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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)

神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服



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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

(本文)

祖父の専門は中国語

 私の祖父の高徳純教は、播州の門徒寺(浄土真宗)の出身である。兄弟は皆住職になったにもかかわらず、一人だけ上京、早稲田大学に入学し、挙句の果ては東京外国語大学の中国語学科を卒業した。

 その後高徳家に婿養子として迎えられ、川崎造船所社長の松方幸次郎と親しかった義父(私の曾祖父)藤五郎の紹介で同社に入社。彼の大陸政策の先兵として働き、清国の西太后にアプローチして中国東北部の大連に土地を買い造船所を建設する了解を取り付けた。父も4歳から6歳の2年間を大連で過ごしたと聞くから、長期にわたった仕事であったのだろう。

 帰国後は国内でも、製鉄・航空機への事業拡大のために、神戸・西宮・岐阜の工場用地の買収や登記を主業としていたようである。

 ところが、昭和の大恐慌に遭い退職、これを機に「はかり屋」を始めたらしい。しかしまた直後に、松方社長に呼び出されて、会社の倒産を防ぐために、今度は苦労して買い付けた大連の土地を売りに行ったというから、当時の雇用関係はどうなっていたのか。

 祖父は、在職中も銀行筋からは信用は凄くあったらしいから、多分この「はかり屋」も、友人・知人の頼みがあって、在職中から手がけた事業であったと推測する。勤めていた川崎造船所の仲間に頼まれて、出資したのか、名前を貸したのかが始まりであったような感がある。彼の本業は、中国語の他は土地の売り買いや登記であったのだから、「はかり」など思いつく訳もないし、いくら昔と言っても、素人に「はかり」の修理や販売は無理であろう。

祖父のはかり屋開業

 「はかり」を買って取り付けたがメンテナンスをしてくれる人がいない、ということはよくある話である。

 祖父は、造船所のこのようなニーズに応える集団を背負い込んだと思われる。とはいえ、祖父が起業化した事業の中身は、兵庫にあった修理工場と元町の店のみであった。その後、父が「はかりの製造許可」を取って初めて製作したのが20tの鋼板用はかりであり、その納入先が川崎造船所であったことから推測しても、当工場では造船所で使用している大型はかりの修理を受け持っていたようだ。

 祖父は私が生まれる1年前に他界しているので、祖母や叔母、両親から聞いた話のみであるが、若い頃に浄土真宗の得度(お坊さんの資格)を済ませた人であり、人格者であったかも知れないが、商売には不向きであったのだろうと想像する。ただし先見性は人一倍優れており、常に前向きであったようだ。

神戸メートル商会

 私は兵庫の工場には行ったことはないが、店の方には幼児期に祖母に連れられてよく行ったのではっきりと覚えている。

 元町3丁目、繁華街のど真ん中にあり、ショーウインドーには直尺やハカリ・メスシリンダーを始め、製図用品や文具までが並んでいた。店の名前が「神戸メートル商会」であった事を今考えてみると、この祖父さんにしては良くできすぎていたと感心する。

 1921(大正10)年に「尺貫法」が法律上で廃止されたとはいえ、当時の庶民間ではまだまだ尺貫法が盛んに用いられていた折であった。率先して社名に「メートル」を用いた祖父の気概に敬服する。神戸のハイカラが好きだったのか、国際派の松方幸次郎の影響か。

 後の父の話によると、後刻この「神戸メートル商会」を変えようと提案しても祖父はがんとして受け付けなかったらしい。

 祖父は結局この事業で失敗したらしく、父が受け継いだ時には、祖父が在職中に得た財産を殆んど処分したとの事。それでも父は、この「はかり屋」を受け継ぐことで、人生のスタートとしたのである。そう為さざるを得なかったらしい。(つづく)

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祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服


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祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録-その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

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祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

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