紀州犬物語(82) 紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。 執筆 横田俊英。
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紀州犬物語(82) 紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。 執筆 横田俊英。
(タイトル) 紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。
(紀州犬は犬である、その紀州犬を少しだけ理解する)
第82章 紀州犬物語。紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。 執筆 横田俊英
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紀州犬物語(82) 紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。
(紀州犬は犬である、その紀州犬を少しだけ理解する)
第82章 紀州犬の理解のための私なりの説明とその飼い方など。 執筆 横田俊英
紀州犬は犬である、その紀州犬を少しだけ理解する
犬は人の伴です。人の伴の犬を別の機能で区分けしようとする人がおります。
そのような区分けが犬の世界で行われてきて、本にもそのようなことが書いてあります。したがって普通の人は犬を機能で区分けしようとします。
このことへの回答なり、考え方はいろいろあり、私もそれなりの理屈をもっておりますが、この種の議論は面倒くさいです。
前提がはっきりせずに、論点も明確になっていないで、あれこれと熱を上げて長時間にわたり議論をすることを厭わない人はおります。私は閉口するだけですから議論はしません。そのようなことが好きな人がいれば議論をしたがっている人を何人でも紹介できます。
犬が大きくならないと悩む飼い主の私
そのようなことは別にして、私の悩みとそこに潜む楽しみは飼っている犬の成長のことです。私のところで生まれて育てている生後10カ月になる紀州犬の白のオス犬のことです。
生後6カ月になると大体は母親と同じ大きさになるのに、このオス犬はその時点で母親より小さかったのです。それが生後8カ月になっても紀州犬の規定の背丈の下限である49センチメートルに達しておりません。生後9カ月でもまだ下限に達していない状態に私の気持ちは空中を彷徨うのです。それが生後10カ月になっても未だ小さい身体なのです。
この子は奥手(おくて)であり、母親も大きな身体ではないのだから、と自分に何度も言い聞かせても、不安は続きます。
子犬は小さく、月日を経るごとに大きくなるのです。
予定している大きさにならないからといって慌てることはありません。背丈は少しずつ伸びるのです。
子犬は胴が短いので可愛いのです。身体に対して頭は大きい。大人の体型とそのまま小さくした子犬は恐くて見ていられないでしょう。
生後10カ月のこの紀州犬の白毛のオス犬もやがては背丈は大きくなり、胴も伸びるのです。
紀州犬などは成長の過程の一時期、生後8カ月ごろには頭部が小さいのが普通です。このころにこれが大きいと将来有望であると思いがちです。三歳、4歳ころになって頭部が大きくなって見事に変身する紀州犬がおります。これを化けるとといいます。化けることを期待してじっくりと待つのです。胴が伸びるの同じようにして待つのです。
私が飼っているチビという紀州犬のメスは体高が46センチメートルほどでした。これが生後三年ほどが経過すると48センチメートルになっておりました。コウメというメス犬は同じ体高であり貧弱でしたが、これも三歳を過ぎたら48センチメートルほどになっておりました。
口吻に子犬のころに喧嘩して付いた傷がある「ハナキズ」というオス犬は、生後8カ月では背丈が50センチメートルでした。それが二歳と8カ月になりますと53センチメートルになっておりました。
心配ごとも済んでしまえばお笑いぐさです。それがそうでないと残念な結果ということになります。
紀州犬のオスの背丈の規定は、下限は49センチメートルで、上限は55センチメートル。
メスは下限が46センチメートルで上限が52センチメートル。
(これはあくまでも規定であり、これから外れても紀州犬は紀州犬です。)
紀州犬のオスの背丈の規定は、下限は49センチメートルで、上限は55センチメートルです。メスは下限が46センチメートルで上限が52センチメートルです。これは日本犬保存会が標準として規定した背丈です。紀州犬保存会はこの規定が少し異なります。
標準が定められているとその規定から外れると駄目な犬であるように思う人がいるかも知れません。あるいは私もその一人であるかも知れません。自分の飼い犬が規定の背丈から外れたり、下限に近かったり、上限を超えたりすることが、耐え難いほどの心の痛みになるからです。これはあくまでも規定であり、これから外れても紀州犬は紀州犬あることをあえたここで宣言させていただきます。
人の身体の大きさ(背丈)はオランダ人はとても大きくて、日本人は小さいのです。大きくたって小さくたって良いじゃないか、とタカを括れるほどに私の心は広く大らかではありません。
私の悩みはあるいは紀州犬を飼っている人の悩みかも知れません。少し物事を知って、知識を習得するとその知識が間違っているとしても、習得した知識から離れて物事を考えることができないのが普通です。
困ったなあ、こんなことを「病膏肓(やまいこうこう)に入る」というのだろうな、と思うのです。趣味や道楽に熱中しすぎて、どうにも手がつけられなくなることを指していう言葉のようです。本来あったその意味は、病気がひどくなり治療のしようがないこと、なのでしょう。膏肓(こうこう)とは心臓の下にある一番深いところを指していたようです。
このような悩み事を繰り返していても、一向によい紀州犬とは、ということの回答に到着しません。あれがいい、これがいい、といっては、判断基準が常に変わって、グルグル回りしているのです。
ベテラン、経験の長い人がすべて正しいと言い切ることはできませんが、やはり経験を積んだ人はよい犬がわかるようです。しかしそのベテランにしても、ある人とこの人とではよい犬とする内容が違うのですから、ますます分からなくなります。
斉藤弘吉氏は、日本にいた犬のことを考古学的に究明した
日本犬保存会を創始するために奮闘した重要な人物の一人である斉藤弘吉氏は、縄文期や弥生期の遺跡から発掘される犬の骨を調べることを通じて、日本にいた犬のことを考古学的に究明するという大きな功績を残しております。斉藤弘吉氏は草創期の日本犬保存会の審査員として日本の犬の発展の方向を指し示しましたが、審査員を含む会の幹部との意見の違いが生じたことや、ほかに自分がなすべき日本社会における重要な仕事に活動の場を移さざるを得ないという事情があって、日本犬保存会の運動から離れてしまいます。それでもその晩年には癌の病をおしてということよりも、何ヶ月かの余命を削ってニホンオオカミの研究の文章を仕上げました。
私は斉藤弘吉氏がそのご長く日本犬保存会の運営に加わって、考古学的な考究を推し進めたならば、現在の日本犬の姿は少し違ったように思います。斉藤弘吉氏は戦前に長野県の川上村で生まれた柴犬のオス犬を群馬県側の山里で見つけ出すという功績を残しております。この犬がその後の柴犬の姿や精神の在り方を示すことになりました。同氏は純血度の高い甲斐犬を探し出したり、いろいろと活躍していたのでした。
私たちは現代の紀州犬と名の付いている犬をみて、良いとか悪いとかいいますが、その良い悪いという判断をする知識をどこから得ているのでしょうか。日本犬標準に書き込まれている文書がそのおもま出所です。その文書を普通に読みこなすことは難しく、判断もまた分かれるのです。その日本犬標準の土台を書いたのが斉藤弘吉氏ですから、氏がその後に日本犬保存会から離れたのは残念です。斉藤弘吉氏は戦後だいぶたってからの雑誌の座談会で、そのころの日本犬保存会で審査をする人の物事の考え方をあれこれと批評し、非難もしております。そして日本犬標準を書いたその文書の意味を少しだけ述べております。
そのようなことがありますから、現在私が得て物事を考えるためのより所にしている知識に対して、疑いをもつことが大事であると考えております。
何頭かの紀州犬をみていろいろの事が頭をめぐった
私の飼い犬の生後10カ月になる紀州犬のオス犬は、あれこれ幾つかの項目が気に入っておりますが、何しろ成長が遅れており、背丈が足りない、そしてオスらしさが薄い、という悩みがいつも頭を支配します。
そのような折、機会があって紀州犬の幾つかを見ることができました。
ある犬は知人が「良い犬であり、種オスとして繁殖に用いると良い」と推奨しているのですが、飼い主が犬を叱りすぎるためか、その犬は口を開かないので歯を調べることができません。無理矢理に口を開いた飼い主は、飼い犬に指をひどく噛まれてしまいました。その犬と同じ素質をもっている兄弟犬を飼っているある人は、大ベテランですが、その犬を自在に制御し、よい犬に育てております。知人は遠くまで足を運んで、ベテランが育てている犬と交配したのでした。
別のオス犬はベテランが飼っているのですが、周囲に犬がいるとキャンキャンと絶え間なく吠えつづけておりました。有名犬舎から連れてきた犬でした。
このようなことが素質なのか、飼い方なのか、よく分かりません。
ネズミの後足の付け根に脳がほとんど壊れたネズミの頭部を植え付けて、咀嚼(そしゃく)しないネズミの頭骨がどのように発達するか実験した事例がありますが、この脳の死んだネズミの別の神経は活きていて、人の手を噛むのだといいます。
犬は訓練で大脳を操作して、人に馴染ませることができると、考えるのが普通ですが、大脳ではない別の神経系統の作業で、人を噛んだり、騒いだりすることがあるのかも知れません。これはそうではないかも知れません。噛んだり、騒いだりする行動に対して、人のある種の反応が条件反射となって、犬を訓練できるのかも知れません。
普通の人は、本を読んでも、教科書的動画で学んでも、犬を訓練することは出来ないようです。本を読んでも実際にはその知識を習得しておりません。そしてテレビやビデオなどを見ても、その神髄を学んでいないことが多いようです。日本人の犬や動物などに対するある種の考え方が心の奥底に根強くあるからなのでしょう。日本人のこのある種の考え方、あるいは固定観念になっている頑固な考え方に遭遇すると私は絶望します。この人と話してもラチはあかない。すべて無駄だから話すのは止めようと、いうことになります。
日本人が考えている犬の考え方はほとんど間違っております。その間違った考え方によって飼われ、シツケと思っている無シツケがなされてるようです。ですから道ですれ違う犬のほとんどは無シツケ犬です。
犬のシツケのこと、そして日本人の犬への常識としての非常識、さらに「犬の自由」のことは連載のシリーズ『紀州犬物語』に繰り返し書いております。日本人に出来上がっている非常識としての「常識」と格闘することに私は疲れております。
「話をして分かったことだけれど、あなたには犬はシツケられない。歯のある動物は歯を噛むために使う。食べ物を噛むために使うのならいいけれども、その歯を人や犬を噛むために使うかも知れない。人や犬を噛ませないためには、人とも犬とも接触させないことだ。」と何度も説明し、最後には怒鳴りもします。
しかし「私の犬は大丈夫です」ということで、いつもの調子で散歩に連れて行ったその犬が襲われた拍子に相手の犬を噛むということが良くあります。いまの日本人は自分が悪くても他人のせいにすることが多いですから、私に怒鳴られているうちは良いのですが、襲撃してきた犬に防衛行動をとってケガをさせても、慰謝料やら何やらで大変なことになります。事前の警句を静かに発することをつづけております。
このような人が何人いたことでしょうか。そのようなことで事故を起こした人が何人もいます。
人のことではなく犬のことです。紀州犬を理解するための参考になる事例であります。
いろいろと見た犬のうちで、目の色のことで気になりました。ある犬は目(黒目)が淡いのです。その犬の父親と母親はそうでもないのですが、何代か前に、目の色が淡いことで知られた「優秀犬」がおりました。
耳の大きさのこともあります。私が飼っていた犬にも生後6カ月ほどのときには耳が小さい犬がおりました。この犬はその後に耳が大きくなって、全体として見た目に姿形の良い犬になりました。
これとは逆に生後1年ほどで良い格好をした犬がおりました。良い犬だなあ、と思って子細に見ると耳が小さいのです。小さな細い三角をした耳が申し訳程度に頭に載っているのです。耳はその大きさ、形、厚み、そして頭に付く角度のことがあります。このどれをも満足していないのです。これでは駄目だ。犬は難しいなあ、と思いました。
斉藤弘吉氏は耳の形を三角という表現に何故したのかをずっと後になって語っております。日本犬の耳はただの三角ではダメなのです。内耳線、外耳線の在り方、耳の前傾度、耳の厚み、白毛の犬であれば耳の色、などいろいろあります。
ある犬は頭から吻につながる額段(ストップ)がほとんどなく、その吻(口吻)が細く、下顎も薄い上、上唇のかぶりが深く、これが下顎を覆っているのでした。
こうした犬の繁殖者は、ああすれば、こうなる、ということで結果を楽しみにしていたのでしょうが、ああしても、こうならない、という事実に衝撃を受けて、大いにおののいているのだろうと思います。
口吻(こうふん)についていえば、これが下がっている犬がおります。口吻が下がっていると間抜けな感じになります。秋田犬によく見られる口吻があがっている犬はバタ臭いような嫌みが残ります。白クマの口吻は下がっております。同じ白い毛の動物である白クマと紀州犬の顔を比べてどこが違うのか、見るのは楽しいことです。同じ日本犬ですが紀州犬と四国犬では口吻の状態が違います。耳の形では日本犬のうちでも甲斐犬は特別な形をしております。
頭部と口吻の出方、角度ということで、頭の大きさと口吻の太さと長さと丸さの具合など大事な項目を挙げることができます。ブルドッグのように下顎(かがく、したあごと読んでもよい)に上唇に覆い被さっているのは紀州犬では望ましくありませんが、案外にこのような唇の犬がおります。そして唇は一文字に顎の末端まで引かれているのがよいのです。
唇の結び目がムニィとひねられているのは見た目が宜しくなく、したがって面白くないのです。真っ直ぐに一文字に引かれた唇をもつ犬を口が深いといいます。下顎が大きくそれがしっかり見えて、唇が横一文字に根本(口元)まではしっている犬の顔は美しく見えます。
そしてある犬は後肢が長すぎて、関節が深いのです。またある犬は後肢が長いなか関節が普通の角度でついているために腰が上がっているのでした。
そしてまた目が矢鱈に大きい犬がおりました。普通の人は良い目だというかも知れませんが、フランス人形のような目をした紀州犬を私は好きません。
さらに毛が短く、柔らかいのおりました。これも嫌だなあ、と思って見ておりました。
皮膚病が多く出た犬もおります。このような犬を見ていると不憫(ふびん)でなりません。
目が大きくて、毛の色が白くて、身体が大きい、ということで良い犬を飼った、育てたと狂喜乱舞している人がおります。
私の飼い犬の白毛は「汚れ白」をしている
(しかしこれで良いのである。何も問題はない。問題なのはそれを問題にする人の考え方である。)
以上は余所の人の犬のことです。
写真下は生後10カ月の紀州犬の白のオス犬。耳、背中、尾の先、後足に茶色の毛が混じります。
私の犬は小さいので困ります。毛の色も汚れ白といって耳や背中や尾の先や後足の背後に茶色が多く混じっております。
この汚れ白をあえて良し、として受け入れております。
生後10カ月になって、奥手のこのオス犬はこの一月で背丈が大きくなったとはいっても、私の目には小さく見えるのです。
ある人に背丈を測って「もらった」ら、「52センチメートルで中庸です。」とう答えでした。ある人は「小さくはないですよ。飼い主は散歩中に犬を上から見ているから小さく思ってしまうのです。」というのです。
そうだろうけれどもやはり背丈は大きくはない。それに胴の長さが短いではないか。このサイズはまるでメスだ。頭も小さい。吻も細い。
そのように思って嘆きつづけているのです。
それでもこの犬はよく走るし、散歩が好きなのです。
チャカチャカしているけれどの人や犬を攻撃しません。これは未だ攻撃したことがない、という言い方が正確です。今日までは噛まなくても明日には噛むかも知れないのが犬なのです。
背丈の小さいメス犬サイズの私の飼い犬を夜になるとオシッコに少しの間、連れだします。そのときに四つ足を踏ん張って、首を挙げて、前を向かせます。駐立の訓練ようなものです。この犬の先祖はよく立つ犬なのです。2円切手になっていた秋田犬のあの姿が駐立です。
夜になって近所が雨戸を閉めるころに白い犬を連れて交差点の電灯の明かりの下で、引き綱を45度の角度にして犬を留めている姿を見た人は、何をしているのだろうと訝(いぶか)しがります。
写真を撮るために犬に良い姿をさせようということが、2円切手にある秋田犬の姿に通じるのです。背中を真っ直ぐに伸ばして、首をもたげて前をしっかり見る。そして四つ足を踏ん張り、尻尾は持ち上げて緊張させる、ということであります。
私の生後10カ月の紀州犬のような白いオス犬は腰骨の付近が盛り上がっているのです。「背は直」というのが日本犬の在り方なのです。これがそのようになっていないので飼い主の私はよい気持ちがしません。
これなども案外に取り越し苦労であることが多いのです。
生後4カ月の犬が大人の犬の体型になっていたら驚きであり、それは怪奇映画に登場する悪魔をみる思いと重なります。
犬は少しずつ成長します。良くできた五歳の犬のような姿を生後八カ月でしている犬もおります。
その犬を見て紀州犬を見慣れたあるベテランが言います。この先は崩れていくばかりであろう、と。つまりいまある均衡の取れた状態がつづくのではなく、その均衡があるいは崩れていくのではないか、という危惧であり、見方であります。
背中の盛り上がった犬、そして背中がへこんだ犬
腰骨の背中よりに盛り上がりがあるのが私の犬です。背中の真ん中が盛り上がっている犬もおります。こうした犬を背盛りの犬といいます。鯉の背中のようでもあるので、鯉背ともいいます。
背盛りの犬の背を直線のように見せようとすると、首が持ち上がらないようです。腰骨、背骨、首の骨が連動しているために、背盛りの犬は首を持ち上げると背中が盛るのでしょう。背中を真っ直ぐに伸ばすと首があがらないのです。
背線がへこんでいる犬もおります。こうした犬は背線が緩いなどともいいます。こうした犬は首を持ち上げると背線のへこみがもっと大きくなります。
犬の骨格と筋肉の付き方はその立ち姿を決めるといってよいでしょう。
言い出せば切りがありません。
胸の狭い犬、肘が外転している犬、ほか
前足(前肢)の付き方も幅が広いのとか狭いのとか、肘の付き方が外転しているのもいるし、内転の犬もおります。
胸の深さ、その落ち具合が足りない犬はみすぼらしく見えます。逆に足が短くて胸が深すぎると軽快感がそがれます。
後肢の在り方も前肢に準じます。後肢に関しては「紀州の尻枯れ」という言葉があります。前胸が良く発達しているためにお尻と腰が細く見えるということを指します。
私の生後10カ月の飼い犬は腰ががっしりとしているので、「紀州の尻枯れ」の状態にはありません。前胸と前肢が力強くなるにしたがって「紀州の尻枯れ」が出現するかも知れませんが、それは分かりません。
前後肢の関節の角度、その長さ、そして力強さなども、良い姿を形成する大きな要素になります。
繁殖におけるオス犬とメス犬の系統の組み合わせの在り方。
犬の善し悪しのその内容の詳細のことは良くはわかりません。
親しくしている好ましい犬飼の人が言いました。
「横田さん、犬の繁殖をあれこれ難しくいう人がいますが、あの犬がいい、この犬がいい、とうことで犬を見てその組み合わせをするのが一番です」と。
この人は柴犬で大臣賞を獲った犬を繁殖した人です。
別の威張り腐る人がおりました。俺は何でも知っている、とばかりに人を見ると能書きを垂らし、説教をして、子分を集める人でした。この人は結局は評価される犬を繁殖することができませんでした。
血筋のこと、ほかの事で自分勝手に物語をつくって、その物語の世界に埋没するのだと思います。物語は架空とかフィクションでもあります。それが高じると宗教的世界になり、言葉は教義になります。
この教義にも似た言葉を良く耳にします。
私とは縁のないことですから、ほとんど聞きませんし、理解もできません。
しかし、それでも血液とか系統はある意味で犬を生み出します。血液、系統抜きで犬の繁殖はなく、とくに紀州犬の場合にはそうであるように思っております。
血液を読み解き、系統を計算して、これだ、ということで繁殖したその犬が、見るも無惨な近親交配の弊害だけが露呈する現象をみております。
最近見た事例では、少しだけ血の離れた後輩によってそれなりに良い犬が生まれたと思って見ております。
紀州犬の場合には、血液と系統が犬を生み出す要素が極めて大きいという現実があるように思います。
何も分からない私ですが、この方面の観察は少しだけしております。
日本犬の被毛、紀州犬の被毛、そしてその色のこと
私の犬は、毛の色も汚れ白といって耳や背中や尾の先や後足の背後に茶色が多く混じっております。「紀州の汚れ(白)は良助まで」という言葉があります。良助の背中などの汚れ白は相当に茶色に汚れていたのです。
夏場にはまるで茶色の紀州犬が冬になって綿毛が生えると白く見えるようになります。紀州犬の背中に生えている汚れ白の茶色の剛毛は茶色いのは毛の先だけであるのです。根本は白で先に行くにしたがって茶色になるのです。
有色紀州犬(胡麻毛など)の被毛(剛毛)は、根本が白、途中が赤であれば、先が黒、途中が黒であれば先が赤である、といった具合になっております。こうした毛の状態を三段被毛といいます。
白毛の紀州犬の綿毛は白いのです。有色紀州犬の綿毛も大体は白です。
夏場になると白毛の紀州犬が茶色の犬に見えることがあるのは綿毛が抜けてしまうためなのです。有色紀州犬でも夏場の毛色は綿毛が抜けているために濃く見えるなどして、色の冴えがなくなります。
犬科の動物のキツネやタヌキの被毛
狼は犬科の動物です。狼と犬は交雑させても継続繁殖できますので、かなり近い種であるようです。キツネやタヌキは犬科の動物です。
キツネとタヌキの被毛は犬の被毛によく似ております。剛毛と綿毛で構成され、剛毛は犬と同じように三段被毛です。
自然のなかの色を人は単純にしてとらえるようであります。
色は紅葉の手の形をしたその葉の色は葉脈が走るところはうす緑色であり、枝につながる茎は薄赤色です。葉の裏側は表よりもずっと薄い緑色です。
紀州犬の白毛のその白さの在り方
人は白い犬は白い犬だ。紀州犬は白い犬だから白いはずだと考えてしまいます。白クマはどこかで汚れたのかクリーム色をしております。このクマを白クマというのです。紀州犬は見方によれば薄茶の犬かも知れません。しかしこの薄茶の紀州犬を白い犬だと人は思って決めてしまっているのです。
だから白い犬の紀州犬はどのような混じりけもなく白い犬でなけらばならない、ということになりがちです。スピッツとか幾つかの白い犬の毛色は純白といって良いほどに真っ白です。しかし紀州犬はそうではないのです。そしてそうであってはならないのです。紀州犬は人のイメージとしては白い犬だけれども、子細に見ると白い犬ではないのです。
それは色は紅葉の紅葉前の緑の葉を単純に緑一色と考えて見てしまうことに似ております。
紀州犬は原種性を重んじるべき犬であります。原種性はまた原始性とか、本来あったその状態をとくに重んじて繁殖するべき犬であります。私はそう思いますが、それは違うという意見があると思います。
シェパパード犬の元になった犬は現在のシェパードとはほとんど似ておりません。牧羊犬がもとですが、普通の犬と思ったらようでしょう。この犬が人によって色々と手を加えられたために骨格構成まで変わってしまったのです。
紀州犬など日本犬の保存と関連する繁殖の方向は、日本犬標準と離れてはなりません。身勝手な解釈が重なって繁殖が継続すると犬が変わってしまいます。どうあるべきかじっくりとゆっくりと考えて行かなくてはなりません。
人の配慮が足りなくて別の犬種と交雑して崩れてしまった状態をとりあえずは元に戻すことから始まったのが日本犬保存運動の一つの経緯でありました。より原種に近い犬を見つけ出して、その犬を元にして繁殖を繰り返して、本来あるべきと思われる姿と精神の在り方を追い求めて来たのであります。
紀州犬の世界では戦後間もないころには有色紀州犬が七割か八割程度の割合で生き残っておりました。それが現代では白毛の紀州犬が九割ほどになっていると思われます。有色紀州犬は紀州犬の毛色と毛質の本来の姿と状態を次世代に引き継ぐために大事な犬であります。私なども繁殖の過程に有色犬を用いております。
紀州犬の白毛は黒い紙を白い絵の具で塗りつぶしたような白ではない
紀州犬にはほとんど真っ白な毛色の犬もおりますが、自然な状態の紀州犬の白毛とは耳、背中、尾、後足の裏などにうっすらと茶色が混じる犬のことなのです。白い綿の綿毛が抜けた夏場には剛毛の先の茶色が目立つようになって、茶色の犬になってしまったと思うことがあるはずです。紀州犬は真っ白な犬だという思い込みを捨てなくてはならないと考えるのです。
それでも紀州犬は白い犬だから、その被毛は汚れたような茶色などが混じっていてはならず、「純白」でなければならないと、そうした白を要求する人がほとんどです。
こうした要求に迎合する傾向があるように思われます。この傾向が続くと紀州犬の被毛の退化や後退につながるかも知れません。
「日本犬の素朴な侘びと寂び」のこと
日本犬保存会の副会長で、日本犬保存会神奈川支部長であった金指眞吉氏は、日本犬の在り方を次のように説きます。然り(当然、そうだ)、と思っております。
日本犬(語録)
一に 気魄(きはく)で
二に 眼(まなこ)
三に 被毛(ひもう)の色と質
四に 軽(かろ)やかな脚捌(あしさば)き
五六は 素朴(そぼく)な侘(わ)びと寂(さ)び
以上のようなことでありますが、「素朴(そぼく)な侘(わ)びと寂(さ)び」とは、その精神世界は飼い主に素直に寄り添う姿を想像させます。「軽(かろ)やかな脚捌(あしさば)き」は、日ごろ運動をよくして、締まった体つきをしていないことによってなしえます。外に出るとビクビクしている犬もおりますが、自然体で堂々としていることが良いですよね。
「眼(まなこ)」は犬の味わいでもあります。「被毛(ひもう)の色と質」は日本犬にとって大事であり、ある種の要件のように黒なり茶色の一段被毛ですと毛色がテカテカと光ってしまいます。黒毛の日本犬では鉄さび色が望ましく、鉄さび色の被毛になるためには白、茶、黒の三段被毛であるうえに、綿毛が密生していることが条件になります。柔らかにして密生している綿毛と強い剛毛があってこそ被毛の美しさが実現します。
紀州犬の鼻の色、そして眼縁や唇の色について
白い犬の鼻は白いといいますか、肌色といいますか、そのようになりがちです。白毛の柴犬の鼻の色は肌色になるのが多いという事実があります。よくて茶色程度です。なかには黒い色をしたのもいるかも知れませんが見たことはありません。子犬のころには黒くてもやがて茶色になり、肌色に変わっていくようです。
眼縁の色素についても鼻の色と似たような状態であり、唇の色についてもこれに準じます。眼縁の色、唇の色がともに真っ黒な白毛の柴犬は見たことがありません。
紀州犬であれば鼻の色、眼縁の色、唇の色がほとんど真っ黒というのはよく見ております。紀州犬の場合にはこれが真っ黒でなければならないという規定にはなっておりません。規定とは日本犬保存会や紀州犬保存会の標準に関してのことです。
子犬のころの紀州犬はの多くは鼻の色、眼縁の色、唇の色が黒いのですが、、成長するにしたがって色が薄れていくようであります。また季節によって色が変化することがあります。鼻の色などは冬季には薄くなって夏季には濃くなる傾向があります。これらには例外がありますから、どれも絶対ということではありません。
皮膚病などがありますとその部分が白みを増すなどの変色を見せるのは犬を飼った経験がある人は知っていることだと思います。
鼻の色、眼縁の色、唇の色、肌の色など、いつもの状態との違いがあればその差を確認しておくことは良いことだと思います。病気の診察と治療は獣医師が扱う領域ですから、私がここに踏み込むことはできません。
色素に関しては、肛門の皮膚の色のことがあります。肛門が真っ黒な色をした白毛の紀州犬がおりますが、大概は肌色です。四肢の先の指のところの肉球の色についても白毛の犬の場合は肌色であることが多いですが、黒い色をしている犬もおります。また爪の色も肌色ではなく、、茶色い色をした白毛の紀州犬がおります。胡麻毛の紀州犬の場合には爪の色は全部が黒くなるのではありませんが、かなりの程度黒い爪をしております。
犬の皮膚病とその治療と予防のことなど
健康は犬とのよい生活をするために重要な要素であります。健康な犬は飼い主にとっては何よりありがたいことです。
どのような犬も注意深く見ると皮膚病はでているようです。
毛をかき分けて地肌を念入りに観察しますと、何カ所かにかぶれが見つかるのが普通です。
飼い犬を風呂場で丁寧にシャンプーしてやると、アレッこんなところに皮膚病が出ている、と皮膚病を発見するのが常です。
ある人は皮膚病の治療のために動物病院に週に3回通い、そこではシャンプーをするのだそうです。薬用のシャンプーを使うのですが、1回のシャンプーで5千円を超えます。
そのようなことを知っている私は、飼い犬である紀州犬の皮膚病が気にかかるときには積極的にシャンプーをします。薬用のシャンプーを使う場合もありますが、人用の入浴石鹸で三度ほど洗い流してやります。そうしますと効果がそれなりに確認できます。
ある犬の場合には背中に数カ所あった皮膚病のカサブタが綺麗に取れて、やがて健康な皮膚になりました。別の犬の場合には耳の中が赤くただれて、赤黒い耳垢がびっしり付いておりました。耳を中をぬるま湯で丁寧に洗ってやりましたら、数日して耳の内側の皮膚が剥がれて綺麗な地肌がでてきました。
アレルギー性の皮膚病には副腎皮質ホルモンが配合されている軟膏を塗布するのが治療方法のひとつでありますが、薬代が高いことや、皮膚病の範囲が広い場合にはこうした軟膏で対応するのは大変です。
手間がかかりますが丹念にシャンプーしてやる皮膚病治療や対策は相当に有効であります。
飼い犬の病気への対応には飼い主によって程度の差がありますので、その分野に踏み込んでのお話しをすることはできません。
(読み返しておりません。誤字、誤変換、その他の不都合をご容赦ください。)
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紀州犬物語(83) 紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英。
(タイトル)
紀州犬 ウメの出産と育児。(その1)
(犬の交尾とメス犬の妊娠のこと(紀州犬の妊娠とその事情))
第83章 紀州犬物語。紀州犬 ウメの出産と育児(その1)。 執筆 横田俊英 |
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←ホームへ 紀州犬の子犬譲ります(1) 紀州犬の子譲ります(2) 紀州犬(1) 紀州犬(2) |
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お渡しできる 紀州犬の 子犬
○紀州犬の子犬 白、オス 2012年1月初旬生まれ オス犬 その1。
○紀州犬の子犬 白、オス その1 2012年6月14生まれ (オス犬 その1です)
○紀州犬の子犬 白、オス その2 2012年6月14生まれ (オス犬 その2です)
○紀州犬の子犬 白、オス 2012年7月21日生まれ オス犬 その1。
○紀州犬の子犬、胡麻毛 2012年7月21日生まれ オス犬 その1。
○紀州犬の子犬 白、メス 2012年7月21日生まれ メス犬 その1。
○紀州犬の子犬、白、2012年8月26日生まれ(オスその1)
○紀州犬の子犬、白、2012年8月26日生まれ(オスその2)
○紀州犬の子犬、白、2012年8月26日生まれ(メスその1)
○紀州犬の子犬、白、2012年8月26日生まれ(メスその2)
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