「愛橘先生、メートル法、吉田さん」 櫻井慧雄(計量計測データバンクweb版)
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「愛橘先生、メートル法、吉田さん」 櫻井慧雄
「愛橘先生、メートル法、吉田さん」 櫻井慧雄
愛橘先生とは、もちろん、東京帝國大学名誉教授、貴族院議員、万国度量衡会議常置委員(現国際度量衡委員)ほか幾つかの称号をお持ちだった田中舘愛橘先生のことで、われわれ仲間内でお呼びするときの愛称である。また私にとっては、中学3年生の時に89才で逝った明治元年生まれの祖父に、写真で拝見する最晩年の愛橘先生の雰囲気がとても似ているので、愛橘先生という愛称がとても気に入っている。ここでは失礼ながらそう呼ばせて頂く。多分、明治の人が共通にもつ独特な風貌がそう思わせたのだろう。
吉田さんは産総研OBで、2001年に50才半ばで民間の計測関連会社から産総研に移り、電気関係の初期のトレサに貢献した吉田春雄さんで、私は2002年に産総研を定年退職したから、ほとんど接触がなかった。しかし今では、学友、トレサ仲間、愛橘先生を敬愛する友、ガンとも(癌友)、“さきたま”探検会の友、として頻繁に交流している。癌友とは、最近揃って癌を経験した仲間であり、探検会の友とは、荒川流域と“さきたま”平野の地勢や自然を探訪する仲間である。
吉田さんは令和元年9月に「メートル法と日本の近代化」という著作を現代書館から発表された。
そのあらすじは、一言でいうとこうである。明治維新には産業育成、富国強兵のもとに、大量の西洋文化を直輸入し、近代化を急速に進めていた。その結果、国内はメートル法、ヤードポンド法、尺貫法、斤法などが乱立し、政治、経済、軍事、文化などに大きな混乱が生じてしまい、近代化の大きな足かせになっていた。
南部藩出身の愛橘先生はその矛盾を早々に解消すべきとの信念のもとに、南部藩藩校・作人館で同期だった原敬(後の宰相)との間で深い契り『盟友』を誓い合い、多くの困難を乗り越えて単位系の統一、すなわちメートル法の法制化を成し遂げた、という物語である。
この著書の評価は、別途、日本計量新報紙上に掲載される予定であると聞いているので、それを参照して頂きたい。私として申し上げたいことは、「この本に書かれたメートル法の法制化のプロセスや先人の苦労は、平成5年の新計量法でSI単位系の採用に至った土台の土台であり、したがって、規制計量を業務とする方々、トレサを業務とする方々、にとってはとても大事な一般教養である」ということである。
吉田さんはあとがきに、「岩手という地のローカルな人物誌を描きたかったのではなく、戊辰戦争後の逆境にあっても日本の未来を描き続けた男たちの姿を述べたかったのです」と書いているように、その視点でこの著書を味わうことも別格の楽しみである。
このご本で私が一番心を打たれる下りは、父の自刃の報を知った東京在住の愛橘先生が、故郷、陸奥福岡(現岩手県二戸市福岡)に安置された父の元に馳せ参じる一節である。何故なら、そこに愛橘先生の誠実なお人柄、父に対する恩愛の深さを感じるからである。当時、白河以北の街道はまだ十分に整備されていなかったので、東京から二戸までは通常2週間を要するとされていたそうだが、愛橘先生はこれを6日間で走破したとある。
明治16年12月6日、横浜港から船で荻の浜(金華山がある牡鹿半島の付け根)に渡り、石巻から豊間(現登米市)へ。さらに北上川を遡って北上する。みぞれの中を金成(栗原市の一角)、一ノ関、衣川、黒沢尻(北上市の一角)を通り、12月11日昼に盛岡着。渋民まで行き、日が暮れたので人力車を雇う。雪は依然として止まず。御堂まで行き、橇(そり)を雇ってそれに乗り換えた。夜を徹して奥中山の峠を越え、一戸に着けば一番鶏の声。12月12日、末の松山(現浪打峠)を越えて福岡の本宅に到着、父に対面する、とある。
この節で吉田さんは愛橘先生の歌三首を載せている。
横浜から荻の浜に向かう洋上で、
「板ひとつ 界になせる 根の国に 父いますやと 呼べど応えず」
一ノ関から黒沢尻の道中で、
「今日もまた みぞれ降るなり たらちねの 親の闇路を 思いこそやれ」
一戸から二戸への最後の関門、末の松山越えで、
「かえりても かえり越えても 我が心 なぐさめかねき 末の松山」
父を慕う愛橘先生の篤い心が、私の心を突き刺し、涙が出る。
図1 盛岡から二戸までの標高の変化
最近、さきたま探検会の活動で知った、Webで使う国土地理院の地図:「電子国土WEB」(URL: https://maps.gsi.go.jp/)は大変な優れものでいろいろな使い方ができるが、ここでは愛橘先生が夜を徹して越えた奥中山の峠道(旧奥州街道で、盛岡から国道4号とほぼ重なる)について、盛岡から二戸までの標高の変化を調べてみた。それを図1に示す。
最高点は奥中山高原にある十三本木峠で470mあり、盛岡から48kmの地点である。盛岡駅の標高が130m程度であるから、人力車と橇で標高差340mの雪夜の峠を越えたというわけだ。なお図1で二戸直前のピークは、愛橘先生の和歌ある末の松山と呼ばれる峠道である。
同じ国土地理院の地図で、東海道の箱根峠、静岡県菊川の小夜の中山峠を調べてみた。箱根峠は歌にも詠われているから読者はよくご存知と思うが、静岡県三島との標高差は850mあるから、まさに天下の嶮である。一方、小夜の中山峠の場合、静岡県掛川と中山の標高差は220mであり、愛橘先生が越えた奥中山より120mほど小さい。気候条件も北国よりずっと良いはずだ。
でも西行法師の和歌には、
「年たけて また越ゆべしと 思ひきや いのちなりけり 小夜の中山」
とある。
これを見る限り、西行の年齢のこともあろうが、かなり厳しい行程だったと思われる。東海道は鎌倉に幕府ができてから整備されてきたそうだが、小夜の中山峠は江戸時代においても“東海道三大難所”に数えられている。だから奥中山の峠越えも相当な難所であり、しかも雪道の山行だったから、その困難さは想像に余りあろう。
愛橘先生の福岡への往路をトレースすると、横浜から石巻まで水路、そこから盛岡の先の御堂までは北上川沿いの道、奥中山の峠を越えると今度は馬淵川に沿う道となる。しかし、川が作った、その両脇の平地を進むことも広く採って水路と見なせば、愛橘先生の旅では、陸路の割合は一割にも満たないだろう。
私が普段あげるお経に、
インドの龍樹菩薩がおっしゃった、
顕示難行陸路苦(陸路のあゆみ難けれど)
信楽易行水道楽 (船路の旅の易きかな)
という一節がある。
この意味は、『覚りに向かって歩む方法に二種ある。ひとつは陸路であり、他は水路である。でも陸路(戒を守った厳しい修行)は厳しくて大変な道であり、とても難しい。それに対して水路(ほとけが称える名号を心の耳で聞くこと)は易しい。
丁度、船に乗っていれば自然に目的地へ連れて行ってもらえるようなものだ。だから、並外れて特別な才能を持った人は別として、凡夫(一般人)にとっては、水路が勝っている。』というものである。
実際に愛橘先生が通った往路は何回かの帰郷で経験的に選んだ道かも知れないが、ほとんどが水路であったから、愛橘先生の深い思いが叶ったとは言えないだろうか。私はこの一節に出会って、2000年前の龍樹菩薩の教えに対するひとつの証をようやく探し当てた思いがして、とても嬉しかった。
2020-06-11-1-mr-aikitu-tanakadate-metric-mr-uoshida-yoshio-sakurai-
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