日本計量新報一面記事です。2018年07月01号(3200)1面 |
私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その18- 川崎製鉄(株)最初の職場は計量整備掛 「始めは現場で人と計測機器に接するのが一番の近道だよ。これ程恵まれた仕事の与えられ方はない」 現場に配属される 川崎製鉄(株)に就職して最初の職場は、計量整備掛であった。 最初課長から、「高徳君は計量整備掛に行ってもらう」と聞いたときは一瞬がっかりした。新設備の計装設計に憧れていたからである。 けれども、一年前の実習のとき親切に教えて下さった人が、「いや始めは現場で人と計測機器に接するのが一番の近道だよ。あなたにとってこれ程恵まれた仕事の与えられ方はないよ」と忠告してくれた。 その後20年・30年続いた大きな意味での計量管理の仕事のスタートとしては、良い処に回してもらえたと、今でも当時の課長に感謝している。保全・整備の現場で直に計測機器にさわれたこと、大学を出たばっかりの青二才の私に作業長以下の現場の人達が実に親切に教え、また従ってくれたからである。 あれもこれもが勉強の毎日 受け持ちの主設備は、製鋼関連の平炉工場と建設途上の転炉で、これらに酸素を送る酸素工場と、副原料である石灰工場が付いていた。1000ループの計測機器があっただろうか。交替勤も入れて30名位の部隊を受け持つ技師となったので、正直言って初めは解らぬ事が多く、作業長や班長には助けてもらった。 とはいっても技師である以上、私も毎朝1時間は早く出かけて取扱説明書等を勉強したものである。土日も休日もなく働き、1~2カ月に一日くらい休んだであろうか。とにかく、製鉄所というのは365日溶鉱炉から溶銑が出っ放しで、全ての設備が止まるということがない。何かといえば若者が使われるのだから、仕方がなかった。正月も出かけて行くと、そこは人間社会、餅が焼けたから食べに来いとか、汁粉を作ったので寄って行け、と誘われたものである。 最初の仕事は溶鋼の温度測定 私が就任した当初、溶鋼の温度測定にはカーボンスリーブに保護された0.5mmΦのR熱電対が用いられていた。重くて、慣れない私では持ち上げるのがやっとで、それを炉の溶鋼の中に浸漬するのは到底無理な話であった。また、これはCOガスによる汚染によって熱電対が劣化し起電力が落ちてくるので、3回使えば我々の仲間が先端を切り取っていた。重いし、手間がかかるし、測温結果はバラツキがあるなどの難点があったが、当時では最新の技術に違いはなかった。 R熱電対の技術習得 当時は、このR熱電対にしても、入荷時には必ず検査を必要とした。日本にはメーカーがなく、輸入業者も信用がいま一つで、放っておけば何が入ってくるか解らない時代であった。 この入荷検査は、学振(日本学術振興会)製鋼第19委員会第2分科会推奨のパラジウム線溶融法によるもので、プラス・マイナスの素線の先にパラジウム線を付け電気炉の中心部に降ろして溶融させ、その時の温度を読み取るというもの。細心の注意を要する難しい作業である。私はまずこのテクニックを体得し、製鋼担当の技師として一人前になった気がしていた。 (つづく) 私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その18- 川崎製鉄(株)最初の職場は計量整備掛 「始めは現場で人と計測機器に接するのが一番の近道だよ。これ程恵まれた仕事の与えられ方はない」 |