正岡子規を読む 計量史学会副会長 大井みさほ(計量計測データバンクweb版)
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正岡子規を読む 計量史学会副会長 大井みさほ エッセーなど投稿された文書一覧
正岡子規を読む 計量史学会副会長 大井みさほ
私はどうしようもない困った性格のようで、いろんなことに関心をもって誘われればついそのグループに入ってしまうようだ。計量史学会だってそうで、先輩に誘われて、断る理由もないまま入ってしまった。
早稲田大学の語学の先生方が中心の読書会もそうで、これは読んだ小説等について語り、意見交換をするのだが、もう20年位入っている。最近では2019年7月に私の当番が来て、正岡子規の『病床六尺』を取り上げた。
理由は明治の文豪と言われる夏目漱石や森鴎外はよく読んでいるのに、正岡子規は名前をよく知っているだけで、『柿食えば金がなるなり法隆寺』の俳句くらいしか知らないから、この際少し調べてみようと思ったからだ。読み進めると、子規が病床にとどまったままなのに世の中の動きを色々とさぐっている。
明治天皇の即位、大政奉還という慶應3年(1867)の10月4日に子規は松山で誕生、このころ自転車が日本に入っている。
明治5年(1872)3月に数えで40歳の父が死去、新橋横浜間に鉄道が開通、明治6年(1873)太陽暦採用、明治7年(1874)ガス灯、明治8年世界17か国でメートル条約締結という時代だ。明治16 年(1883)に上京 、明治17年(1884) 随筆『筆まかせ』を起稿、東京大学予備門に入学、給費生となり、坪内逍遥に英語を習う。
明治18年(1885) 日本がメートル条約に加盟、坪内逍遥の「小説神髄」が出る。明治22年(1889) 子規は漱石と知り合う、最初の喀血 。明治25年(1892)大学退学、日本新聞社に入社。
明治27年(1894) 日清戦争始まる。北里柴三郎がペスト菌発見。明治28年(1895)日清戦争に従軍、戦争終わる。樋口一葉の「たけくらべ」。
明治29年(1896) 脊椎カリエスの手術。明治31年(1898) 『歌よみに与ふる書』を雑誌「日本」で連載、「ホトトギス」第一号。明治33年(1900) 最初の大喀血。翌年『墨汁一滴』を雑誌「日本」で連載、明治35年(1902) 1月病状悪化。虚子、左千夫、碧梧桐ら介護。5月より『病床六尺』を「日本」で連載始め、9月17日まで。9月19日に死去、35歳だった。
その後、明治38年(1905) 漱石「吾輩は猫である」、与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」となる。
子規は絵も好きでよく画いている。文章も絵画も写生が大切なことを論じている。その頃海外から入ってきた絵は、レンブラント(1606―1669), フェルメール(1632―1675), ミレー(バルビゾン派)(1814―1875)などであろうか。子規は浅井忠(1856―1907)の弟子の中村不折(1866―1943)に挿絵を頼んでいる。
子規は直前の9月1日にはフランクリンの自叙伝を読んでいる。その後、死の2日前には「足あり、仁王の足のごとし。足あり、他人の足のごとし。」と腫れた足を表現している。
「肺病の夢みるならんほととぎす拷問などに誰がかけたか」
子規とはほととぎすの事である。優秀な若い人たちが結核でむざむざと死んでいく時代であった。
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