千葉ロッテ井口資仁監督のトークショー(2019年1月25日)
ロッテ・井口資仁監督(44歳)が2019年1月25日、静岡・熱海市の熱海後楽園ホテルで開かれた東京科学機器協会主催の新春トークショーに出演した。井口資仁監督トークショーの内容は次のとおり。
「投手が足を上げるのと同時に自分も足を上げる。これによって相手を呑み込むようにした」と王貞治監督に言葉を掛けられた。入団二年目に21本塁打を打てたのは、風呂場で二人きりになったときに掛けられたフトバンクホークスの王貞治監督の言葉がきっかけだった。これによって打撃の心得ができた。
(つづく)(
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【参考】
ダイエーに入団一年目の1997 年の成績が、76試合、252打席、217打数、31得点、44安打、8本塁打、23打点、3盗塁、打率.203だったものが、二年目の1998年には135試合、476打席、421打数、58得点、93安打、21本塁打、66打点、12盗塁、打率.221になった。93安打、21本塁打、66打点、12盗塁の成績は見事である。12盗塁はその後の2001 年の44盗塁、2003年の42盗塁につながる。二度の盗塁王となる。2003年は打点109、打率.340で生涯最高を記録する。
日本の野球と米国の野球の違いは、日本は守る野球であり、米国は攻める野球だ。4年間プレーした米国のメジャーリーグ時代に辛いことは何もなかった。
【参考】
2005年にシカゴ・ホワイトソックスに2契約で入団、135試合、581打席、511打数、74得点、142安打、15本塁打、71打点、5盗塁、打率.278の成績であった。ポストシーズンの成績は12試合、55打席、47打数、7得点、9安打、1本塁打、5打点、0盗塁、打率.191。この年シカゴ・ホワイトソックスはワールドチャンピオンになる。
シカゴ・ホワイトソックスがワールドチャンピオンになったときの祝賀パレードでは沿道に200万人の人出があった。日本では多くても20万人だから、シカゴのパレードは凄かった。ホワイトソックスが88年ぶりの優勝ということもあるが野球の人気をパレードの熱気が物語る。2008年に所属チームのフィリーズがワールドチャンピオンになった。日本人では唯一2度のワールドチャンピョンとなって、2個目のチャンピオンリングを手にできた。
メジャーでプレーしたいという気持ちはソフトバンク入団4年目、5年目くらいには、はっきりと持っていた。メジャーリーグで4年プレーして日本に戻ってきて千葉ロッテマリーンズで9年間プレーした。5年ぶりに日本に戻ると選手が変っていた。対戦したことがない若い選手が入ってきていて活躍していた。
野球は失敗のスポーツである。打撃は10回打って3回打てれば3割打者である。選手生活最高の思い出はシーズン限りで引退することを宣言していた2017年の最終試合でバックスクリーンにホームランを打てたことだ。自分が理想とする打撃がここでできた。
千葉ロッテマリーンズ監督として成し遂げたいことは優勝することだ。リーグ最高勝率で優勝して日本シリーズにでて日本一になる。このような形での日本一の達成は、ロッテは私が生まれた1974年からは実現していない。45歳になる私とロッテとの深い縁であるから頑張りたい。
野球は兄のあとを追って始めた。年上の人たちと野球をやってきた。プロ野球選手になりたいとか、憧れであるというよりも、なるものだと思っていた。プロ野球は厳しい世界であり、一軍でプレーできる選手は人数に制限がある。二軍に行くことを伝えられて泣く選手がいる。鍛えるべきこと、直すべきことを含めて私は監督として自ら告げている。
選手を引退して直ぐにロッテの監督に就任した。選手個々の能力をよく知っている。こうしたことを元にして和製の打線をつくりあげる構想がある。また井上晴哉選手に加えて、もう一人の和製長距離砲をつくりたい。
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