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├計量計測データバンク ニュースの窓-210-レーモンド、吉村順三氏と国際文化会館、村野藤吾、蓼科高原と小津安二郎、脱北者・川崎栄子北朝鮮の体験談
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├計測トレーサビリティ物語-新 トレーサビリティのすすめ-(3) 計量計測データバンク編集部
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├計測トレーサビリティ物語-新 トレーサビリティのすすめ-(2) 計量計測データバンク編集部
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├計測トレーサビリティ物語-新 トレーサビリティのすすめ-(1) 計量計測データバンク編集部
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├計測トレーサビリティ物語-新 トレーサビリティのすすめ-(1) 計量計測データバンク編集部
├森と野鳥(シジュウカラ)の子育て 甲斐鐵太郎
├「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2024年06月27日号「日本計量新報週報デジタル版」
├(321) 4k夏の家 1933 レーモンド Antonin Raymond Summer House, Karuizawa japan ,
Peynet Museum - YouTube
戦前別荘として軽井沢に建てた。計画の元のアイデアはコルビュジェのエラズリス邸計画案をコピーしている。L+Dの2階へのスロープの大胆な空間が気に入ったのだろう。といってコルの計画案をそのまま実施してしまうとは大胆。確かにすごい魅力的な空間だ。普段は雨戸を全て閉めて人工照明で、ペイネの絵画が所狭しと展示されセセコマシくなっている。これは建築展示の機会に撮影することができた。またL+Dと寝室1の間にはプールになっていて、その先端が2mくらい段差の落水なっていた。この段差が寝室2にもあり、このピロテイ状の場所が、吉村順三のお気に入りだったと。これらが再現されていないのが残念ですね。これからあるかも。
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├14. 戦前のレーモンド建築を読む④木造の系譜 (youtube.com)
戦前のレーモンド建築を読む④木造の系譜。アントニンレーモンド。00:55 イタリア大使館別荘。06:22 軽井沢・夏の家。08:24 聖ポール教会。13:51 参考資料。
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├12. 戦前のレーモンド建築を読む②モダニズムデザイン (youtube.com)
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├建築家中村好文が語る【吉村順三氏と国際文化会館】(創立70周年特別記念講演) (youtube.com)
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├「建築界のノーベル賞」プリツカー賞受賞の”闘う建築家”山本理顕さん 社会の息苦しさは”建築で変えるしかない”【World Report】 (youtube.com)
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├中村好文氏による展覧会ガイド:中村好文展 小屋においでよ! (youtube.com)
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├藤森照信氏が語る八ヶ岳美術館、建築家 村野藤吾の世界 (youtube.com)
藤森照信氏が語る。八ヶ岳美術館 解体新書「建築家 村野藤吾の世界」。長野県諏訪郡原村にある八ヶ岳美術館で、建築家 村野藤吾の生涯に迫ります。八ヶ岳美術館の建物は建築家・村野藤吾の設計で、連続ドーム型の大変ユニークなデザインです。山脈や連峰を想わせる、連続半円ドーム形の構造は曲線を多用したデザインで大変ユニーな外観になっています。標高1,350mにある美術館の周囲を巡る散策路では彫刻の屋外展示と共に四季折々の山野草が楽しめます。
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├『蓼科高原と小津安二郎』 監督 井上和男 (youtube.com)
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├小津作品 生んだ山荘…蓼科(たてしな)高原(長野県茅野市) : 読売新聞 (yomiuri.co.jp)
雲低く 寐ね待まち月づき出い で ゝて 遠望模糊こも 、まことに佳境、連日の 俗ぞく腸ちょう を洗ふ――――小津安二郎「蓼科日記」(1954年の記述から)。
木漏れ日が落ちる「小津の散歩道」。小津安二郎監督と脚本家の野田高梧が好んで散歩したという
1954年8月18日。映画監督の小津安二郎は初めて、信州・蓼科を訪れた。住んでいた神奈川・鎌倉を早朝に出て、新宿から中央線に乗り 茅野ちのへ。台風が近づく中、バスに乗り継ぎ、午後「
雲呼荘うんこそう 」に到着する。
小津とのコンビで知られる脚本家、野田 高梧こうご は51年、蓼科の山荘を兄から譲り受け、「雲呼荘」と命名。来訪者の記録と自身の日常を書き残すためにノートが備えられた。「蓼科日記」である。
小津は初日、「雲低く寐待月出でゝ遠望模糊、まことに佳境、連日の俗腸を洗ふ」としたためた。「酷暑の東京にて 齷齪あくせく 」していた我が身は「俗腸」。自身をあくせく働く卑俗な精神と称し、だからこそ、涼しい高原が自分の仕事場にふさわしいと確信したのだろう。
小津は雲呼荘の近くにあった片倉製糸の山荘を借り受け、57年「 無藝荘むげいそう 」と名付ける。以降、2人は「東京暮色」から小津の遺作「秋刀魚の味」まで、ほとんどの作品の脚本を蓼科で執筆することになる。
無藝荘は現在移築され、一般公開されている。案内を担当する藤森光吉さん(76)は「以前は(神奈川県茅ヶ崎市の旅館の)茅ヶ崎館で脚本を書いていたが、松竹の大船撮影所や東京に近く、会社の人が来て作業の
進捗しんちょく 状況を尋ねるのが嫌で、煩わしさから逃れたかったのでは」と推し量る。
小津が東京から来る映画関係者を迎え入れた無藝荘。静かな時が流れていた
蓼科日記の主な書き手は野田。仕事が進めば仕上げた場面や枚数を書き留めているが、 些事さじ の記録がほとんどだ。小津組の俳優らの来訪と土産の中身。地元の人々との行き来。そして朝風呂、酒、昼寝、散歩……。小津の記述にいたっては酔っ払いの
戯ざ れ言に近い。
小津と野田が通った一本桜。当時と比べて大木になった桜の根元に立つと、蓼科山がよく見える
2人の散策ルートが「小津の散歩道」。野田の長女で、脚本の清書係だった山内玲子への生前の聞き取りを基に、2013年に整備された。無藝荘を出て、せせらぎや鳥のさえずりを聞きながら、山荘が点在する林を通る約4キロの道のりだ。
台風15号が過ぎ去った9月下旬、実際に歩いてみた。木漏れ日の 射さ す疎林を抜け、小津と野田が一休みした一本桜のある丘にたどりついた。青い空に雲がぽっかり。「雲を呼ぶ」とはこのことか。蓼科山の眺望もいい。2人は、せちがらいことなど一切忘れたに違いない。自然とそんな想像ができた。
小津安二郎(おづ・やすじろう)。1903~63年。東京市深川区(現東京都江東区深川)生まれ。23年に松竹キネマ蒲田撮影所に入社。27年「懺悔の刃」で監督デビュー。戦前から戦後にかけて、「生れてはみたけれど」「一人息子」「晩春」「麦秋」「東京物語」「秋刀魚の味」など多くの名作を世に送り出す。東京や近郊で暮らす一家の姿を通して、普遍的な日本の家族像を描き出した。特に結婚を巡る父娘の葛藤は、一生独身を貫き、鎌倉で母親と暮らした小津の映画の重要なモチーフになっている。来年は生誕120年、没後60年に当たり、偉業を振り返る催しが行われる予定。文・近藤孝 写真・鷹見安浩。
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├脱北者と金正恩(川崎栄子) - 新ボトナム会 (shin-botonamu.org)
脱北者・川崎栄子代表による北朝鮮の体験談 02日3月2023 脱北者と金正恩(川崎栄子)
(youtube「北朝鮮の極端的恐怖」2020年3月30日の投稿より)
みなさま、こんばんは。私は脱北者の川崎栄子です。私は現在、モドゥモイジャという、小さなNGOの代表をしております。私は今日から、youtubeを始めようと思っております。まず今日は一番はじめに、金正恩と脱北者の関係性についてお話したいと思います。
■帰国事業で北朝鮮に渡った私が脱北した目的
まず最初に私自身の紹介を少しさせていただきます。私は在日朝鮮人二世として日本で生まれて、小学校・中学校は日本の学校を卒業し、高校は朝鮮総連系の学校へ入学しました。そして高校三年生の時に、帰国船に乗って、北朝鮮に行きました。2004年に日本に戻ってきた私が、何を目的に戻ってきたか。それは金日成と韓徳銖(ハン・ドクス)の謀略によって行われた在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業というものが、どれくらい罪深いものであったか、行った人々にとってはどれほど耐え難い苦痛の連続であり、現在もその苦痛の中で暮らしているのかを皆様に知っていただき、その問題を解決するためにみなさまにご協力を得るために、日本に戻って参りました。先ほどお話しましたように、金正恩と脱北者の関係性をお話したいと思います。今日からyoutubeを始めると、私に同情的な皆さまばかりが見てくれる訳ではないと思っております。中には朝鮮総連系の方々もたくさんご覧になるのではないかと思っております。そうすると心配になることがあります。それはこのyoutubeを妨害し、中傷する現象が起こるかもしれないということです。でも、総連系の皆さま、それは、できない相談ですよ。なぜできないか、ということを、これから私がお話します。
■金正日の妻(金正恩の母)は在日コリアン
皆さまも、現在も崇めていらっしゃるように、北朝鮮にとって金日成は絶対的な神様です。誰も口を挟むことはできませんし、批判をすることはできません。その金日成の長男である金正日が、縁があって帰国者である大阪の鶴橋からの高容姫(コ・ヨンヒ/高英姫と言われていたが正しくは高容姫)と夫婦になりました。でもそのことを金日成は絶対に認めませんでした。金正日は、子供達が三人生まれて、ずいぶん大きくなった頃、「もういいだろう」という判断のもとに、父である金日成のもとに家族を連れて行きました。でも、金日成は逆上して、絶対に会いませんでした。絶対に許さないという立場を死ぬ日まで貫きました。だから、金日成の子供達、金正哲、金正恩、金与正。もちろん高容姫本人も、金日成に直接会うことは、死ぬ日まで一度もありませんでした。
■金正恩の叔父と叔母は脱北者
1996年、高容姫は子供達を連れて、「子供達を留学させるために」という名目のためにスイスに逃れ出ました。その時に自分の妹である高英淑(コ・ヨンス)家族も同行しました。それは、子供達の面倒を見るため、ということもありましたが、もう一つの目的もありました。高英淑夫婦は金正日のスイスにある外貨講座の管理人でもあった訳です。そしてスイスでの生活を始めた彼らでしたが、1998年、高英淑一家は脱北しました。それもただ脱北したのではなく、金正日の外貨口座、40億ドルあると言われた外貨口座から、相当額の外貨をもってとんずらしました。これは大変なことですよね。でも、金正日はそのことを絶対に表沙汰にはできませんでした。できるはずありませんよね。そしてまた2000年には高容姫の兄であるコ・ジョンフンも脱北しました。結局、三人きょうだいのうち、二人が脱北してしまった訳です。つまり、現在のあなた方の神様である金正恩は本当なら北朝鮮で処罰される対象ですよね。脱北者の家族なのですから。それも、叔父も叔母もみんな脱北してしまったのですから。だから、現在、北朝鮮で高容姫、首領の母親に関する情報は一切漏らされてはいけないし、また、国母としての扱いもできない訳です。それくらい辛い立場にあります。金正恩が。アメリカに脱北した高英淑夫婦は、2016年にワシントンポストのインタビューで、「私たちはアメリカンドリームを成し遂げた。私たち夫婦も幸せですし、子供達も幸せな生活を送っています」と、言っています。
■金正恩の心中は?
いかがでしょうか?みなさま。そういう家庭環境の中で首領の地位を占めていなければならない金正恩という人物、苦しいですよね。もしかしたら金正恩本人も今頃、「いやぁ、俺はこんな椅子に座っていなければ、脱北したらいいのにな」と思っているかも知れませんよ。だから、朝鮮総連のみなさま、もしも私のこのyoutubeを妨害したり、中傷したりするということは、金正恩の顔に唾を吐くことになりますよね。だからご覧になるのは構いませんが、何もしないで、ご覧になってください。これからも時々、こういう話題に私の話が及ぶかも知れませんが、静かな気持ちで、本当の真実を見極めるつもりで、私のyoutubeをご覧になってください。この次の回もお楽しみにしていてください。一般のyoutubeをご覧になっている皆さま方も、次回に期待をかけてください。今日はありがとうございました。
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├計量法解説 (keiryou-keisoku.co.jp)
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├:計量法の読み方 - livedoor Blog(ブログ)
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├微分も積分も忘れてしまう東大理三卒の大学教授(2023-05-09)【理3のリアル@50代】 東大医学部卒の弁
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├フィルムカメラとデジタルカメラの発展の速度の違い
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├「ハッピーエンド」を聴く。メンバーは大瀧詠一,細野雅臣、鈴木茂、松本隆。
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├シンボル操作(symbol manipulation)
社会学用語。それ自体は客観的であったり、また多義的に理解されているような物や言語や行動様式をシンボル (象徴) として使い、特定の意味内容をこめて多くの人々のそれへの同調ないし反動形成を促し、一定の方向に行動させること。シンボル操作の典型的な技術の一つが、人々の態度・行為・価値観をあらかじめ意図された方向へ誘導するための組織的コミュニケーション活動といわれる政治宣伝である。マス・メディアの驚異的な発達と宣伝技術の高度化により、現代社会ではシンボル操作の余地は拡大した。
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├計量計測のエッセー ( 2018年1月22日からの日本計量新報の社説と同じ内容です。)
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旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 旅行家 甲斐鐵太郎
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├死霊はわが姿なり(副題・女の深い悲しみの表情が人の心の闇を照らす)森龍之
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