用)
生後2カ月にもなると子犬は母親と同じ食事でも平気である。与えているのは母犬と子犬ともサイエンス・ダイエットのプロ・パピー(小粒、幼犬・母犬用)である。このドッグフードは値段が高い。良いか悪いかよくはわからないのだが、悪かったということがないのでこれを与えている。紀州犬の親犬たちにもこれを与えている。子犬の食事は栄養素を雄などの親犬より濃くと思ってはいるが、玄米と混ぜて同じものを与えている。子犬用
にはお米を少なめにしてドッグフードの成分が多いようにすくいだす。
12、子犬の食事は怠けているので平均すると1日1回半になってしまっている
子犬の食事はできるなら1日に2度、3度と思っていてもなかなかこれができない。生後2カ月過ぎから4カ月過ぎまでの間に1日の4度に分けて与えたことはまれで、良くて2回、平均すると1日1回半になってしまっている。知り合いは1日1回にすると胃袋が大きくなり、これが肥満体質につながるので小分けの方がよいと忠告しきた。石川治さんなどは子犬を大きくするために口を上に向けて食事を目一杯押し込むのだと乱暴なことを平気で言う。
13、子犬の食事量は下痢をしない程度そして頭部の大きさ程度と言う言い方がある
子犬の食事量はどのくらいが適当かというとこれを表現するのは難しい。食べ過ぎると下痢をするので、下痢をしない程度という言い方もできるし、頭部の大きさ程度という言い方もできる。柴犬を飼っている山上文夫さんなどは指につまむ程度のわずかの量を何度かに分けて与えている。山上さんの奥さんは子犬にヨーグルトを頻繁に与えるのであるから、これを足した場合の食事の量はどの程度になるのであろうか。
14、生後15日ころに給餌を放棄してしまった山上文夫さんの柴犬の母親
山上文夫さんの柴犬の母親は子犬が生後15日ころに給餌を放棄してしまった。こんなことは初めてだと驚いてはいたが、母犬に代わって夫妻で頻繁に食事の世話をして寝る間もないと言っている。子犬はころころと太っていて随分と育ちがよい。
15、子犬を産むかたわら次々に子犬を食べてしまった母犬
母犬が子育てをするかどうか子を生んでみないとわからないから、良い母親になるかどうかは実際に子育てをさせてからのことである、経験を語るのは石山治さんである。ある母犬は子犬を産むかたわら次々に子犬を食べてしまったのだそうである。
16、母親はウーとうなって子犬をひっくり返しこんなことを1日している
3匹の子犬たちは生後2カ月過ぎまで母親と一緒に暮らしていた。生後30日を過ぎるころになると子犬は母親に吠えたり、絡んだりして挑むのである。母犬は子犬のなすがままにさせているときもあるが、ときに反撃に出て子犬の首根っこを加えて床板に押さえ込む。子犬はキャーキャーと泣き叫ぶのであるがお構いなしである。子犬は母犬にウーと言ってうなり声をあげて首などに食いつく。母親もときどきウーとうなって子犬をひっくり返す。こんなことを日がな1日しているのである。それでも生後2カ月を過ぎるころになると狭い犬舎で親子がこのような遊びをしているのはどうかなと心配になって子犬を母犬から離して日中を過ごさせる。ときどきは一緒にするけれども、その頻度も少なくなって、生後4カ月になるとほぼ分離してしまう。
17、差し尾になった梅、巻き尾の千代と小春
紀州犬の特徴の一つに差し尾という尾型がある。
3匹の子犬の母親はそれぞれ差し尾である。千代と小春の父親は同じであり、この犬は右巻きの巻き尾だ。千代は父親と同じように右巻きの巻き尾になった。小春は左巻きの巻き尾である。梅の母親は天下一番の太刀尾であり、父親も差し尾であったから、差し尾になりそうである。生後3カ月近くになる梅の尾は巻き尾だったものが差し尾に変わっている。父親がそうであったという通りに梅の尾は差してきているのである。
18、子犬のころに差し尾であったのが巻き尾になったり、巻き尾であるのが差し尾になったりする
紀州犬が差し尾になるか巻き尾になるか、育ってみなければわからない。子犬のころに差し尾であったのが巻き尾になったり、巻き尾であるのが差し尾になったりする。巻き尾でも生後6カ月ころから巻きがきつくなって、2重に巻いてその先が横の飛び出すこともある。そのようになってガッカリした井下海老雄さんは尾をもみほぐして何とか普通の巻き尾の犬にした。尾は直らないと言い切っていたベテランの石山治さんは自分の不明を恥じてこのことについて口を開かなくなった。井下さんの愛犬に対する執念が硬く巻かれて表現力に乏しかった尾を何とか我慢できる状態にしてしまった。
19、生後6カ月になっても犬舎のなかでしか糞をしない犬がいる
子犬たちは生後45日までに感染症予防のワクチンを2度打ってしまい、家の前の道路に出してごく簡単な散歩の訓練をして、糞と尿を始末を犬舎の外でさせるようにしている。糞と尿は上手くすることもあるが駄目なことが多い。生後6カ月になっても犬舎のなかでしか糞をしない犬が埼玉県の宇部義実さんのところにいて、この犬が私のところにやってきて訓練をしたところ2週間で排便を普通にする犬になった。この犬は埼玉県の下田英雄さんのところで飼われていて、夜は家に入れられて可愛がられている。
20、子犬の糞尿のシツケは飼い主のストレスになる
子犬の糞尿のことは何時でも悩みの種になる。子犬が外でこれをするまではできていないから、この間は飼い主のストレスになる。
千代は座敷の床と同じ高さに設置された犬舎にいて、朝起きて障子を開けると窓に向かって飛びついてきて、しばらくするとじっとこちらを見ており、その先は飽きて寝そべってしまう。千代は仰向けになって大きく伸びをすることもあり、警戒心のない奴だなとこの様子を見ている私は思うのである。
21、千代は糞食決算するので犬舎のなかには糞が残っていない
庭にいる3匹の紀州犬の子犬は生後4カ月、生後3カ月、生後2カ月になるのだが犬舎のなかで排泄をするので何時でも新聞紙を敷いている。
千代の犬舎では排泄した糞がいつの間にか消えている。糞を突っついて遊んでいる様子を見ているから、きっとそのうち食べてしまうのであろう。千代の糞食決算があるので犬舎のなかには糞が残っていない。梅も少しそのような傾向があるようだ。小春はどうだろうか。少しは糞食をしているように思われる。
22、好きな紀州犬と間近に暮らす
冬になって寒さが一段と厳しくなるなか犬の飼育のために半透明の屋根を付けた庭は雨が降っても大丈夫、そして日中は小春日和である。千代と小春と梅の3匹の紀州犬の子犬は何時でも部屋のなかの私を見つめている。私もこの子犬たちとのコミュニケーションのためにガラスの引き戸の30センチメートル向こうに犬舎を設置したのである。十分に手を掛けることができないことを少しでも補うための方法でもあり、好きな紀州犬と間近に暮らすためである。
24、犬と人とのコミュニケーションが親密になるとどうなる
下田英雄さんなどは紀州犬のオスとメスを家のなかに入れて飼っているのだが、そうすると被毛が部屋中に散って始末が悪いので、たまにはそうすることもあるが普段はおいそれとできることではない。下田さんの愛犬のオス犬は朝の一定の時刻になると起こしに来るのだというから、犬と人とのコミュニケーションもここまでくると親密である。
25、下田英雄さんは自分の飼い犬を名犬だと決めている
犬の仕合わせは飼い主が普通に可愛がってくれることである。下田英雄さんは自分の飼い犬を名犬だと決めているのであるが、このような思いを掛けられている犬は仕合わせである。名犬だという思いを何かの拍子に駄目犬であるということに変更したとたんに犬は不幸になる。
26、安岡章太郎さんはコンタとの多摩川べりの散歩の様子を人の仕合わせとして物語っている
飼い主と散歩に出て運動欲求を満足させることができる犬は仕合わせである。飼い犬と良い気分か普通の気分で散歩ができる飼い主は仕合わせな人である。紀州犬愛好家で作家の近藤啓太郎さんは、犬の仕合わせは飼い主との散歩と言い切る。紀州犬オス犬のコンタを飼った安岡章太郎さんのコンタとの多摩川べりの散歩の様子は人の仕合わせを見事に物語っている。そして邪心のないコンタの崇高な生き物としての精神は安岡さんを何時も驚愕させるのである。下田英雄さんの犬の飼い方は安岡章太郎さんのコンタを飼っているのと瓜二つなのである。
27、希望をもって生きている人は仕合わせに近いのである
人の仕合わせは健康であることが一番だ。そして暮らしが平穏であること、そしてお金が何とか足りていることである。こう述べると健康を損なっている人はどうかと言うことになるので言い方が難しい。最善の健康がない場合でも生きることに小さくても大きくても希望をもって生きている人は仕合わせに近いのである。病気の人が不幸であるとすると病院にいる人はみな不幸であるということになるが、病院にいる患者は不幸に過ぎるとは思っていない。自分だけ健康であっても病気をもつ家族がいると家族共々苦労をするが、それはすべて不仕合わせであるとは限らない。歳寄ると大なり小なり健康は万全ではなく、家族には健康に不安のある家族がいるのであり、そうした人々と支え合って人は生きているのである。
28、人は他人をうらやましいと思い自分を卑下したくなる
人は中学校に通うころから成績が人生を決めるように思えて気分が浮かなくなる。上級学校に行ってもそれは変わらない。仕事をするようになると世に言う格好良い仕事や職場とは違う状態にあると自分が劣等であるように思えてならない。その30年前の昔、IBMに努めている知人のボーナスが20代半ばで100万円と聞いて何ともうらやましく思ったことである。
29、犬も人も互いに褒めあうので人と犬の仕合わせは共にある
人は自分を褒めることができる。これができたら自分は素晴らしいと思うことで、それを成し遂げたその自分を褒めることができるのである。成し遂げられる課題を設定して少しずつ励むことである。毎日毎日自分を褒めて生きていくことで人は仕合わせになれる。そして飼い犬は何時でも飼い主を頼っている。飼い主に全幅の信頼を寄せて生きている犬は健気であり、飼い主は犬に何時でも褒められているのである。だから人は犬を飼うと仕合わせなのである。犬も人の供として一緒に暮らしていることが仕合わせであり、ことに飼い主と運動しているときが一番仕合わせなのである。人と犬の仕合わせは共にある。
30、紀州犬との暮らしは愛に満ちスポーツマインドそのものである
犬を飼うことは犬と一緒に散歩に出ることである。犬との散歩は人の運動でもある。人の運動はそれ自体スポーツと言って良い。アジア大会ではビリヤードも競技種目になっていた。チェスはスポーツであるということになっている。そうであれば紀州犬を飼うこと、そして紀州犬を訓練して、一緒に運動に出ることなどの全体はそれ自体立派なスポーツである。下田英雄さんのように自分の飼い犬を名犬と決めてこよなく可愛がり、家のなかで一緒に暮らしている人は仕合わせであり、その暮らしは愛に満ちスポーツマインドそのものである。
(文章読み返ししていないので不都合の部分はご容赦のほどを)
(横田俊英 Shunei Yokota)
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