「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2018年8月16日号「日本計量新報週報デジタル版」 2018年7月15日以後の気になるニュースです。(計量計測データバンク デイリーニュース) 石川遼選手会長が距離計測器を誤用し失格。スポーツ報知。スポーツ報知2018年08月06日06時10分。 大相撲の地方巡業をモデルにした男子ゴルフ「フューチャーツアー」のサトウ食品招待が5日、新潟・紫雲GC飯豊Cで行われ、選手会長の石川遼(26)=カシオ=は、誤って距離計測器を使用したとして失格となった。レギュラーツアーと異なり、プレー機会が少ない地方大会は距離計測器の使用が認められる場合があるが、今大会は使用不可だった。 石川遼-Wikipedia 阿波おどり開幕 運営めぐる混乱深まる。NHK NEWS WEB。2018年8月13日 6時12分。 「2018徳島市の阿波踊り」12日幕開け15日までの4日間。徳島新聞。 阿波おどり 運営めぐり混乱続く中で開幕。NHK NEWS WEB。2018年8月12日 19時03分。 JR高山線 飛騨金山―下呂の運転再開。岐阜新聞。2018年08月12日 07:33。 武術の達人(身体をどのように使うか) 三船久蔵 73歳時代 柔道 柔よく剛を制す 動画 塩田剛三 合気道 何故そうなるのか 動画 武道家 日野晃 熊野道場にて 前編 動画 武道家 日野晃 熊野道場にて 後編 動画 古武術研究家 甲野善紀 体の使い方(その1)動画 古武術研究家 甲野善紀 体の使い方(その2)動画 |
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(棒線の引いてあるタイトルをクリックするとリンク内容が表示されます) 中部7県計量協議会 各県の代表などによる議事協議の内容(2018年7月5日開催) 中部7県計量協議会功労者表彰ほか議事内容(2018年7月5日開催) 中部7県計量協議会開く 7月5日(木)静岡市のホテルアソシア静岡で |
社会の統計と計量計測の統計【分類13】日本の計量法と計量関係法規 |
私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御 千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは忘れることができない |
日本計量新報一面記事です。 2018年07月29日号(3203)1面 2018年07月22日号(3202)1面 2018年07月15日号(3201)1面 2018年07月01号(3200)1面 |
私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御 千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは忘れることができない 電子計算機による制御 計測の目的は制御にあり 昭和30年代の製鉄業は、平炉での酸素使用(高炉から出てくる銑鉄は炭素が多いので、それを酸素で脱炭する)が拡がり、後に転炉へと換わっていき、さらにその転炉が大型化・高速化していった時代であった。 1962(昭和37)年に私が千葉製鉄所の製鋼地区計測担当になった時には、もちろん50tの平炉は6基が健在でフルに操業をしていたが、新しく150t転炉が2基設置され、注目のうちに運転を始めていた。精錬時間は、当初は30分弱であったろうか。 転炉とは、高炉からの溶銑の炭素を取ると共に次工程に適した温度にするのが目的の炉である。当然のことながら、この精錬時間を短くしたい。温度が合わず、成分が外れたことによる再精錬も無くし、生産性を上げたい。そのためには、コンピューターを使うべきだ、との提案がなされた。今から思えば驚くばかりの小さなもの、不便なものだったが、当時は、大きな関心と興味を持って見られていた。 もちろん静的モデル式でスタートした、物質収支と熱収支を基本とするモデル式で、使う計量値は溶銑温度・成分、スクラップ重量など。これらの値から、目的とする出鋼温度・成分を得るために使用する酸素ガス流量と副原料の投入量を計算する。 計算結果通りに操作をして的中するか否か、グラフと計算尺を使って人間が行う制御との競争であった。外れた時は、式のあちこちの係数を変えてまた挑戦。的中率は次第に上がっていったのであった。 制御が次の計測を要求する 後になって、投げ込み型温度計が現れ、精錬途中の温度と共に溶鋼の一部を採取してその凝固温度より炭素含有率が計測される「カーボンデターミネータ」が用いられるようになった。これまでの静的モデルに換わって動的モデルが採用されるようになり、的中率はさらに上がっていった。 さらに、温度を測ると同時に溶鋼をサンプリングして分析装置まで届ける、文字通りのオンライン分析(サブランス)が取り入れられると、的中率は飛躍的に向上した。この頃のセンサーの開発とその利用装置の適用には、特に目を見開くものがあった。 通産省の通達の永遠性 1950(昭和25)年に通商産業省より出された『計量管理』に関する通達には、当時のことゆえに「制御」という言葉こそ使われてはいなかったが、「測定結果を生かして……合理化を進めてゆく……」という内容は、制御と何ら変らない。計測と情報伝達の早さと制御技術、この3つが一体となって進められるところに合理化と品質向上が達成されるのだと、この頃より感じ始めていた。先述の通達は単に時を得たものとしてのみでなく、普遍性、いや永遠性をも持ったものとも受け取られる。 これに反して、昨今の計量法に関する経済産業省の姿勢は、1950(昭和25)年頃の産業育成・ものづくりに熱意が込められていた姿は微塵もなく、ただ消費者志向のみに走っている感があり残念に思われてならない。 先の通達に関しては後日紹介したいが、私の中ではこの『計量管理』が生き続けている。 驚異の電算機技術 登場した計算機は、確か主記憶容量が16kw(キロワード、1ワードは8ビット)、補助記憶容量が256kwであったと記憶している。 その後これらのプロセス用コンピユーターは32kw、64kwとレベルアップしていったが、いずれも機械語でプログラムを作り、パンチカードを用いて入力するものであった。 その後は、コンピューターのプログラム言語にフォートランが出てきて、何事もずいぶん楽にできるようになった。昨今のウィンドウズのエクセルの計算能力や、小さくて大容量のH/W(ハードウェア)は、当時からすればまさに夢の世界である。 私もその後、神戸の本社工場に帰って計量管理の本筋を歩むことになり、自らデータロガーやコンピューターを用いたシステム開発に携わったが、この当時の千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは、今も忘れることができない。 (つづく) 私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御 千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは忘れることができない |