明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その6- Higher Education in the Meiji Era by The era in which Aikitsu Tanakadate lived Part 6 南部藩福岡では田中館愛橘の祖父の姉が相馬大作嫁いでいた 幕末の動乱のなかにあって南部藩福岡では田中館愛橘の祖父の姉が相馬大作嫁いでいた。相馬大作とは江戸での名前である。実名は下斗米秀之進将真(まさざね)。相馬大作は弘前藩主津軽寧親を襲撃する計画を実行に移す。襲撃は察知されて未遂となる。南部騒動 (檜山騒動)あるいは相馬大作事件である。 明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その6- |
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明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その6- 南部藩福岡では田中館愛橘の祖父の姉が相馬大作嫁いでいた 江戸での名、相馬大作の実名は下斗米秀之進将真(まさざね) (タイトル) 明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その6- (本文) 田中館愛橘の祖父の姉が嫁いだのが相馬大作 実名は下斗米秀之進将真(まさざね) 幕末の動乱のなかにあって南部藩福岡では田中館愛橘の祖父の姉が相馬大作嫁いでいた。相馬大作とは江戸での名前である。実名は下斗米秀之進将真(まさざね)。相馬大作は弘前藩主津軽寧親を襲撃する計画を実行に移す。襲撃は察知されて未遂となる。南部騒動 (檜山騒動)あるいは相馬大作事件である。相馬大作は捕縛されて小塚原で打ち首になる。相馬大作は蝦夷地の警備が手薄な状態ではロシアの侵攻を許してしまうことを憂い、自らもその警護に当たるべく南部藩福岡に私塾をつくっていた。北海道へ乗り込んでの開墾、対露防護の実務訓練をする私塾に200人ほどが集まった。田中館愛橘の祖父は軍師であり剣法指南をここでしていた。松下村塾より20年も前のことである。南部藩福岡の松下村塾と考えてよい。 吉田松陰は北辺の視察を兼ねて下斗米秀之進将真による襲撃現場訪ねていた 相馬大作の弘前藩主津軽寧親襲撃は「南部藩と津軽藩の因縁めいた過去のこともあるが、津軽藩主が蝦夷地警護に消極的で手を抜いていることをたしなめ、世に知らしむるための行動であった。吉田松陰は北辺の視察を兼ねて襲撃現場訪ねており、現地の人の話を聞くなどした結果「武術を学ぶ一方で世界情勢にも精通した人物。単なる忠義立てではなく、真意は国防が急であることから、両家の和親について自覚を促すことにあった」と述べている。これは吉川弘文館『国史大辞典』に記載のもの。吉田松陰は北辺の視察を宮部鼎蔵と一緒に行う。この旅では水戸に投宿して水戸学に接する。水戸では嘉永4年(1851年)12月19日から翌年1月20日まで永井政介の家に滞在した。会沢正志斎や豊田天功に師事した。 下斗米秀之進将真が吉田松陰に与えたもの 度量衡制度確立を建議した松平春嶽 吉田松陰は相馬大作の行動に自分の思いを重ねてその行動を是とする。吉田松陰は朝廷に開国の勅許を求めて上洛する使節を攻撃する計画を立てた。松陰は思いを世に知らせたためにかこのことを獄にあって話す。このことによて処刑される。 越前藩士の橋本佐内も吉田松陰とほぼ同時期に安政の大獄で処刑される。安政の大獄で越前藩主の松平春嶽は隠居の処分となり藩主の座を追われる。明治政府になった明治元年(1868年)3月に度量衡制度を確立すべきことを建議したのが松平春嶽であった。春嶽は雅号であり松平慶永が正式な名である。松平慶永は徳川慶喜と縁のある徳川家の人である。その松平慶永は西洋事情に通じていた。 日本がこのままでは欧米列強の植民地になってしまうと考えた徳川慶喜、吉田松陰、相馬大作 このままでは日本が欧米列強の植民地になってしまう、というのが幕末の英明な人々に共通した思考であった。徳川慶喜しかり、吉田松陰、相馬大作も同じである。井伊直弼もまたこのことがわかっていた。反幕府いや反幕閣勢力を手段を用いずに抑え込んで列強の開港に応じ、順次手立てを打っていく積もりであった。先々のことは計画されたものではなく場当たりであった。徳川慶喜にしてなしたことは井伊直弼と大して変わらなかった。場当たりといってよい行動である。薩長土肥などの反幕府勢力と徳川慶喜の徳川幕府の間には曲折があって緊張もしていた。尊王攘夷の建前と開国の現実の間に社会が揺れ動く。鳥羽伏見の武力衝突の折に、錦の御旗が立ったことは水戸学の慶喜には衝撃であった。戦えば武力で勝るのに大阪城に引き上げて、ついでにさっさと江戸に去った。これで全てが終わった。 2023-06-14-higher-education-in-the-meiji-era-by-in-which-aikitsu-tanakadate-lived-part-6- |
メートル法と田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の三氏(計量の歴史物語 執筆 横田俊英) 明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その1- 明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その2- 明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その3- 明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その4- 明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その5- 明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その6- 明治 田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の時代の高等教育事情-その9- |
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