「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2018年8月10日号「日本計量新報週報デジタル版」 2018年7月15日以後の気になるニュースです。(計量計測データバンク デイリーニュース) バドミントンの世界選手権男子シングルスで桃田賢斗選手が金メダルを獲得。女子ダブルス永原和可那選手、松本麻佑選手が金メダルを獲得。共同通信社。8月6日。中国の南京で行われたバドミントンの世界選手権男子シングルスで金メダルを獲得し、五輪、世界選手権を通じて日本男子初の優勝を遂げた桃田賢斗選手、女子ダブルスで日本勢として41年ぶりに世界一となった永原和可那選手、松本麻佑選手ら日本代表が6日夜、羽田空港に帰国し、記者会見した。 桃田賢斗「福島の応援が力」バドミントン世界選手権・金メダル。福島民友。2018年08月07日 10時10分。中国で行われたバドミントンの世界選手権の男子シングルスで日本勢初の金メダルを獲得した桃田賢斗選手(NTT東日本、富岡高卒)が6日、中国から帰国した。羽田空港で記者会見した桃田選手は「多くの人たちにサポートしていただいた結果。今大会の結果に満足せず、さらに上を目指す」と決意を語った。 桃田賢斗-Wikipedia 桃田 賢斗(ももた けんと、1994年9月1日 - )は、日本のバドミントン選手。バドミントン日本代表。香川県三豊郡三野町(現三豊市)出身。三豊市立吉津小学校、福島県富岡町立富岡第-中学校、福島県立富岡高等学校を卒業し、2013年4月にNTT東日本へ。 永原和可那-Wikipedia 2018年8月5日現在. 永原 和可那(ながはら わかな、1996年1月9日 - )は、日本の女子バドミントン選手である。所属は北都銀行(秋田県)。 人物[編集]. 北海道河西郡芽室町出身。芽室町立芽室小学校、芽室町立芽室中学校を経て青森山田高等学校に進む。 松本麻佑 http://hokutobadmintonclub.jp/#topmember チーム名北都銀行、出身地北海道、出身校厚別南中学校→とわの森三愛高校。生年月日:1995年8月7日。 武術の達人(身体をどのように使うか) 三船久蔵 73歳時代 柔道 柔よく剛を制す 動画 塩田剛三 合気道 何故そうなるのか 動画 武道家 日野晃 熊野道場にて 前編 動画 武道家 日野晃 熊野道場にて 後編 動画 古武術研究家 甲野善紀 体の使い方(その1)動画 古武術研究家 甲野善紀 体の使い方(その2)動画 |
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タニタがはだしにならず体脂肪率を測定する機器開発。2018年8月7日発売。 タニタがはだしにならず体脂肪率を測定する機器開発。2018年8月7日発売。 |
(棒線の引いてあるタイトルをクリックするとリンク内容が表示されます) 中部7県計量協議会 各県の代表などによる議事協議の内容(2018年7月5日開催) 中部7県計量協議会功労者表彰ほか議事内容(2018年7月5日開催) 中部7県計量協議会開く 7月5日(木)静岡市のホテルアソシア静岡で |
社会の統計と計量計測の統計【分類13】日本の計量法と計量関係法規 |
私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その21- 仲間達との交わり 何の為に仕事をしているのか」と問われ、私は「金を儲ける為でない、隣人の為だ」と答えた |
日本計量新報一面記事です。 2018年07月29日号(3203)1面 2018年07月22日号(3202)1面 2018年07月15日号(3201)1面 2018年07月01号(3200)1面 |
私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その21- 仲間達との交わり 何の為に仕事をしているのか」と問われ、私は「金を儲ける為でない、隣人の為だ」と答えた 仲間達との交わり 「私とあなた」の関係 1962(昭和37)年頃の製鉄所では、まだ古い職制で、作業長制度は導入されていなかった。現業では、トップが職長、次いで組長、伍長、手(しゅ)、助手、平となっていた。 私の属していた製鋼地区では伍長以下50人程の組織であったが、特に私の仕事を受け持って、手伝ってくれる人達は一人の手、以下4人の助手を含めて合計20人程であった。 彼らは私に、配管中のオリフィスの前後の差圧から流量を検出する発信機の検査方法や配管中のエアーを抜くコツ、沈鐘式微圧計の検査手順等を教えてくれた。私は各メーカーの新しい取扱説明書を猛烈に勉強し、皆さんに教えた。 私は、入社前後の頃より、「仕事は天職と心得、裏表なく人に交わって行けば必ずや道は開けるものだ」と心に決めていた。従って人間関係はすべて「私とあなた」が基本となるとも思っていたし、職場でもこれを貫こうと決意していたので、私からも何事でも相談したし、仲間からもいろいろな相談を受けた。 自発的勉強会を始める 花見、送別会、歓迎会等、入社当時は酒もあまり強くはなかったが、皆と楽しく飲んだ。独身寮にいた頃は、Yさんというわがグループのトップ(ただ一人の手(しゅ)の人)が「自宅に寄って食事をしましょう」とよく誘ってくれ、他のチョンガーの連中とお酒と食事をいただいた。そんなある夜、「高徳さんは、何の為に仕事をしているのか」と尋ねられたので、私は「金を儲ける為でない、隣人の為だ」と答えたら、「高徳さんは大学は出ているけれども、中学生みたいなことを考えている」と笑われた。どこか抜けている人だとでも思われたのか。私は「幼稚なところが取り柄なのだ」とも付け加えた。 ある人の提案で、勉強をしようということになった。私が先生を引き受けて、早く仕事を片付けて、計器盤の裏でも良いからやりましょうと話が決まった。コロナ社の計量管理技術双書の『自動制御』や『計測用電子回路』等も教科書となった。当時、自動制御のフィードバックの調節計にPIDというのが出てきていたので、比例・積分・微分の概念も必要だと思い、微分や積分の話もした。 トランジスターが計器の中にも入ってきたので3極管に<RUBY CHAR="倣","なら">ってNPNでのエミッタ、ベース、コレクタの動作も話した。それなりに好評であったが、生徒さんは教科書を作業服の下に隠し持っての参加であった。教育が公には認められていなかったからである。 職場での教育が全社的に実施され始めたのは、それから5~6年後であっただろうか。その時は、転勤先の神戸からその教科書つくりのプロジェクトチームに参加した。 この教育の話は私から言い出したものではなく、彼らから出てきた事に意義があり、私は、そのような人間関係を築くことができたことを今も嬉しく思っている。 (つづく) 私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その21- 仲間達との交わり 何の為に仕事をしているのか」と問われ、私は「金を儲ける為でない、隣人の為だ」と答えた |