品質工学座談会
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「インフラ老朽化と計測DXの社会損失低減」品質工学座談会 (計量計測データバンク)
「インフラ老朽化と計測DXの社会損失低減」品質工学座談会 (計量計測データバンク)
「インフラ老朽化と計測DXの社会損失低減」NMS研究会
[出席者]・所属(50音順)
浅利 珠美 日本電気株式会社
伊藤 浩 独立コンサルタント
小川 豊 元 東芝エレベータ株式会社
近藤 芳昭 NMS研究会
熊野 コミチ NMS研究会
高田 圭 セイコーエプソン株式会社 シニアスタッフ
田村 希志臣 コニカミノルタ株式会社 技術開発本部 シニアエキスパート
中根 義満 NMS研究会
見原 文雄 日本能率協会コンサルティング
山本 桂一郎 国立高等専門学校機構
吉澤 正孝 クオリティー・ディープ・スマーツ(責) 代表
吉原 均(司会) NMS研究会
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当たり前の日常を支えるもの
吉原: 皆さん、こんにちは。NMS研究会による恒例の計量計測データバンク座談会を開催します。今回のテーマは「インフラ老朽化と計測DXの社会損失低減」です。我々が品質工学の研究会であるという特徴を生かし、品質工学が目指す社会損失低減という切り口で、インフラ老朽化の問題に迫りたいと思います。まずイントロダクションとして、国立高等専門学校機構の山本桂一郎先生に、これまで携わってこられた研究からインフラ老朽化と計測に関する内容などをご紹介いただき、議論のきっかけを作っていただきたいと思います。それでは山本先生、よろしくお願いします。
山本: よろしくお願いします。本日いただいたテーマですが、非常に大きな社会問題ですよね。そもそもインフラというのは、皆さんの生活の中で普段はほとんど気に留めないものです。蛇口をひねれば水が出て、スイッチを入れれば電気がつく。それが当たり前。戦後の復興期から上水道、下水道、電気、電話などが整備され、我々はその恩恵を受けて豊かな生活を営んできました。
しかし、世の中に送り出されたものである以上、維持管理は不可欠です。インフラ老朽化と一言で言っても、放置されてダメになったのか、懸命にメンテナンスを続けてきたけれど限界が来たのかで、考え方は変わってきます。
吉原: はい。
山本: そして、もう一つのキーワード「計測DX」。これもまた、どう視点を揃えるかが悩ましい。何の計測DXなのかをフォーカスする必要があります。この「計測DX」という言葉から、皆さんは今、どのようなイメージをされますか? どなたでも結構ですので、お話しいただけませんか。
熊野: よろしいでしょうか。私がインフラ、計測、DXという単語を聞いて思い浮かんだのは、インフラの点検です。コンクリートのひび割れや内部の老朽化を調べるのに、打音検査で異音がないかを聞いて判断するという話を聞いたことがあります。中の状態を見るには熟練の技術、つまり「耳の良さ」が重要だったと。
山本: ええ。
熊野: そうした人の感覚に依存せず、どういう叩き方をして、どんな情報を取れば、誰でも老朽化を検知できるのか。それを実現するのが、このテーマから私が想像した計測DXのイメージですね。
山本: なるほど、ありがとうございます。非破壊検査のイメージですね。上下水道管などもそうです。先日も道路が陥没しましたが、完全に埋設されているものを日頃から点検するのは難しい。実は以前、ボルトの締結状態の診断という研究を発表したことがあります。その研究のモチベーションとなったのが、2012年に起きた笹子トンネルの天井板崩落事故です。
(資料を共有しながら)点検はやっている、とおっしゃってはいたのですが、実際には12年間、打音検査をしていなかったという事実があります。こうした事故が起きると、社会的な損失は計り知れません。企業としてはコストがかからず損失は少なかったかもしれませんが、その結果引き起こされる損失の大きさを想像しなければならない。これは、品質工学が予測の学問であることにも通じます。
当時私たちは、打音や振動でボルトの緩みを評価できないかと考えました。熊野さんがおっしゃったように、現場では作業員の方がハンマーで叩き、ものすごい雑音の中から異音を聞き分ける。人間の耳のセンシング能力は凄まじく、雑音を取り除いて特定の音に集中できるわけです。
熊野: はい。
山本: 我々も、ロードセルを付けたハンマーや、音のスペクトル解析など、様々なアプローチを試みました。トルク管理されたボルトの緩みを計測しようとしましたが、例えば、船舶の機関室のような騒音環境では、雑音の影響が大きすぎて、なかなかうまくいかなかった。識別力を向上させるために、何らかの糸口を掴んだ、というところで終わってしまったのが正直なところです。
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「グレーゾーン」をどう判断するのか
高田: (チャットで資料を共有し)少しよろしいですか。国土交通省が「インフラ分野のデジタルトランスフォーメーション」というとんでもない量の資料を作っているので、もし話に困ったら参考にしてください。
山本: ありがとうございます。省庁が出す資料は、だいたいとんでもない量で、願望が含まれたグランドデザイン的なんです(笑)。だからこそ、技術でその将来像に答えていかなくてはいけないのですが、そのことからも、吉原さんからこのテーマをいただいた時に、どこに論点を絞るか非常に悩みました。例えば、能登半島地震では海底地形が変わり、救援船が港に入れるかどうかが測量にかかっていた。あるいは、建設機械メーカーが地形を瞬時に把握して測量時間を短縮する。そういったDXは既に考えられています。
高田: 私の視点で少しお話ししますと、今後、インフラの仕事に就く若者は確実に減っていきます。そうなると、ロボットやAIを使わなければ現場が回らない未来はすぐそこです。その時、ロボットやAIが何を拠り所に判断するかといえば、当然センサーです。
吉原: なるほど。
高田: そこで問題になるのが、先ほどの打音検査のような話で、OKかNGかが明確な場合はいいのですが、「グレーな部分」が出てきます。人によって判断が変わるような、微妙な状態です。AIだって、そのグレーゾーンを簡単に決められるわけではない。そこの閾値を決めるところに、損失関数という考え方が使えるのではないかと思うんです。人の命をいくらと換算し、それならばどのくらいの周期で検査すべきか、どんな材料を使うべきか、といった判断の拠り所として、損失関数が使えるのではないかと。
山本: ありがとうございます。おっしゃる通り、センサーはキーデバイスですが、その閾値は悩ましい。過剰なメンテナンスも損失ですし、まだ使えるものを交換してしまうのも損失です。かといって、交換を先延ばしにした結果、人命に関わる事故が起きたら…。「人の価値はいくらか」と考え始めると、このグレーゾーンの判断は非常に難しい。
吉原: 今、高田さんから「グレーゾーンをどう扱うか」という、議論の重要な切り口が示されました。この点について、皆さんいかがでしょうか。田村さん、お願いします。
田村: はい、田村です。そのグレーゾーンというのは、点検の結果、今すぐ補修するか次回に回すかを判断する領域、ということでよろしいですか?
高田: はい。一つは「この音は内部に空洞があるのか、ないのか」という判断。もう一つは、予算の都合で「何年周期でチェックすべきか」という判断。その二つをイメージしています。
田村: インフラの維持管理問題は、二つの領域に分けて議論する必要があると思います。一つは、1970年代に作られたような既存のインフラをどうするか。もう一つは、これから新たに設置するインフラを、保守の方法も含めてどう設計していくか。
DXとは、誤解を恐れずに言えば「人に頼らない」ということだと私は考えています。人が点検しやすいように作られたツールや治具は、もはや前提になりません。人を介在させずに診断・点検するという発想に立つべきで、人のやってきたことをロボットに置き換える、という考え方はあまり生産的ではないでしょう。
(ウェブサイトを画面に共有しながら)
例えば、これは橋梁の内部にある鉄骨の状態を診断する装置です。これまでは、穴を開けてマイクロスコープで覗くしかありませんでした。しかし、「人に頼らない」ことを前提にすれば、もっと大胆なことができるはずです。今までのやり方に制約されず、状態診断の技術を積極的に考えていくことが必要だと思います。
吉原: ありがとうございます。保全という観点から、小川さんはいかがですか。
小川: はい。技術的な視点も重要ですが、私はまず、データからのアプローチがあると考えています。八潮市の陥没事故以降、全国で調査が進んでいると思いますが、そのデータは地方自治体によって状況が全く違うはずです。現状のデータと、各地方の実態を組み合わせ、何が最適かをデータから求めていく。その時に、損失関数が役立つのではないかと考えています。
吉原: それは、経済的な側面も含めて、保全の優先順位をコントロールしていく必要がある、というご意見ですね。
小川: はい、優先度を決める、というイメージです。
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計測技術への問い―信頼性、目的、そして倫理
吉原: 「人に頼らない計測」と「損失の大きいところから優先度を見定める方針」。二つの大きな視点が出てきました。近藤さんはいかがでしょう。
近藤:
計測に係る損失あるいは信頼性という観点で論ずべきことは多々あると思います。皆さんのお話を聞いて、自身の経験にあてはめてみたときに、国際標準化活動をしていたときのことで幾つか思い浮かんだことがあります。今回はプリンテッドエレクトロニクスの国際標準化で苦労したときのお話をさせていただこうと思います。印刷技術を用いた電子デバイス製造技術に関する話であり、ディスプレイ、各種センサー、太陽電池などの基板をイメージしていただくと良いと思います。
ある時、他国より配線不良検査の標準化提案がありました。提案のイントロとしては、非接触式の検査技術を活用することで、従来の接触式検査と比較して簡便かつ対象の損耗も抑えられて、産業界に有益な標準であるといった内容でした。確かにそれがリーズナブルに実現できるのであれば産業振興につながるのかなと思えるお話でした。しかし技術の中身を詳細に見ていくと、実態としては画像撮影による外観検査であり、例えば配線の太さや断線といった不良は判別できても、配線内部に気泡のような欠損が生じた場合の不良は全く考慮できていない内容でした。つまり、機能性が評価されておらず、この提案検査によって適用製品が市場で問題を起こすかどうかといった、損失とか信頼性の意識が抜けてしまっていたという話です。この案件は最終的には、他の国からもネガティブな意見が集まり、適用範囲(スコープ)を限定する修正を行うことで決着したと記憶しています。
ここで伝えたかったのは、計測や検査の技術を作る時に、「これを何に使うのか」とか「使った後に何が起こるのか」を十分に考えている人と、ただ単純に「技術的に出来ることをやりました」までしか考えられていない人がいるということです。もっと言えば、ちゃんとした評価技術を作れるかどうかは、人づくり、つまり技術者としての心構えや人間性が影響するところがあり、そこがしっかりしていないと想定できなかった事柄に対して使い物にならないものができて大惨事を引き起こしかねないということです。計測技術は日陰の存在に見えがちですが、それがないとインフラも維持管理ができず、想定通りに機能しないこともあるでしょう。今日の議論であらためてそこを強く感じました。吉原: 非常に面白いお話です。求められる保全の要件に対して、提供されている手段が全く合っていない、というとんでもない事例を見てこられたわけですね。
近藤: ええ。もしも過剰な成果主義や、自分の主張を通すことを優先してのご都合ピッチとかプレゼン重視の姿勢によって、使う側の事情が考慮されないまま、インフラなどに使われるものが決まってしまうことがあるとしたら、それはとても恐ろしいことだと思います。
吉原: まさに。では、見原さんはいかがですか。
見原: 少し個人的な感想になりますが、私は非破壊検査というものを全く信用していません。先ほど田村さんが見せてくれた装置も、どのくらい本当なのかな、と懐疑的に見ています。見えないものを検査したデータが、現実の姿とどれだけ一致しているのか。その突き詰めが甘いのではないかと。
吉原: なるほど。
見原: 私はお客様と話す時、まず「そのデータはどのくらいロバストなのですか?」と疑うことから入ります。それと同じで、まず入り口のセンサーが本当に大丈夫なのか、と。非破壊検査単体では信用できない。だからこそ、検査対象だけでなく、周辺の様々な状況のデータを一緒くたにして、例えばMTシステムのようなもので総合的に判断していく、という進め方が必要なのではないでしょうか。
吉原: 単発の検査は信用できないが、他の情報と組み合わせることで、システムとしての信頼性が上がる、というご提案ですね。
見原: そうです。品質工学(QE)と絡めて考えるなら、MTシステムのような捉え方が良いと思います。
中根: 計測技術は非常に大事です。人の勘や経験は、その人がいなくなれば失われてしまう。それをいかに定量的に判断するかが重要で、そのためには計測技術が絶対に必要です。そして、おっしゃるように一つのデータだけでは不十分で、複数のデータを基に閾値を判断し、危険を知らせる指標としなければなりません。
新しい技術を開発する時も、まず「それを計測できるのか」を考えます。計測できないものの目標達成はあり得ません。計測技術が確立して初めて、製品開発がスタートするのです。
もう一つ、DXの観点では、シミュレーションによる予測がよく使われますが、現実となかなか合わない。そこで、データをもとにモデルを作る「モデルベース開発」が主流になっています。そのためにも精度の高いデータが必要です。最近では、現実世界と仮想空間のモデルを連携させる「デジタルツイン」が使われていますが、これもまだ精度が高いとは言えない。ここを高めていくことが今後の課題でしょう。
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何を測るべきか―「品質」から「機能」へ
吉原: ここまで、計測技術の信頼性や、多角的なデータ活用の重要性が語られてきました。伊藤さん、いかがですか。
伊藤: 議論を伺っていて、計測は二つに分けた対応を考えねばならないと思いました。
一つは、使うことで状態の変化が直接わかるものです。これは機能性評価に近い。例えば新幹線は、昔はドクターイエローが検査していましたが、今は営業運転している車両が走行中にデータを取得していると聞きます。ところが、社会インフラとなると、そう簡単ではありません。道路の振動状態を、走行する一般車両のタイヤから集約しようとすれば、今度は個人情報保護の壁にぶつかる。このような効果的なデータは社会にいろいろとあると思います。これらのデータを、うまく取得して利用できる仕組みが必要かと思いました。
そしてもう一つは、使うことでは状態が直接わからないものです。笹子トンネルの天井のように、利用とは直接関係ない部分の劣化は、定期的に観測するしかない。しかし、その都度計測器を持ち出すのではなく、オンラインで常にデータを取れる仕組みはないのか。直接測れないものをどう評価するのか、という難しさを感じます。
吉澤: 非常に良い議論がされていますね。山本先生が最初に提起された、テーマの根幹に立ち返る必要があるかもしれません。「インフラの老朽化」というのは、私は「人間の寿命」の問題と非常に似ていると思うんです。
吉原: 人間の寿命、ですか。
吉澤: ええ。老朽化に対抗するというのは、若さを維持するということです。正しい生活をしていれば健康を維持できるように、インフラも、例えばトンネルならトンネルとして正しく使われ続けているかどうかが重要になる。使い方が設計時の想定から外れれば、確実に寿命は縮まります。
もう一つ、気になるのが「インフラ」という言葉の広がりです。IT環境もインフラと呼ばれますよね。WindowsのようなOSもある種のインフラです。そうすると、老朽化には二種類ある。一つは、コンクリートのように、決められた機能が物理的に劣化していく老朽化。もう一つは、Windowsがバージョンアップを繰り返すように、それを取り巻く環境の変化によって、元々の機能では要求に耐えられなくなるという意味での老朽化です。
吉原: なるほど。
吉澤: この二つを分けて考えないと、何を計測すべきかが見えなくなってしまいます。健康診断で脈拍や血圧を測るように、我々は様々な項目をチェックしますが、そのデータが「健康」や「老朽化」に対して本当に意味を持っているのか。関係のないものを測っても仕方がないと考えます。
結局、我々が測るべきは対象の「質」なんです。たとえば、トンネルなら「トンネルの質」とは何か。それは機能になります。品質工学が対象とするのは、「質を量で測る」という考え方です。測るべきは、そのインフラが本来果たすべき機能が、どの程度維持されているか。その「機能している状態」を測ることになるのではないでしょうか。
吉原: ありがとうございます。一通りご意見をいただきました。熊野さん、今までの話を聞いて、いかがですか。
熊野: 最初、私は打音検査のような話から入りましたが、議論を聞く中で、「測ったデータが本当に合っているのか、どうやって確認するんだろう」という疑問が湧いてきました。コンクリートの中を開けて「ああ、やっぱり空洞があった」と確認できるケースは稀でしょうし、パターンも千差万別で、過去のデータと比べるのも難しい。ですが、吉澤さんのお話を聞いて、腑に落ちました。測るべきは、穴が開いているかどうかといった「品質」ではなく、そのインフラが持つ本来の「機能」なのだと。機能がどれだけ実現できているかを測ることができれば、正解か不正解かという話から解放されて、うまく回っていくのかもしれない、と感じました。
吉原: 品質を測るのではなく、機能を測る。これは、インフラを見る上でも非常に重要な視点ですね。
熊野: はい。ただ、橋やトンネルのような静的なものの「機能」をどう測ればいいのか、具体的な方法はまだ思いつきませんが…。
高田: 「インフラの機能を測る」というのは、非常に面白い視点ですね。穴が開いているかどうかは、おっしゃる通り品質を測っている。そうではなく、インフラが本来果たすべき機能は何か、と考える。
例えば、下水道管が陥没した事故も、「道路に穴が開いた」という品質の問題ではなく、「流した水が、ロスなく最終処理場まで届いているか」という下水道管の「機能」で捉える。流入量と流出量が同じなら機能している。途中で漏れていれば、機能不全です。このように、それぞれのインフラの機能の程度を測ることで、劣化を判断できるのではないかと感じました。
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基準と実態の乖離―熊本地震が示すもの
伊藤: …先ほどは、インフラを計測から考えたのですが、それと同時にインフラの初期状態、つまり作られた時点での品質が担保されていたのか、ということも非常に重要だと思います。手抜き工事があったら、老朽化以前の問題です。
吉澤:生まれた瞬間から老化は始まりますが、その「生まれた状態」のデータ、つまり初期値が記録されていなければ、後の劣化と比較しようがないと思います。一種のトレーサビリティです。
小川: インフラにおいても初期状態の情報は大切です。時代で初期状態の基準、内容も変わってきている。
吉原: そのトレーサビリティや基準という点で、最近非常に興味深いエピソードを聞きましたのでご紹介します。インフラそのものではなく、地震に関する話ですが。ご記憶にあるかと思いますが、熊本でマグニチュード7クラスの地震が2度続けて起きましたよね。
小川: ええ、甚大な被害が出ました。
吉原: その後、大学の建築関係の研究室の先生方が、被害地域の全ての家屋を全数調査したんです。そして、その結果を自治体が出していた「全壊」「半壊」「一部損壊」といった公式な診断結果と比較した。そこで、驚くべきことが分かったんです。
高田: と言いますと?
吉原: 問題は「一部損壊」と診断された家屋です。これは、基準上は直ちに倒壊する重大な危険性はなく、命を脅かすほどの被害ではないとされています。ところが、実際に調べてみると、その診断を受けた2年後には家屋の実に4割が、結局は更地か建て直しに至っていたんです。
一同: (驚きの声)4割も…!
吉原: そうなんです。つまり、公式な基準では「軽微な被害」でも、住民の方々にとっては「とてもじゃないが、このままでは生活を継続できない」というレベルの損傷だった。そのギャップが、調査結果として浮き彫りになったわけです。
山本: なるほど…。基準が、生活者の実感と乖離していたのですね。
吉原: ええ。そこであらゆる方向からの地震とその大きさの大小を与えても安全な建築基準を研究する試みなどが行われているそうです。このエピソードは、我々が議論しているインフラの劣化に対する基準も、社会や生活の実態に合わせて常に見直していく必要がある、ということを示唆しているように思います。それに応じたトレーサビリティで診断していく必要もあるのかな、と思いました。
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保守しやすい設計思想と、未来への責任
田村: 皆さん、非常に良い指摘をされていると思います。インフラの劣化は、非常に微量なダメージが長期間にわたって蓄積することで起こります。先ほど高田さんがおっしゃった下水管の漏洩を測るとなると、本当にごく僅かな量を検知しなければならない。
つまり、「インフラの維持管理のための計測技術」という議論は、「保守・点検しやすいインフラの構造設計」とセットでなければならないんです。インフラの初期状態をデータ化しておくというコンセプトには賛成ですが、その際に「どういう情報で初期状態を定義するのか」は、まさに設計の問題です。
(再び笹子トンネルの資料を指し示しながら)
先ほど山本先生が紹介された笹子トンネルですが、天井板を吊っていたアンカーボルトは、天井板からさらに8メートルも上にあるトンネル本体の天井に打ち込まれています。こんなもの、点検できるわけがありません。毎回、巨大な足場を組まなければならない。点検にかかる費用も時間も莫大なものになります。結果的に、目視によって状態を点検する運用にせざるを得なかったのです。
吉原: (驚いて)そんな構造だったのですか。
田村: ええ。ですから、維持管理の問題を議論するには、点検のしやすさを担保する構造設計を組み込まないと、「現場が悪かった、現場が手抜きをしていた」というような、誤った結論になりかねません。設計の中には、保守・点検のための情報を提供する構造や、保守のしやすさそのものを織り込んでいかなければならないのです。
吉原: 設計で担保すべき、というご提案ですね。小川さん、保全の立場からはいかがですか。
小川: 田村さんの言われる通りです。私はエレベーターやエスカレーターの保守に携わっていましたが、人手が非常にかかります。そこをいかに楽にしてあげるか、特に人手不足が深刻な今、最初に設計で織り込んでおくことは極めて重要です。その視点は絶対に必要だと私も思います。
吉原: 人手不足が深刻だということですが。浅利さん、いかがですか。
浅利: 私は地方出身なのですが、今、地元の人口がものすごく減っています。同級生が120人ほどいたのに、昨年その地域で生まれた子どもはたった一人だったと聞きました。
吉原: …120人が、一人に減った。
浅利: はい。地方のインフラは、これからどうなるのだろうと。保守点検という仕事は若い人には人気がありませんし、人がいなくなることでインフラの劣化が進み、地域間の格差がますます大きくなっていくのではないかと、不安に感じました。
吉原: それは…最も深刻な問題かもしれません。
見原: 思いつきで申し訳ないのですが、以前、下水管を掘り返さずに補修する技術を開発した会社の役員の方と話す機会がありました。八潮市の陥没事故のニュースが盛んに流れていた時期です。その方が言うには、報道されている原因では、あの規模の陥没は考えにくい、と。その道のプロの意見ですから、そんなものかと思って聞いていました。そこから今思うのは、我々が持つ知識だけでは、長寿命のインフラを設計するには誤差因子が不足しているのではないか、ということです。近年、ゲリラ豪雨で下水がオーバーフローする事態が頻発していますが、昔は考えられなかった。想定外のことが、これからもっと増えていくのではないでしょうか。
伊藤: お話を聞きながら、改めて「設計とは何か」を考えさせられました。品質工学で言うロバスト性も、それをどう評価し、どう維持していくかという方法論がなければ始まりません。特にインフラのように長期間使われるものは、「どう維持するか」という手法そのものを設計に組み込む必要がある。
これまで、個々の企業レベルではいろいろな取り組みが行われてきたと思いますが、これからは社会全体で、そうした発想がより強く求められる時代になったのだと思います。そして、浅利さんが指摘されたように、地域差や、さらには国際的な視点も必要になる。これは非常に広大な問題ですが、逆に言えば、日本が世界の先進モデルを作るチャンスでもあると感じます。まずは国レベルの大きさの閉じた社会の中で、老朽化したもののメンテナンスと新しい仕組みづくりを両立させる。ワクワクするような挑戦ではないでしょうか。
熊野: 今後新しく作るインフラの設計も大変ですが、それとは別に、過去に作られた膨大なインフラをどうしていくのか、という問題は残り続けます。新しい設計思想でインフラを作れるようになっても、古いものをどう置き換えるのか。メンテナンスにも限界はあるでしょうし、古いものを撤去しなければ新しいものは作れない。この巨大な既存インフラをどう扱っていくのかが、結局は一番難しい問題として残り続ける気がしてなりません。
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未来を創るための計測とは
吉澤: 計測というのは、突き詰めれば「意思決定」のために行うわけです。このトンネルを使い続けるのか、お金をかけて補修するのか、あるいは廃止するのか。その判断基準には当然、経済が絡んできます。その際、自社だけの価値判断ではなく、社会全体の損失まで含めて意思決定をすべきだ、というのが品質工学の考え方であり、オンライン品質管理の応用となります。
その意思決定の質は、計測の質に懸かっています。先にも述べましたが、対象物の「機能」をいかに正確に捉えるか。そして、その機能特性に漏れがないか、本当に測定可能なのか。もし測定できないなら、どんな工夫で可能にするのか、など検討する必要があります。
DXということで、最近は目的もなく、とにかくセンサーを付けてデータを取っているだけでは意味をなさないと思います。もちろん、集まったデータを見直すことで有効な情報が見つかることもありますが、本来は「何のために取るのか」という目的論がなければなりません。
山本: (深く頷き)
吉澤: 意思決定には、社会的損失という視点が不可欠です。しかし、「社会」とは一体誰なのか。その主体をどう定義するのかは非常に難しい。突き詰めれば、人間という集団が被る損失、と考えるのが現実的かもしれませんが、これは本当に奥深い問題です。
吉原: 地球という壮大なインフラが、素晴らしい生態系を育んできたことを考えると、人間の文明が生み出した社会的損失とは何なのか、と問われている気もしますね。
さて、時間も迫ってきました。最後に、イントロダクションを務めていただいた山本先生、本日の議論を総括していただけますでしょうか。
山本: ありがとうございます。初めてこのような座談会に参加させていただきましたが、非常に勉強になり、良い議論ができたと感じています。品質工学の根幹である「目的は何か」という問いを中心に話が進み、「インフラの機能とは何か」という核心に迫れたことは大きな気づきでした。皆さんからいただく言葉の一つひとつが、頭の中を整理する助けになりました。高田さんが提起された「グレーゾーン」の話に始まり、どう計測すればインフラを長く維持できるのか、という未来志向の開発の必要性も感じました。ウェザーニュースが個人のスマホから天候情報を集めて予報精度を上げているように、あるいは、市民が電柱の異常を写真で報告する仕組みがあるように、計測の方法には様々な工夫の余地がある。
船の自動運航では、衛星通信が橋の下を通過する数秒間だけ通信が途絶える場合があることが大きな課題になっています。その数秒が事故に繋がるかもしれない。当たり前だと思っていたインフラの裏側には、こうした無数の課題と、それに向き合う技術者の努力がある。そのことを改めて認識した、貴重な時間でした。私の方こそ、皆さんに感謝いたします。ありがとうございました。
吉原: はい。それでは以上をもちまして、今年の座談会を終了します。皆さん、ありがとうございました。
「インフラ老朽化と計測DXの社会損失低減」品質工学座談会 (計量計測データバンク)
2026-01-02-reducing-social-losses-due-to-aging-infrastructure-and-measurement-digital-transformation-of-quality-engineering-roundtable-
[関連情報]
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├「インフラ老朽化と計測DXの社会損失低減」品質工学座談会 (計量計測データバンク)├
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├品質工学座談会 品質工学は計測技術にどう貢献したのか―2014年座談会「品質工学は計測技術である」から10年を振り返って―(計量計測データバンク)
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├品質工学座談会 「矢野宏先生 追悼座談会 恩師との出会いと学び」(2023年10月7日開催)
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├現場の計測管理 第12回座談会(日本計量新報社 計量計測データバンク主催)
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├品質工学座談会-機能性評価と計測-2020年2月28日公開(計量計測データバンク)
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├現場の計測管理 第12回座談会(日本計量新報社 計量計測データバンク主催)
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├2011年 現場の計量管理座談会 JISQ10012の普及と不確かさの活用で計量管理を推進 (keiryou-keisoku.co.jp)
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├NMS研究会報告一覧 (keiryou-keisoku.co.jp)
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├計量管理とは何かを懸命に問うた一人の技術官僚
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├地震予知に執着する矢野宏氏と鴨長明の大地震のこと
├能登大地震-その1-水道をはじめとするインフラの復旧と被災者救援 (計量計測データバンク)
├機械設計における遊びの要素と性能と品質の実現
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├質量の起源を探る
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├計量計測トレーサビリティのデータベース(サブタイトル 日本の計量計測とトレーサビリティ)
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├計量計測トレーサビリティのデータベース(計量計測トレーサビリティ辞書)
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├計量計測トレーサビリティのデータベース(計量計測トレーサビリティ辞書)-2-
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├計量計測トレーサビリティのデータベース(計量計測トレーサビリティ辞書)-3-
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├[エッセー]イナゴ捕りが金銭と引き換えられた途端に遊びは賃労働に転換する
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├関連論説-その1-経済からみた日米戦争と国力差、ウクライナ戦争の終着点 執筆 夏森龍之介
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