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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その16-
思い出に残る出来事 米兵との出会いに思わず涙

私の履歴書 安斎正一(計量士)-その16-思い出に残る出来事 米兵との出会いに思わず涙

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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その16-思い出に残る出来事 米兵との出会いに思わず涙

思い出に残る出来事 その3 米兵との出会いに思わず涙

日本人は甘い

 1990年5月に妻と妻の両親を伴ってハワイ旅行をしたとき、元日本軍人であった妻の父からの要望もあって真珠湾に参拝に行くことになりました。

 真珠湾遊覧船には約百名の乗客が乗り合わせ、アメリカ人と日本人の乗客は半々ぐらいでした。

 遊覧船が出帆すると間もなく「ビァー、ビァー」とビール売りが来たので私達もビールを飲みながらのんびりと真珠湾の景色を眺めながらスピーカーから流れるガイドの説明を聞いていました。ガイドは先に英語で説明し、その後日本語と続いたのですが、次第に日本空軍の真珠湾攻撃の状況を英語説明に入ったとき船内乗客の雰囲気が豹変したのです。

 アメリカ人は一斉に起立して胸に手を当てて祈っているように見えたので、日本人も思わずビール飲みを止めてそれに続いたのでした。

 私には激しい英語口調での説明「ジャパニーズ#☆△-」いわゆる日本空軍のゼロ戦がダイアモンドヘッド方面から急襲してきたと言っていることが、手にとるようにわかったのです。

 確かにこの時、周辺を見渡すと手にビールや食べ物を持っているのは日本人だけで、アメリカ人は最初からお墓参りに来るような敬虔な心構えで来ていたのです。

 それに比べて日本人は、観光気分が優先して飲み食い気分で行ってしまったことを恥ずかしく感じて、自分を含めて“日本人は甘い”と悲痛な反省をしたのです。

朝鮮半島停戦ラインの最前線に赴任する米兵との出会い

 2003年8月アラスカ旅行の帰路アメリカ・ポートランドを経由したときに私の右隣に身長が2メートルもあろうかと思われる20歳ぐらいの黒人の大男が座っていました。

 旅は道づれと隣の黒人に持ち合わせた日本のお菓子を勧めながら下手な英語で話し掛けてみました。バスケットボールで有名なマイケル・ジョーダンに似てますね…と冗談まじりで言ったつもりでしたが、黒人は意外と暗い表情で言葉少なでした。

 その後暫くしてから、「貴方の職業は何ですか」と訊ねてみました。その時、彼はアメリカ軍人で、「これから一年間朝鮮半島停戦ラインの板門店などの最前線に赴任するので、成田を経由して韓国の仁川(インチョン)に向かうところで、かなりナーバスになっていて申し訳ありません」と言ってきたのです。

 私は思わず彼のあどけなさの残る横顔を見た途端に涙が溢れてしまい、膝に掛けていたブランケットを頭からスッポリ被って約30分間涙が止まるまで眠った振りをしていて、涙が一段落した後に左座席の妻に事情を説明したのです。

 私達日本人には現在徴兵制度も無く、子供のころにあった戦争のことも忘れてしまった私が美味しいお酒を飲みながら海外旅行をしている間にも、このように誰も行きたくない戦場に命がけで行かなければならないアメリカの若者がいることを知って、隣席のこの若者に何ひとつ労(ねぎら)いの言葉も掛けられない自分の気持ちがたまらなかったのです。

 やがて成田空港に到着して、私達が到着ゲートへ急いでいたときにあの米兵が若いアメリカ人女性と笑顔で対面している光景に直面し、その女性が彼の彼女なのか韓国から出迎えに来た女性なのかは知る由もありませんでしたが、その光景が何か私をホッとした気持ちにさせてくれたのでした。

(つづく)

私の履歴書 安斎正一 目次
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その1-本欄の執筆をなぜ私が?
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その2-私の職場
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その3-私が生まれた日と父母兄弟について
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-夜間高校生と計量士との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その5-大学進学と空腹の日々
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その6-妻との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その7-寺岡精工へ入社
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その8-計量教習所と計量士資格取得
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その9-計量士資格取得
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その10-計量士会入会から役員35年間続く
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その11-寺岡精工CIは「新しい常識を創造する」
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その12-思い出に残る出来事 人命救助…お手柄少年安斎正一君
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その13-思い出に残る出来事 中学校の校長は「君は大きくなったら、偉い人になる」
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その14-私の内外の友 セブン銀行社長安斎隆氏は私と同郷、同級、同姓の仲
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その15-私の内外の友 アメリカ、マレーシア、オーストラリア、カナダ、香港に友あり
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その16-思い出に残る出来事 米兵との出会いに思わず涙

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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その2-私の職場
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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その4-夜間高校生と計量士との出会い
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その5-大学進学と空腹の日々
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私の履歴書 安斎正一(計量士)-その12-思い出に残る出来事 人命救助…お手柄少年安斎正一君
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その13-思い出に残る出来事 中学校の校長は「君は大きくなったら、偉い人になる」
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その14-私の内外の友 セブン銀行社長安斎隆氏は私と同郷、同級、同姓の仲
私の履歴書 安斎正一(計量士)-その15-私の内外の友 アメリカ、マレーシア、オーストラリア、カナダ、香港に友あり
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私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版)

私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版)-その1-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第1編 公務員人生を歩みだす
千葉県中の「ハカリ」を検査を一人でする。新品は係長が検定をやる。日曜もなしだ。

私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版) -その2-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第2編 度量衡法末期の実状
「国敗れても度量衡行政は敢然として実施する」難行を経験者として語り継ぐ

私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版) -その3-
第一章 私の歩んだ道-公務員として信念を持って 第3編 新しい夜明け、計量法の歩み
1960年代以降、人口急増と工業県に変遷していく中での千葉県の計量行政に全身全霊で取り組む


私の履歴書 高徳芳忠 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録(日本計量新報デジタル版)

神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録-その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

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