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「江戸城」散策へのお誘い 中村邦光 (計量計測データバンクweb版)
An invitation to walk around Edo Castle by Kunimitu Nakamura

江戸時代における「浮力の原理」と「密度・比重」の概念 日本計量史学会 中村邦光(計量計測データバンクweb版)
本稿は日本計量新報に連載された文章をweb版である計量計測データバンクで取り扱ったものです

江戸時代における「浮力の原理」と「密度・比重」の概念 日本計量史学会 中村邦光

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「江戸城」散策へのお誘い 中村邦光

 JR東京駅(丸の内北口)⇔大手門⇔同心番所⇔百人番所⇔大番所⇔(大手休憩所・三の丸尚蔵館)⇔二の丸庭園⇔(本丸休憩所・展望台)⇔富士見櫓⇔松の廊下跡⇔石室⇔本丸跡(表・中奥・大奥)⇔天守台⇔宮内庁書陵部⇔北桔橋門⇔北の丸公園(近衛連隊跡=警察学校跡・学生会館跡)日本武道館⇔田安門(⇔JR飯田橋または都営地下鉄神保町という散策は如何でしょうか。

江戸城の略歴と現状

 江戸城は、長禄元(1457)年に扇谷上杉氏の家臣太田道灌によって創設(平山城)されました。しかし北条氏が滅亡したあと、徳川家康は居城をここに定めました。そして、大久保藤五郎忠行の指揮のもと、天正18(1590)年には「小石川上水」を竣工し、江戸の町づくりの準備をしました。

 江戸城は段階的に改修された結果、総構周囲約4里(16Km)と、日本最大の面積の城郭になりました。なお、江戸時代には「江城(こうじょう)」という呼び名が一般的だったといいます。

 徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城となり、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となりました。そして、明治維新(1868)以降には「宮城(きゅうじょう)・皇居」となり、以後は吹上庭園が御所、旧江戸城の西の丸が宮殿の敷地となっています。

 そして、宮殿の東側にある江戸城の中心部であった本丸・二の丸と三の丸の跡は「皇居東御苑」として時間をきめて一般に開放されています。なお、南東側の外苑と北側の北の丸公園(近衛連隊跡;警察学校跡、東京学生会館跡、日本武道館)は常時開放されています。

大手門

 大手門は江戸城の正門であり、慶長12年(1607)に藤堂高虎によって完成し、天和6年(1620)の江戸城修復・増築に際して、伊達政宗と相馬利胤の協力によって現在のような桝形(ますがた)になったといわれています。

 江戸城の一般に開放された部分もかなり見所があります。散策してみては如何でしょうか。ただし、城内の開放部分も開放されない曜日がありますので、事前に確認してください。なお、JR東京駅(丸の内北口)から大手門までは徒歩15~20分位です。

同心番所:「番所」

 同心番所:「番所」とは、警備の詰所のことで、百人番所、大番所とこの同心番所の3つが残っています。城の奥の番所ほど、位の上の役人が詰めていました。ここには同心が詰めており、主として、登城する大名の供の者の監視に当たっていました。

 百人番所:本丸と二の丸へ通じる要所である大手三之門の前に設けられた番所であり、少ない 江戸城の現存遺構の一つです。鉄砲百人組と呼ばれた甲賀組、伊賀組、根来(ねごろ)組、二十五騎組の4組が昼夜交代で詰めていました。各組には20騎の与力と同心が100人ずつ配属されていました。

大番所

 大番所:中之門の側に設けられ、他の番所よりも位の高い与力・同心によって警備されていました。前の坂を上ったところが本丸の入り口で中雀門(ちゅうじゃくもん)がありました。

本丸御殿

 本丸御殿は、表・中奥・大奥が南から北にこの順で存在していました。「表」は将軍謁見や諸役人の執務場、「中奥」は将軍の生活空間でしたが、政務もここで行っていました。そして「大奥」は将軍の夫人や側室や女中が生活する空間でした。将軍の御殿としての最初の本丸御殿は、慶長11(1606)年に完成。その後何回も焼失・再建を繰り返しましたが、文久三(1863)年の焼失以降は、本丸御殿は再建されずに機能を西の丸御殿に移しています。

天守台(天守閣跡)

 天守台(天守閣跡):最初の天守閣は慶長12(1607)年、二代将軍秀忠の代に完成しました。しかし、その後大修築され、寛永15(1638)年、三代将軍家光の代に、江戸幕府の権威を象徴する国内で最も大きな天守閣が完成しました。

 天守閣は、外観五層、内部六階で、地上からの高さは58mであったとのことです。しかし、わずか19年後の明暦3(1657)年の明暦の大火(振り袖火事)での飛び火により、本丸、二の丸、三の丸は全焼し、以降は再建されませんでした。それにしても、大きな天守台です。安土城の天守台とは、また違った風情の大きさです。

宮内庁書陵部・紅葉山文庫

 宮内庁書陵部・紅葉山文庫(もみじやまぶんこ)は、江戸時代に幕府将軍のために江戸城内の紅葉山に設けられた文庫(現代における図書館)です。「紅葉山文庫」の名称は、明治時代以降に用いられたもので(現存する蔵書印も明治以降に押印されました)、江戸時代には単に「御文庫」と呼ばれ、あるいは楓山(ふうざん)文庫、楓山秘閣(ふうざんひかく)などと呼ばれることもありました。

御文庫

 御文庫は、将軍のための政務・故事来歴・教養の参考図書とすべく、江戸時代初期から設けられていたもので、その膨大な蔵書の蒐集・管理・補修・貸借および鑑定などは、若年寄配下の書物奉行が行いました。

 将軍の利用を基本としましたが、それだけでなく老中・若年寄はじめ幕府の諸奉行や御用学者などへも貸し出しを許可されました(ただし書物奉行に申請し、その許可が必要でした)。従って「江戸の禁書」に指定された書物も一部所蔵されていましたが、書物の内容は門外不出でした。

 「宮内庁書陵部・紅葉山文庫」は、北桔梗門(内堀内)の近くにあります。そして、蔵書の閲覧は現在でも紹介者が必要です。

 国立公文書館(付属;内閣文庫)常時開放

 国立公文書館は、北桔橋門(内堀)の外にあります。内閣文庫(ないかくぶんこ)は、明治6年(1873)赤坂離宮内に「太政官文庫」という名称で開設された明治政府の中央図書館でした。そしてその後、明治23年(1890)内閣制度の制定とともに「内閣文庫」と改称され、内外の研究者に広く利用されました。そして、昭和46年に「国立公文書館」が設立された後、付属されました。

 内閣文庫の蔵書は、紅葉山文庫本、昌平坂学問所本をはじめ和漢書籍、記録など旧徳川幕府ゆかりの書籍を中心とし、さらに明治政府が集めた古文書・洋書を加えて、我が国の中世から近代までの文化、および中国の明、清代の文化に関する貴重な内容の蔵書が収録されています。

 北の丸公園(近衛連隊跡;東京学生会館跡・警察学校跡)常時開放

 北の丸公園の最北端には、日本武道館が設立されており、田安門から外堀を渡り城外(九段坂)に出ます。そしてJR飯田橋へ。または九段坂を降りて都営地下鉄神保町周辺の古書店街を散策するのも一興かと思います。


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