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村上衡器製作所117 年の歩み 村上昇氏
昭和45(1970)年頃のピーク時には月産600台を超え、自社営業マン同士が担当顧客のために製造が完了したばかりの同商品を奪い合った、この商品のお陰で自社工場ビルが建った、という逸話が残っている。
新計量法のもと計量標準供給体制に基き、平成8年(1996年)6月には通商産業大臣より質量区分(分銅・おもり)の[認定事業者]としての認定を受け(認定番号JCSS0066)、さらに平成15年(2003年)2月には日本で初めて質量区分(はかり)の[認定事業者]としても認定を受け、分銅・おもり・はかりにJCSSロゴマーク付の校正証明書を発行できる校正業務を開始しました。

Murakami Koki Seisakusho at 117 years of progress by Mr. Murakami

昨年、実家の大整理を敢行した際に、仏壇奥や屋根裏部屋から祖父(二代目経営者)の遺品と共に会社に関係する物品を数多く発見した。また、会社倉庫の整理整頓でも社歴を示す資料を発見した。
村上衡器製作所117 年の歩み 村上昇氏
(計量計測データバンク編集部)

村上衡器製作所117 年の歩み 村上昇氏

村上衡器製作所117 年の歩み 村上昇氏

計量史を探る会2023大阪にて。特別講演をする(株)村上衡器製作所社長村上昇氏。演題は「弊社117年のあゆみ」


村上衡器製作所117 年の歩み 村上昇氏

(本文)

1、はじめに

 明治 39 年(1906 年)に創業した弊社、株式会社村上衡器製作所は本年(2023 年)で創業 117 年目を迎える。創業以来、大阪の地で一貫して質量の計量器を製造・販売してきたが、会社の歴史を示す断片的な資料はあるものの、社歴をまとめた資料や社史の類は存在していない。

 その様な中、昨年、実家の大整理を敢行した際に、仏壇奥や屋根裏部屋から祖父(二代目経営者)の遺品と共に会社に関係する物品を数多く発見した。また、会社倉庫の整理整頓でも社歴を示す資料を発見した。

 これらの品々が長い期間を経て同時期に再び日の目を浴びたことは単なる偶然ではなく、社歴編纂の天の啓示と捉え、創業 120 周年を数年後に控えた今、弊社の歴史を紐解き、その足跡を記録することを初めて試みたものが本稿である。

会社概要
商号 株式会社 村上衡器製作所(ムラカミコウキセイサクショ)。
英文名 MURAKAMI KOKI CO.,LTD.
所在地 〒535-0005 大阪市旭区赤川2丁目10番31号。
Tel. 06-6928-7571 / Fax. 06-6928-1099。
創業 明治39年(1906年)2月28日。
会社設立 昭和23年(1948年)5月14日。
資本金 1,000万円。
従業員数 31名(2023年4月1日現在)。
事業内容 業務用機械器具製造業-はかり製造業。
日本標準産業分類による
精密衡器(はかり・分銅等)の製造・販売・校正・検査、計量器 届出製造事業者、JCSS登録事業者(登録番号JCSS0066)。
一般計量士:3名在籍。
加盟団体
日本計量機器工業連合会、日本計量振興協会、日本理科教育振興協会、日本科学機器協会、日本薬科機器協会、全国計量器販売事業者連合会、大阪府計量協会、大阪府計量器工業会、大阪科学機器協会、大阪商工会議所。
取引銀行 三井住友銀行天六支店、りそな銀行守口支店、三菱UFJ銀行都島支店、北おおさか信用金庫十三営業部。
本社・工場
敷地面積1009.3平方メートル、建物床面積1608.6平方メートル。
役員 代表取締役 村上昇。

会社沿革

 当社の事業は今から約130年前、明治22年(1889年)11月初代・村上佐助(改名前:敬次郎、当時18歳)が、当時旧幕時代からの秤座へ技術見習として入所したことに始まるものであります。

 同所に於いて技術見習後、独立営業を決意し、明治39年(1906年)2月28日、時の農商務大臣より衡器の製作免許を受け、大阪市福島区に分厘桿秤専門製作の個人営業として35歳で創業しました。

 二代目・村上佐助(襲名前:富雄)は大正14年(1925年)4月より家業に従事し30数年の間、製品の改良、考案に努力すると共に、従業員の養成と販路の拡張に努力し、信用に、設備に、製品に、販路に確固たる地盤を築くに至りました。

 戦後世情に適合したる企業たらむべく法人組織に改組し、昭和23年(1948年)5月14日、株式会社村上衡器製作所を設立し、二代目・村上佐助が初代の代表取締役に就任し、経済変動の激しいなかを堅実な歩みを続けました。その間、昭和30年(1955年)には計量関係功労者として通産大臣表彰を、また昭和32年(1957年)には黄綬褒章の栄誉を享けました。

 昭和36年(1961年)には一段の発展と能率の増進に、企業近代化の第一歩を踏み出し、設備の改善と、施設の拡充に努めましたが、その成果を見る事を得ず、同年11月2日急逝しました。(享年60歳/ 正六位勲五等双光旭日章を追賜される)。

 三代目・村上和雄(当時32歳)は、その遺志を継いで代表取締役に就任し、その完成に努め着々とその成果を挙げ、昭和 39年(1964年)には計量関係優良事業所として、昭和57年(1982年)には産業功労事業所として、昭和59年(1984年)には産業功労者として大阪府知事表彰を、平成元年(1989年)には通産大臣表彰を、また平成7年(1995年)11月に藍綬褒章を、平成12年(2000年)11月に勲五等双光旭日章の栄誉を享けました。(平成29年(2017年)没/享年87歳)。

 平成23年(2011年)3月には 村上 昇が四代目・代表取締役に就任し、より一層の企業近代化と発展への努力を続けています。

 創業以来父子四代にわたる不断の努力と苦心を重ね、今日まで100余年の永きにわたり、衡器専門業者として順調な発展を遂げ、衡器と名のつくものは、大は大型天びんから小は上皿天びんに至るまで各種の衡器を製造、販売し、特に上皿天びんの生産、販売に於いては業界随一の実績を納めています。

 特に学校に於ける理科教育、産業教育の振興が重視され、これ等教育設備として弊社の各種天びんは広く各学校に大量に納入され、科学教育の振興に大きく貢献しております。

 また新計量法のもと計量標準供給体制に基き、平成8年(1996年)6月には通商産業大臣より質量区分(分銅・おもり)の[認定事業者]としての認定を受け(認定番号JCSS0066)、さらに平成15年(2003年)2月には日本で初めて質量区分(はかり)の[認定事業者]としても認定を受け、分銅・おもり・はかりにJCSSロゴマーク付の校正証明書を発行できる校正業務を開始しました。

 平成12年(2000年)12月には、分銅・おもり及び付属品の設計・開発、製造及び付帯サービス(修理、校正サービス)の範囲で品質保証の国際規格であるISO9001の認証を取得し、さらに平成21年(2009年)11月には、新JISマーク表示制度における「分銅」の認証を日本で初めて取得しました。信頼と安心のJISマーク付分銅を供給できるようになり、より顧客に信頼される製品づくりに努めております。

 平成28年(2016年)には大阪府の中小企業顕彰制度「大阪ものづくり中小企業賞2016」を受賞しました。

 古い歴史と伝統に併せ、優秀な技術を加え、全社員の固い団結のもとに、さらに新製品の開発、研究に努力を続け、益々高度化する産業界に貢献しようとするものであります。

[写真]
大正5年(1916年)村上衡器製作所 開業10周年記念
大阪市福島区 旧本社・工場前
前列中央:創業者 村上佐助/45歳(改名前 敬次郎)
前列 学生服:後の二代目社長 村上 富雄/15歳(襲名後 佐助)

2、歴代の経営者

2の1 創業者 村上敬次郎


氏名 村上敬次郎。
生年 明治 4(1871)年 7月15日 村上 佐助(佐七)・ライの二男。
改名 明治43(1910)年5月14日 家督相続・佐助を襲名。
没年 昭和23(1948)年8月 7日 享年77歳。
来歴 明治22(1889)年 堂島敏〇学校 卒業。〇字は判読不明の漢字。
・治22(1889)年10月 旧幕時代からの秤座(はかりざ)、 京都府 神(じん)嘉三郎氏方へ衡器製作見習いとして入所。
・同所で17年間技術習得をした後、明治39(1906)年2月28日に独立。当時の農商務大臣より衡器製作免許を受け、分厘桿秤専門製作の個人営業として創業。(当時35歳)。
・大正10(1921)年2月、昭和11(1936)年2月と継続して衡器製。
作免許を受け、大型天秤から微量天秤までの製作に成功。化学用天秤、上皿天秤、自動秤等には独自の技術を有し、20数件の特許を取得。
・昭和7(1932)年に天秤改良の功績により大阪府知事より実業功労者表彰を受章。同年11月 貿易会館において天覧の栄光を賜る。(当時61歳)。

2の2 二代目 経営者 村上富雄

氏名 村上富雄。
生年 明治34(1901)年8月8日 村上 敬次郎・コウの長男。
改名 昭和24(1949)年8月13日 佐助を襲名。
没年 昭和36(1961)年11月2日 享年60歳
来歴
・大正10(1921)年3月 大阪市立実業学校 金属工業科 卒業。同年4月より家業に従事。
・昭和16(1941)年より 日本衡器工業会(大阪)、日本計量協会。
(全国)などの業界団体 理事・監事・顧問を歴任。
・昭和27(1952)年4月 大阪府計量器連合 会長に就任 ・昭和32(1957)年4月20日 黄綬褒章 受賞。
・持病であった心臓病の発作により、昭和36(1961)年11月2日 自宅にて急逝。同月、正六位勲五等双光旭日章を追賜される。

2の3 三代目 経営者 村上和

氏名 村上和雄。
生年 昭和4(1929)年10月10日 村上 富雄・房枝の長男。
没年 平成29(2017)年3月29日 享年87歳。
来歴
・昭和27(1952)年3月 大阪大学工学部卒業。株式会社 島津製作所 分光分析研究室に勤務。
・昭和36(1961)年11月、村上 富雄の急逝をうけ、株式会社島津製作所を退社し、株式会社 村上衡器製作所に入社・代表取締役に就任。(当時 32歳)。
・社団法人 大阪府計量協会 副理事長、大阪府計量器工業会 会長、社団法人 日本計量機器工業連合会 理事などを歴任。
・平成元(1989)年 通商産業大臣表彰 受章。
・平成7(1995)年 藍綬褒章 受章。
・平成12(2000)年 勲五等双光旭日章受章。
・平成23(2011)年3月 代表取締役交代により会長に就任。(当時 82歳)。

2の4 現経営者 村上昇

氏名 村上昇。
生年 昭和49(1974)年12月7日 村上 和雄・直子の長男。
来歴
・平成12(2000)年 鳥取大学大学院工学研究科 修了。神戸市西区の工場設備メーカー設計部に勤務。
・平成15(2003)年 英国語学留学 ・平成16(2004)年10月 村上衡器製作所 入社。
・平成23(2011)年3月 代表取締役 継承(当時 37歳)。
・平成24(2012)年 一般社団法人 日本計量機器工業連合会 監事に就任。
・令和3(2021)年 大阪府計量器工業会 会長に就任。
・令和5(2023)年6月 一般社団法人 大阪府計量協会 理事長に就任。

図.1 創業者 村上敬次郎

図.2 二代 代表取締役 村上 富雄

3、会社組織と事業展開の変遷

3の1創業以前


 村上家の過去帳の記録によると、江戸時代の村上家は「大和屋」の屋号を用い、何らかの商いを大阪の地で展開していた様である。創業者・村上敬次郎の父、村上佐助(天保 7(1836)年~大正4(1915)年、享年79歳)は七男であったため、明治末期には大和屋の商いとは関係が薄かったのではないかと想像する。

3の2 創業(明治39(1906)年)

 創業者・村上 敬次郎は旧幕時代から続く京都の秤座で明治22(1889)年より17年間の技術習得をした後、大阪府大阪市福島区にて35歳で独立・創業する。

 この土地は敬次郎の実家と会社を兼ねた場所であり、第二次世界大戦で罹災全焼するまで社長宅兼会社・工場として使用していた。創業当初は棹秤製作専門の個人営業であったが、徐々に製品の種類を増やし、従業員の雇用も進め、会社組織を強化してゆく。

3の3 大正時代~昭和初期(第二次世界大戦まで)

 大正1(1912)年の村上佐助(佐七)の喜寿記念撮影、大正5(1916)年の開業10周年記念撮影(従業員30名)から、創業後の事業は順調に推移していたものと想像できる。政府からの衡器製作免許も継続して更新、製品技術特許を複数取得し、組織体制を強化している。

 商品の販売先は、日本国内のみならず、当時の大日本帝国・日本政府統治下であった朝鮮半島及び台湾にも及んでいたことが当時の受注伝票から確認できる。

 しかし、昭和16(1941)年から激化した戦争の影響は確実に及んでいた。昭和18(1943)年前後の受注伝票によると、上皿自動秤を大阪の製薬会社や鉄道会社に加え、大阪・名古屋の陸海軍の兵站基地に火薬調合用として納入している。

 昭和19(1944)年5月には戦時政府の企業整備命令により家業の廃業を余儀なくされ、株式会社 島津製作所と統合、赤川工場(大阪市旭区赤川:現在の弊社所在地)に移転して同年7月より操業を継続。村上 富雄が赤川工場長として質量計量器製造の現場指揮にあたった。(当時、43歳)。

 昭和20(1945)年3月13日、第一次大阪大空襲により福島区の社長本宅・土蔵・会社建屋・工場が一夜にして罹災全焼。家財、工場設備、資料等が全て消失した。しかし、一家全員は昭和6年6月に購入していた兵庫県宝塚市の別宅に疎開しており戦災を免れている。また、会社も主な生産機能は福島区から旭区の赤川工場に移管していた様であり、幸運にも会社消失の難は免れた。

3の4 戦後~平成初期

 第二次世界大戦の敗戦による統合体の解体により、村上富雄は家業の再興を決意し、島津製作所から円満合意の上、分離独立した。昭和22(1947) 年、商工大臣より衡器製作の免許を受け、昭和23年(1948)年5月14日 株式会社 村上衡器製作所を設立。初代の代表取締役に就任する。(当時、47 歳)。

 当初は赤川工場の土地・建物を島津製作所から賃借し操業していたが、交渉の末に売却による譲渡を受けた。

 また、少なくとも昭和27(1952)年には東京都荒川区北西部(旧・尾久町)に東京分工場として生産拠点を有していた。取得の経緯や目的、分工場廃止の理由などは不明である。当時の製品やカタログには、社名と併せて「大阪 東京」の表記が確認できる。

 昭和30年代以降の高度経済成長期には、他の産業と同様に計量器製造業も大きく成長していた。この頃の従業員数は約50名になり、商品の種類も、感量1mgの調剤用天秤、ひょう量50kgの大型天秤、ひょう量2000kgの不等比台手動はかり、紡績用秤や乳児用卓上秤、各種検査用分銅など多岐に及んだ。

 また、慰安旅行や業界内野球大会への参加なども盛んに実施していたことが写真から伺える。その様な中、昭和36(1961)年11月、持病の心臓発作により村上 富雄が60歳で急逝。

 当時、株式会社 島津製作所で分光分析の技術研究員として約10年間勤務していた村上 和雄が急遽入社し、先代からの引継ぎが全く無いまま代表取締役を継承した。(当時 32歳)。

 当初の数年間は、古参幹部社員に支えられながらの会社運営に加え、島津製作所での研究業務の引継ぎも並行して行っていたそうである。

 昭和35(1960)年頃から昭和55(1980)年頃まで、弊社の自動上皿天びんUS型の生産・販売が全盛期を迎える。この機種は内部に釣り合い分銅を内蔵しており、手動レンジ切替え操作のみで計量値が指針により表示されるという、卓上機械式天びんとしては画期的な質量計量器であった。

 独自技術と自社職人技術に支えられ、他社の追随を許さず調剤薬局や学校教育向けに爆発的な販売を計上し、全国的に一世を風靡した。

 昭和45(1970)年頃のピーク時には月産600台を超え、自社営業マン同士が担当顧客のために製造が完了したばかりの同商品を奪い合った、この商品のお陰で自社工場ビルが建った、という逸話が残っている。

 昭和 50(1975)年頃の電子天びんの登場により、質量計量器の性能と利便性は飛躍的に向上した。平成時代に入ると低価格化により急速に普及する。弊社でも卓上型の電子天秤(ひょう量40kg以下)を独自開発、販売した。東南アジアだけでなく、オーストラリアやスペインにも盛んに輸出販売していた。

 創業からこの時代までは計量器の普及という社会のニーズを反映して、会社事業の中心は「質量計量器の製造」であった。

図.3 独自の技術を有する 自動上皿天びんUS型(現在も販売中)

3の5 平成時代~令和時代

 平成5(1993)年11月の計量法大改正により、法の中に「計量標準供給制度」と「校正事業者登録制度(JCSS)」が組み込まれた。これに弊社は即応し、国内初の質量分野での JCSS 校正事業者となるべく、関係行政機関への申請・審査対応を進めた。

 平成8(1996)年6月、国内二番目の質量校正登録事業者(分銅)となった。ちなみに、僅かな時間差で国内初の座を手に入れたのは株式会社島津製作所であった。同社には何かと縁がある。

 同時期あたりから電子天びんの更なる普及と低価格化が進み、弊社の機械式はかりの生産は減少していった。機械式はかりの生産機種を徐々に縮小し、現在では前出の自動上皿天びんUS型と上皿天びん(主に小学校理科教育向け)の生産のみになっている。

 一方で、電子天びんを含む高精度な質量計量器の普及に伴い、適正な計量の確保のためには適正な質量標準に基づく質量計量器の管理が求められるようになった。弊社では、機械式天びん製造の中で培った分銅の製造ノウハウを発展させ、国際規格に準拠した質量標準分銅の製造・販売を推進した。また、適正な質量標準に必要不可欠な国家計量標準へのトレーサビリティの証、JCSS質量校正証明書の発行もJCSS認定事業者として実施している。

 現在では、従来からの「質量計量器の製造」に加え、「質量標準器の製造」と「質量計量器/標準器の校正」が事業の柱となっている。

4、創業当時からの伝統と社風

 創業時より会社の方針として、従業員を大切にする精神が伝統的に継承されている。二代目経営者・村上富雄の社長時代(大正末期~昭和30年代)、正月には従業員が社長宅へ新年挨拶に訪れる事が一般的であった時代に、「正月はゆっくりと体を休めなさい。」との考えから挨拶訪問を禁止した事が逸話として残っている。

 この精神は、60年以上継続している従業員昼食誕生会、慰安旅行、年間休日130日、休日出勤なし、製造部残業なし(19時までには全社員退勤)、といった形となり今日まで継承されている。

 会社組織における最大の資産は、会社の伝統や社風・雰囲気といった目に見えないものであると常々考えている。近年の「働き方改革」が声高に叫ばれる遥か以前から従業員に手厚い職場環境を提供しようとする伝統があり、今日まで継続できていることは会社の誇りでもある。

 現在、弊社の企業理念は、「株式会社 村上衡器製作所は全従業員の物心両面の幸福を追求し、”規格を遵守する技術力“を誇りとして、正確な質量計測に貢献します。」と定めている。

 株式会社であるため安定した利益を追求する事は当然であるが、その利益は全従業員の「幸福」のために使う事、そして、創業以来の「質量計測」への貢献という軸足は決してぶれない事、これらが肝要であると理解している。

5、おわりに

 本稿では資料の現存している第二次大戦以降の社歴を中心に記述した。未整理の資料も多数あり、今後更に詳細な社史が解明できる余地がある。

 どの時代も経営の苦労、事業継続の困難は絶えなかったであろうが、特に第二次世界大戦前後が最も困難な時期であったと思う。

 明治末期に生まれ、大正時代に家業に入り、昭和の神武景気・岩戸景気という高度経済成長期初期までの激動の時代の中で弊社の事業の土台を確かなものにした初代代表取締役村上富雄の逞しさと会社への功績に最大限の敬意を示したい。

[参考資料]
村上富雄:個人備忘録、(昭和25年頃)。
弊社商品カタログ集(昭和6年4月 発行版)。
弊社商品カタログ集(昭和27年10月 発行版)。
日本人事録 西日本編(昭和32年10月 発行版)。
褒章受有者名鑑(昭和32年11月 発行版)。

日本人事録 西日本編(昭和32年10月 発行版)より。
村上富雄
関西商工機械科卒、大正10年家事従事。
昭和16年 日本衡器工業会専務理事。
昭和17年 5月 日本計量器組合連合会監事。
昭和25年 関西計器工業会理事、大阪府計量器協会監事、日本計量器工業会連合会理事。
昭和26年 はかり工業会理事。
昭和27年4月 大阪府計量器連合会会長~現在(昭和32年)に至る。
なお、大阪府計量協会理事、大阪府計量器連合会顧問、社団法人日本計量協会監事を兼任。

図4~15は、創業から現在に至る従業員、製品、社内の様子等の写真を示す。

村上佐七 喜寿記念撮影

村上家に残る最古の写真。後列中央が村上 佐助(当時は改名し佐七)、右隣が創業者・村上 敬次郎(当時41 歳)。当時 11 歳の村上 富雄の姿も見える。その他の人物は残念ながら続柄・名前が不明である。背景の横断幕には村上家の家紋『抱きミョウガ』が確認できる。

創業6年後の創業者、村上敬次郎は意気軒昂な様子である。

図.4 大正元(1912)年 創業者の父・村上佐助(佐七) 喜寿記念撮影 福島区時代の社長宅前にて

村上衡器製作所開業拾周年記念

会社に残る最古の写真。前列中央が創業者・村上敬次郎(当時は改名し佐助)、左隣が村上 富雄(当時15 歳)。23 名の男性従業員、7 名の女性従業員の総勢 31 名体制だった模様。

現在の弊社と同人数規模である。純和装で記念撮影に臨んでいることが時代を反映している。

図.5 大正5(1916)年 村上衡器製作所 開業10周年記念 福島区時代の社長宅前にて
(図.4と同じ場所で撮影)

島津製作所綱領(島津製作所 赤川工場時代)

 大日本帝国の最末期、終戦のちょうど1年前に記された綱領。戦時下の企業内における雰囲気や当時の世相が色濃く反映されている。

 戦時政府の企業整備命令により廃業を余儀なくされ、島津製作所に企業統合された直後に書かれたものである。終戦後、島津製作所から分離・独立している。
図.6 昭和19(1944)年8月15日 謹書 島津製作所 綱領(平成31(2019)年4月 額縁裏より発見)

図.7 昭和27(1952)年発行の弊社商品カタログ表紙(左)と商品チラシ

図.8 昭和30(1955)年 村上 佐助(富雄) 計量士登録証(第3,063号)
平成18(2006)年 村上 昇 計量士登録証(第12,643号)

昭和30年頃の社屋と作業場

図.9 昭和30(1955)年頃の社屋

図.10 昭和30(1955)年頃の職場風景

昭和27(1952)年版 商品カタログ 弊社商品群

[計量計測データバンク編集部による注記]
写真および図が掲載されておりませんが、技術的ほかに理由によるものです。web掲載に適した資料の入手して掲載予定です。

[関連資料-1-]

計量史をさぐる会2023大阪 クボタ久宝寺事業センターで10月20日に開く

開催概要は以下のとおり。

共催(社)計測自動制御学会力学量計測部会。
協賛(社)日本計量振興協会、東京産業考古学会、日本技術史教育学会。
後援 日本計量新報社。

開催日時 2023年10月20日(金)。
会場 (株)クボタ久宝寺事業センター(大阪府八尾市神武町2-35)。
参加費 研究発表会 会員3,000円、会員外4,000円、懇親会4,000円。

プログラム

第一部 開会式(12:40~13:10)

主催者挨拶 日本計量史学会会長 山田研冶氏。
設営者挨拶 (株)クボタ精密機器ユニット長 吹原智宏氏。
来賓挨拶 大阪府計量検定所所長 柳生国良氏。
来賓挨拶 大阪府計量協会理事長 村上昇氏。

第二部 工場見学は(株)クボタ久宝寺事業センター (13:10~14:20

第三部 特別講演(14:30~16:10)
(株)クボタ移譲はかりの紹介。
東洋計量史資料館 館長 土田泰秀氏。
クボタトラックスケールの現在・過去・未来 (株)クボタ 瀬川浩一氏代表発表(共同作業者(株)クボタ 瀬川浩一氏、(株)クボタ計装 倉橋一夫氏、(株)クボタOB 島田吉昭氏)。
弊社117年のあゆみ (株)村上衡器製作所社長 村上昇氏。

第四部 研究発表(16:20~17:00)
1、国際温度目盛(国際温度標準)の変遷2 小川実吉氏。
2、羽田正見と佐藤政養の貨幣密度(比重)分析 山田研治氏。
第五部 懇親会(17:10~19:10)
会場 クボタ久宝寺事業センター内。

日本計量史学会「計量史をさぐる会 2023」大阪開催オプショナルツアー(10月21日、10:00~15:00)

期日 2023 年 10 月 21 日(土)
前夜宿泊地:新大阪駅界隈のホテル(各自で予約宿泊)。地下鉄 新大阪駅より。
10:00 
パナソニックミュージアム見学  松下幸之助像前集合。
10:05 見学開始。
見学
11:20 見学会終了。
11:30 パナソニックミュージアム出発。常翔学園バス(最大27人乗り)。
12:15 大阪工業大学梅田キャンパス到着。
12:20 21 階リストランテ翔21にて昼食(1,500 円)。
13:10 
大阪工業大学梅田キャンパスの施設見学 (ロボティクス&デザイン工学部)。
15:00 見学会終了、現地解散。

2023-11-06-3-murakami-koki-seisakusho-at-117-years-of-progress-by-mr-murakami-

【資料など】

計量史をさぐる会2023大阪 クボタ久宝寺事業センターで10月20日に開く

「(株)クボタから移譲された工業用はかりの紹介」東洋計量史資料館館長 土田泰秀氏

「クボタ ラックスケールの現在・過去・未来」 (株)クボタ瀬川浩一氏、(株)クボタ倉橋一夫氏

村上衡器製作所117 年の歩み 村上昇氏

国際温度目盛(国際温度標準)の変遷-1968年国際温度目盛(ITS-68)の採用-小川實吉氏

羽田正見と佐藤政養の貨幣の密度(比重)分析 山田研治氏


2024年(令和6年)近畿地区の京都、滋賀、大阪の計量協会年賀交換会が相次いで開かれる(計量計測データバンク編集部)
京都府計量協会1月17日(水)、滋賀県計量協会1月18日(木)、大阪府計量協会1月19日(金)



関東甲信越計量団体連絡協議会「第二回計量大会」
(その1)

関東甲信越計量団体連絡協議会「第二回計量大会」(その2)

関東甲信越計量団体連絡協議会「第二回計量大会」(その3)

関東甲信越計量団体連絡協議会「第二回計量大会」(その4) データベース 葛飾北斎と浮世絵


「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2023年11月16日号「日本計量新報週報デジタル版」
「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2023年11月09日号「日本計量新報週報デジタル版」
「日本計量新報」今週の話題と重要ニュース(速報版)2023年11月02日号「日本計量新報週報デジタル版」


都道府県計量行政機関等の一覧(経済産業省ホームページにリンク)


山口県計量検定所 https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/soshiki/88/ (左記にurlが変更されました)

計量検定所検査所など地方計量行政機関動き HPからの抜粋(2022年1月24日現在)

計量検定所検査所など地方計量行政機関の業務ニュース HPからの抜粋(2023年1月18日現在)

日本の計量士制度の概要

第21回全国計量士大会 2023年3月17日(金)ウェスティン都ホテル京都て開かれ123名が参加

第21回全国計量士大会 特集(写真集-その2-)

第21回全国計量士大会 特集(写真集-その1-)

第21回全国計量士大会 議事特集(その1)

第21回全国計量士大会 議事特集(その2)


メートル法と田中館愛橘、高野瀬宗則、関菊治の三氏(計量の歴史物語 執筆 横田俊英)

西秀記氏が初当選 2023年6月4日投票の青森市長選挙 57,062票 得票率43.1% 産学官連携で仕事創出を訴える

(国研)産業総合技術研究所
      ├
      ├計量標準総合センター
          ├
          ├
          ├
          ├工学計測標準研究部門
          ├物理計測標準研究部門
          ├物質計測標準研究部門
          ├分析計測標準研究部門
          ├
          ├小畠時彦(コバタ トキヒコ) (Tokihiko Kobata)
          ├


計量計測データバンク ニュースの窓-1-
日本の新聞社、メディア、情報機関など web検索(計量計測データバンク)
日本のテレビ局 web検索(計量計測データバンク)



社会の統計と計量計測の統計
一括表示版「社会の統計と計量計測の統計」
「計量計測データバンク」小論、評論、随筆、論文、エッセー、文芸ほか(目次版)
「計量計測データバンク」小論、評論、随筆、論文、エッセー、文芸ほか(一括掲載版)
計量計測データバンク「計量計測辞書」measure and measurement dictionary
計量計測データバンク 目次 サイト(一括閲覧サイト)
計量計測データバンク 目次 サイト


社会の統計と計量計測の統計
   ├【分類1】計量計測機器と分析機器の機種別の生産統計
   ├【分類2】日本の計量計測と分析と科学機器などの団体とその業務(生産高などを含む)
   ├【分類3】日本と世界の経済などの統計
   ├【分類4】日本の計量計測分野の官公所(掲載は順不同)
   ├【分類5】日本の学会一覧
   ├【分類6】日本の計量計測と分析と科学機器などの学会(掲載は順不同)
   ├【分類7】計量計測と分析の政府機関、関連学会、団体ほか(未分類です)
   ├【分類8】化学関連学会と協会など
   ├【分類9】日本の学会(重複掲載あり)(すべてを集めているわけではありません。)
   ├【分類10】日本の計量計測関連した団体など諸情報(分類整理されない情報です)
   ├【分類11】日本の計量計測関連した未分類の諸情報
   ├【分類12】web情報総合サイト(設営途中です)
   ├【分類13】日本の計量法と計量関係法規
   ├【分類14】計量に関する国際機関と各国の計量標準の研究と供給に関係する各国の機関(海外NMI)
   ├【分類15】韓国の計量関連機関と団体ほか
          ├
          ├韓国でのセミナー講師を通じて感じた韓国の計量事情-その1-執筆 横田俊英
          ├韓国でのセミナー講師を通じて感じた韓国の計量事情-その2-「日本の計量器産業論-その1-」序論)執筆 横田俊英
   ├【分類16】
   ├一括表示版「社会の統計と計量計測の統計」
   ├
   ├韓国でのセミナー講師を通じて感じた韓国の計量事情-その1-執筆 横田俊英
   ├韓国でのセミナー講師を通じて感じた韓国の計量事情-その2-「日本の計量器産業論-その1-」序論)執筆 横田俊英

「日本は貿易立国ではない]輸出依存度は15.2%

日本は貿易立国ではない。輸出依存度は15.2%(セカイコネクトに掲載文書)


計量計測のエッセー ( 2018年1月22日から日本計量新報の社説と同じ内容の論説です。以下の項目は追録があります。)


計量計測データバンク ニュースの窓 目次



2023-04-24-proceedings-special-part-1-21st-measurement-manager-competition-in-kyoto-

(計量計測データバンク ニュース 2023年11月07日付)


計量計測データバンクニュース・デジタル版 目次
table-of-contents-news-metrology-data-bank-digital-version


日本の計量士制度の概要


第21回全国計量士大会 議事特集(その1)

第21回全国計量士大会 議事特集(その2)

第21回全国計量士大会 2023年3月17日(金)ウェスティン都ホテル京都て開かれ123名が参加

第21回全国計量士大会 特集(写真集-その2-)

第21回全国計量士大会 特集(写真集-その1-)

計量検定所検査所など地方計量行政機関の業務ニュース HPからの抜粋(2023年1月18日現在)

2021年度の国家公務員管理職は総合職が72.9%、一般職が21.6%
国家公務員 霞が関職員の係長級経験者採用試験 合格・採用の事例(計量計測データバンク編集部)
計量計測データバンク 動画ニュース-2-(2022年1月30日から)第20 回全国計量士大会2022 年3月 4 日(金)13:30~17:00に 主催は日本計量振興協会
第20回全国計量士大会が2022年3月4日に開催されます。参加者募集中【計量計測データバンク動画ニュース】ユーチューブ 動画
https://www.youtube.com/watch?v=KFPJ1DwiElE
第20 回全国計量士大会2022 年3月 4 日(金)13:30~17:00に 主催は日本計量振興協会主催 pdf
計量計測データバンク動画ニュース-1-(2022年1月以降に掲載の寄稿文と計量計測情報)
計量検定所検査所など地方計量行政機関動き HPからの抜粋(2022年1月24日現在)
全国の地方計量協会の会員向け情報の調査(2022年1月18日現在)(計量計測データバンク編集部)
経済産業省が係長級(一般職相当)の選考採用を実施 応募受付中 応募締め切りは2022年3月31日(木)23:59(受信有効)
経済産業省2021年職員採用実績と出身大学(計量計測データバンク編集部)
日本計量新報最新のニュース 2022年1月7日以降(計量計測データバンク編集部)
2022年オミクロン株による感染防止の国家政策と個人の対策

計量計測のエッセー
地球温暖化と花見酒の経済
2022年日本経済の素描
質量の地球での振る舞いかた
質量の起源を探る

2022年オミクロン株による感染防止の国家政策と個人の対策
地球温暖化への対応は「一汁一菜」で幸せを感じる生き方

富士山と日本にある7つの氷河 文章 夏森龍之介

日本経済の未来-雑記帳-(データベース)その1by計量計測データバンク編集部

地球温暖化論争の雑記帳(データベース)by計量計測データバンク編集部

素描 モノ余り日本と働きたくない人々(計量計測データバンク)

計量法と計量行にかかる政政府関係機関の人事異動(計量計測データバンク編集部2021年10月28日付)

経済産業省2021年職員採用実績と出身大学(計量計測データバンク編集部)

原油価格高騰とその背景(計量計測データバンク 編集部)

弁護士郷原信郎の池袋暴走事故「実刑判決に控訴せず」の見方 ユーチューブ動画を含む

交通事故報道の背後にある警察庁の意思と国家権力のジャーナリズム支配

自動車の社会的費用とその負担

東池袋プリウス暴走事故で運転者に禁錮5年判決 2021年9月2日東京地裁

東池袋暴走事故 判決文全文 禁固5年 東京地裁判決 令和3年9月2日


東池袋プリウス暴走事故で運転者に禁錮5年判決 2021年9月2日東京地裁

2020年度東大卒業者就職先 学部卒は楽天が院卒はソニーがトップ

経済産業省元職員二人追送検 コロナ給付金詐取1500万円に膨れる

交通事故などの裁判とその在り方

和歌山毒カレー事件のことを調べておりました(計量計測データバンク編集部)

2021年 機械設計技術者試験 2021年11月21日(日)実施 全国17会場 日本機械設計工業会主催

2021年6月11日以後の気になるニュースです。(計量計測データバンク デイリーニュース)

和歌山毒カレー事件とその真相(犯罪の証拠とされた砒素鑑定の成否を検証する資料集)

お子さん/お孫さんに勤めてほしい企業ランキング調査 国家公務員が第1位

ビオンテック上席副社長カタリン・カリコ博士とCOVID-19対応mRNAワクチンの開発

国民のワクチン接種率7割でCOVID-19を抑えられる

計量計測データバンクニュース 経済産業省人事(2021年3月31日付け)

計量計測トレーサビリティのデータベース(サブタイトル 日本の計量計測とトレーサビリティ)
2019-02-05-database-of-measurement-measurement-traceability-measurement-news-
計量計測トレーサビリティのデータベース(計量計測トレーサビリティ辞書
2019-02-07-1-database-of-measurement-measurement-traceability-measurement-news-
計量計測トレーサビリティのデータベース(計量計測トレーサビリティ辞書)-2-
2019-02-07-2-database-of-measurement-measurement-traceability-measurement-news-
計量計測トレーサビリティのデータベース(計量計測トレーサビリティ辞書)-3-
2019-02-07-3-database-of-measurement-measurement-traceability-measurement-news-

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