湯俣温泉「晴嵐荘」の都はるみとオーディオ 執筆 甲斐鐵太郎
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湯俣温泉「晴嵐荘」の都はるみとオーディオ
湯俣温泉「晴嵐荘」の都はるみとオーディオ。
湯俣温泉「晴嵐荘」の都はるみとオーディオ
湯俣温泉「晴嵐荘」は大音量で都はるみが。
湯俣温泉「晴嵐荘」の都はるみとオーディオ
湯俣温泉「晴嵐荘」の内湯は濁り湯。
(タイトル)
湯俣温泉「晴嵐荘」の都はるみとオーディオ 執筆 甲斐鐵太郎
(本文)
音楽を聴く。車でかけていたCDは面白くないものだった。「八ヶ岳シンフォニー・フォレスト」という音楽だ。機会があって家のオーディオにそのCDを載せたら面白かった。静寂を表現するシンフォニーを騒音が混じる車のなかで聴くのは音楽の持ち味を消すことだった。
クラシックのオーケストラの音は小鳥の小さな小さなさえずりを表現することがある。「八ヶ岳シンフォニー・フォレスト」はそのような音楽だった。シンセサイザーによって演奏する音楽だから彩り豊とは言いにくい。「八ヶ岳シンフォニー・フォレスト」はそういう音楽だった。
「八ヶ岳シンフォニー・フォレスト」をかけたのは安らぎを醸すためであった。穏やかな旋律の流れはいたずらな刺激しない。急に大音量になったりアップテンポに切り替わることがないこの音楽は呼吸に調和し身体を緩やかな状態にする。
ユーチューブの音楽ソースを再生して楽しもうと考えてBOSEの小さなアンプと金網で囲われた本ほどの四角いとスピーカーにアンプを組み込んだ大ぶりのウーハーの組み合わせて使った。パソコンのスピーカーの音とは比べものにならない良い音がでる。
これを弾みにパソコンを据えてあるところにはオーディオを配置した。ノートパソコンを持ち運んでは機器につないで音楽を聴きユーチューブの動画もみる。
捨ててしまおうと考えていた小さなスピーカ-を鳴らすとモヤッとしている。それならばと少し大きいのを持ちだす。なかなか良い。ヤマハのスピーカーの名のとおったのは素人のオーディオファンを満足させるには十分だ。
アンプは10台をこえる数がある。一人では持ち上げることができないほどのNECのアンプは別荘に運ぼうと玄関先まで移動したが何年もそのままだ。
組合わせて使うヤマハの30㎝ウーハーが組み込まれた1000という数字のスピーカーは単体で31kgもあうから二階にはとても持ち上げる気力はない。アンプも重すぎるから同じだ。素直な音のこのアンプと30㎝ウーハーが付いた金網の保護が付いたのとを組合わせて使っていた。スピーカーは家具の上に隙間があったので横にしてあった。降ろすのも面倒だからアンプは下において使うことになりそうだ。置き場がないとはいえ重いスピーカーをよくも持ち上げたものだ。火事場のバカ力にであった。
オーディオと音楽のことで印象深いことがある。
北アルプスの裏銀座コースを富山側から歩き、薬師岳(やくしだけ、標高2,926m)に登って雲ノ平に降りてテント泊した。これが二泊目。真上で雷が炸裂する夜を過ごすのは気持ちの良いものではなかった。雲ノ平から黒部五郎岳(のぐちごろうだけ、標高2,840m)をへて三俣蓮華岳(みつまたれんげだけ、標高2,841m)に登った。テント泊がつづくと披露する。山が嫌になって行程を半ばにして伊東新道を青嵐荘まで下った。
伊東新道はこの夏の下山から4年後には廃道となった。登山地図に明瞭に記載された登山路であるから道の荒れ具合に首をかしげた。伊東新道を下ったのは1979年の夏のことである。このときすでに廃道といってもよい状態であった。川沿いの高巻は傾斜がきつい上に踏み跡がない。砂が崩れれば遙か下の湯俣川に墜落する。ザイルの携行などない登山であるから運を天にあずけての下山であった。現在(2018年8月現在)伊東新道を再建する動きが伝えられているが、伊東新道の現状ルートが途中でとぎれている。
湯俣温泉の晴嵐荘の空には青空が広がっていた。晴れた午後の山小屋で人心地ついた。
晴嵐荘では都はるみのレコードを大音量で流していた。CDのない時代である。レコードから直に音を取っていたのかテープを回していたのかは覚えていない。ずっと都はるみなのである。音楽はよいものだと思った。それは娑婆はよいということなのかも知れない。晴嵐荘の老夫婦は都はるみが好きなのである。そのオーディオはどのような内容のものだったか覚えていない。誰はばかることなく大音量で都はるみを流しているその無邪気さがよかった。婆さんが「あなたのお母さんは身体が大きな人でしょう」といった。その通りなのだが何故わかるのだろう。湯晴嵐荘は代替わりして営業している。俣温泉はで営業しているのは現在は青嵐荘だけである。
宿泊者に昆虫好きの青年がいた虫をひょいとつかまえて何々だと説明する。虫をみるために晴嵐荘に滞在したのだろう。青嵐荘を下ったところに葛温泉があり、その先に高瀬ダム。高瀬ダムは大町につながる。
槍ヶ岳から穂高岳に向かう登山を途中でやめての大町方面への湯俣温泉に下った。余った日数を葛温泉でくつろいだ。大町は立山(たてやま)登山、剱岳(つるぎだけ)登山ほかで何度も足を運ぶことになった。
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(写真と文は甲斐鐵太郎)
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