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標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと
井出孫六の生家佐久の造り酒屋季節限定生酒をしみじみと飲む
What I thought at the foot of Mt. Yatsugatake at an altitude of 1,500 m
執筆 甲斐鐵太郎

標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと
井出孫六の生家佐久の造り酒屋季節限定生酒をしみじみと飲む
執筆 甲斐鐵太郎 旅行家

標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

八ヶ岳山麓は1週間で樹木の様相が変わっていた。

標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

早く赤くなる葉が夏の気配を一気に消し去っていた。


標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

ズミなどの木が秋色になる1,500mの高原の夕暮れ


標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

秋の夕暮れを肴に佐久の冷酒の地酒を飲んでいた。

標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

ドングリを付ける木は実を落としてしまっていた。

標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

ズミこと小梨の白い花は1秋に薄赤の実になっていた

標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

小さな手の平のカエデがまだらに色付き始めた。


標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

長野県はハクビシンを1976年に県の天然記念物に。
日本在来種として疑わしいので1995年に解除した。


標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

相木川には紀元前紀元前8世紀ころにあった八ヶ
岳の噴火にともなう泥流が川下から押し寄せた。


標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

人が住むようになると原生林は里山の樹林相になる


標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞

(本文)

 標高1,500mの八ヶ岳山麓の宿は1週間で樹木の様相が変わっていた。早く赤くなる葉は一気に色を強めていて、夏の気配を消し去っていた。5月に高原の春を全身で歌っていたズミの白い花は小さな薄赤の実を付けてい。ズミは小梨のことで上高地には小梨平が人気スポットになっている。

 部屋の窓の向こうはズミやマユミやカバやモミなどの明るい林になっていて、秋の早い夕暮れは旅のさみしさを醸すのであった。井出孫六の生れ家である佐久の酒蔵の限定酒を夕食前の1時間ゆっくりと飲むのは贅沢なことであった。前日の松本の宿のテレビニュースは直木賞作家井出孫六の逝去を伝えていた。飲んだのは橘倉酒造の土用越しの熟成酒、秋あがりの純米吟醸、冷やおろしである。春に搾った酒を一度火入れして秋まで熟成させ蔵と外気の温度が同じ気温になるころには丸みが出て、グッと味わい深くなる。これを秋あがりの冷やおろしという。諏訪の酒蔵の搾ったばかり酒である荒ばしりは、泡が吹いているようで若い日本酒のおもむきがある。八王子の少し馴染みの酒屋の店主は、荒ばしりを冷蔵庫で長く保存しておくと円やかになってこれはこれで美味いといっていた。秋あがりの冷やおろしはそうした酒である。

 井出孫六は『秩父困民党群像』を書いたのであったが、八ヶ岳山麓宿泊の翌日は佐久から秩父に抜ける、ぶどう峠のあるところに足を運んだのであった。井出孫六は中央公論に勤めていて作家活動に転身した。生れ故郷の佐久の臼田に愛着があったとみるべきである。

 ぶどう峠には佐久と秩父に道が走っている。南に三国峠、北に十国峠がある。十国峠は国道299号線が走る。三国峠は1985年にオフロードバイクで越えたことがあったが、そのときには崖が崩れていて自家用車は抜けることができなかった。国土地理院の地図を広げると千曲川源流の川上村から秩父に抜ける道は消えていた。

 北相木村はぶどう峠の直下あり1950年に2,200人あった人口が2020年700人になっている。北相木村を流れる相木川には紀元前7世紀から紀元前8世紀ころにあった八ヶ岳の噴火にともなう泥流が千曲川の川下から押し寄せたのであった。富士山より高かった八ヶ岳の大崩壊による泥流の一部は甲府盆地を横切った。紀元前7世紀から紀元前8世紀ころの日本列島には旧石器人の足跡はない。

 相木川には川貝が多くあり鮭が上りヤマメが生息しカワウソがそれを狙っていた。ニホンジカが多くつづいてサル、そしてイノシシが食べられていた。クマもいてオオカミもうた。秋田のマタギをルポした本には大正期までサルの枝肉を角館町で売っていて、猟師は三陸や気仙沼に売りに行っていたことが書かれている。サルの胆は熊の胆の二倍の値段で取引されたいた。

 南佐久郡北相木村大字栃原字東栃原277番地に所在する栃原岩陰遺跡の縄文早期の地層からニホンザルの骨が出土している。ニホンザルの頭骨は割られていることから脳みそを食べたと推定される。栃原岩陰遺跡の北相木人がサルの脳を含めたサル肉を食べていたことと秋田のマタギが狩猟したサルの枝肉を角館町で売っていたこととがつながった。縄文人は食べられるものは何でも食べた。

 ぶどう峠、十国峠、三国峠がつらなる秩父山地は山深い。深い谷が流れて千曲川となり信濃川と名を変えて新潟の日本海に抜ける。海ノ口、小海といった千曲川沿いの地名は川と海は人つながりであり、川は海への通路となっていたことを物語る。

 千曲川支流、実際には千曲川の源流の村々を巡った。秋になって自家用車がナンバーの山奥に入ってキノコを採っているのに出くわすと、人と自然とのかかわりに思考が向く。縄文の時代には気候変動が幾度かあって海が茨城県の荒川沖にまで進出し、またそれが大きく後退した。寒冷期には針葉樹林となり温暖期には広葉樹林と照葉樹林が広がった。縄文のころから関ヶ原は広葉樹林と照葉樹林の境界地であった。

 環境省などのキリスト教原理主義に似た思考方法をする人にかかると自然絶対であり、何かというと生態系を持ち出して自己の主張を押し通す。里山の自然は人がつくりだしてきたものだ。

 縄文期における人の定住は里山にも似た雑木林を定住地まわりにつくりだした。そこにはワラビ、ゼンマイ、フキ、クズ、ヤマイモ、ノビルといった食用植物がよく生えるようになった。三内丸山の縄文の栗の実は。分析によって栽培種であることがわかっている。縄文中期の人口は26万人ほどでこれが縄文文化における人口の最大値であった。

 サルよりも少ない数の人が定住地まわりの自然に及ぼす影響のほどは知れている。現代社会の人々の原理主義的な環境に対する意識は異常だといわねばならない。人にとって一番の不幸は自然の一つである樹木、草花、昆虫などと身近に接する機会を遠ざけていることだ。毛虫は汚いと毛嫌いするけれどもカブトムシやクワガタムシは子どもの憧れの虫になる。恐竜をみたことがないのに恐竜への偏った知識は山ほど持っている。

 マンモスは日本列島に旧石器時代の人々が追いかけていたことを長野県野尻湖の遺跡が示している。恐竜を槍をもって追いかけている漫画があるが、人類と恐竜は一緒の時代を生きていなかった。

 長野県佐久地方のある縄文遺跡の博物館ではハクビシンの剥製を玄関口に展示していた。栃原岩陰遺跡が発掘されたのは1970年ころである。長野県はハクビシンを郷土の誇りとして天然記念物に指定していたのだ。ハクビシンは長野県特産でもなく日本の特産でもない。東南アジアに広く分布しているジャコウネコ科ハクビシン属に分類される動物である。

 ハクビシンは明治時代に毛皮用として中国などから持ち込まれたものが野生化して広く分布するようになった。日本列島にはジャコウネコ科動物の骨や化石は出土していない。筆者が栽培する畑でトウモロコシが実るとハクビシンが決まって食べにくる。隣の農家では捕獲用のカゴに入った動物がハクビシンであることを確認している。台湾で自然分布しているハクビシンが日本にいるものと同一の系統であることががわかっている。

 長野県ではハクビシンを1976年に県の天然記念物に指定した。その後に日本在来種として疑わしいことから1995年にハクビシンを長野県の天然記念物の指定から解除した。戦争前に日本犬の天然記念物の指定は国威発揚を意図してなされたことが否定できない。ハクビシンのことと連動して長野県における天然記念物指定のあり方に筆者は疑念を持っている。

2020-10-17-what-i-thought-at-the-foot-of-mt-yatsugatake-at-an-altitude-of-1500m-

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R型ズミクロンをEOS 5Dで使う 甲斐鐵太郞

R型ズミクロンの初期型をキャノンイオスデジタルの5Dを使う

レオタックスFを私は気に入っている 甲斐鐵太郞

新型コロナウイルスと肺炎疾患を考える-その資料一覧 №2-

説明する児玉龍彦氏(東大先端研がん代謝PT)
児玉龍彦さん(東大先端研がん代謝PT)と金子勝さん(立教大特任教授)にうかがう最新の新型コロナ情報。なんと、日本人を含め東アジア沿岸部は、SARS以降に今回のウイルスに根幹の似たウイルスに暴露し免疫を持っている人が多いのかもしれないという仮説が出てきました。そして、ウイルスの特徴から感染後に重症化する人を見分けてケアし、軽症者の重症化を防ぐ手立ても見えてきました。そのような状況の中で、どうしたら感染を制御して社会生活・経済生活を再開できるのか、それを考えます。収録は、2020年5月16日(デモクラシータイムス)

春未だ浅い野辺山と川上村のレタス畑 甲斐鐵太郞

無線式のキーボードの便利さを知った喜び 甲斐鐵太郞

「型板」「鋳型」を使ってwebページを作成する

大菩薩峠の入り口、裂石の番屋小屋でほうとうを食べる 甲斐鐵太郞

裂石付近の番屋小屋。ここは東京と山梨の境に位置する。

新型コロナウイルス禍を理解する 甲斐鐵太郞

5月始めに開かれている城端曳山祭 甲斐鐵太郞

緑が萌え始める信州に遊ぶ 甲斐鐡太郎

白い雲と青空と太陽の輝きは誰のためにあるのか 甲斐鐵太郞

八ヶ岳山体崩壊による28kmほどの岩屑なだれによる崖

思いがけずに出現した八ヶ岳山体崩壊による28kmほどの岩屑(がんせつ)なだれの崖 旅行家 甲斐鐵太郞 動画 YouTube。

主題 Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 7D を使うための備忘録 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
副題1 ライカのR50mmレンズはフルサイズのCanon EOS 5Dに付けて使う
副題2 Canon EOS 5Dはライカ単焦点レンズを使う最上のカメラだ


YAMAHA RX- E100アンプとYAMAHA NS BP100スピーカー 執筆 甲斐鉄太郎
映画コンバットの砲撃や銃声は外付けアンプとスピーカーから出力する


田中館愛橘とその時代-その13-(田中館愛橘と高野瀬宗則と関菊治)
明治24年から二年間だけあった物理学校度量衡科の卒業生68名のなかに関菊治がいた


田中館愛橘とその時代-その12-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
関菊治が修業した物理学校度量衡科と物理学校創立した東京大学仏語物理学科卒業の同志21名のことなど。

田中館愛橘とその時代-その11-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
物理学校の度量衡科を卒業した明治7年(1874年)生まれの長州人、関菊治(大阪府権度課長)

田中館愛橘とその時代-その10-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬宗則の権度課長着任と度量衡法制定(メートル条約締結と連動する日本の動き)

田中館愛橘とその時代-その9-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬秀隆と肥田城の水攻め(高野瀬宗則とその先祖の高野瀬秀隆)

田中館愛橘とその時代-その8-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
彦根藩主の井伊直弼(大老)による安政の大獄

田中館愛橘とその時代-その7-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
井伊直弼の死を国元へ伝える使者の高野瀬喜介、子息は高野瀬宗則

田中館愛橘とその時代-その6-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
日本の近代度量衡制度を築き上げるために農商務省の権度課長に指名された高野瀬宗則

田中館愛橘とその時代-その5-(東京大学の始まりのころと現代の高等教育の実情)
日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その5-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その4-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その3-

日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その2-

日本物理学の草創期にその後日本の物理学を背負う多くの偉人を育てた日本物理学の祖である田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)をさぐる。-その1-田中舘愛橘が育った江戸から明治にかけての日本の状況(執筆 横田俊英)

初版 物理学者で日本人初の国際度量衡委員の田中舘愛橘-その1-(執筆 横田俊英)

美ヶ原高原と春の雪 執筆 甲斐鉄太郎

地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ

富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞
韮崎と須玉に連なる丘の七里岩は八ヶ岳崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ


霜が降りるまでヤマモミジは真っ赤に燃えていた 執筆 甲斐鐵太郞

中央道須玉IC付近右手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

霞ヶ浦の岸辺で遊ぶ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ライカの一眼レフを使う 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

ロッキングチェアでパソコンと遊ぶ 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その1- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その1- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

中部横断自動車道を走る トンネルと橋でできた道だ 2019年10月21日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ライカM5は特別な感覚領域を備えていて私を虜(とりこ)にした

暑い夏の日に紀伊半島の山中をさまよっていた 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

黒羽観光やなと那珂川の清流 文章 旅行家 甲斐鉄太郎

灰色の街と紅い夕日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

大山阿夫利神社と山麓の梨 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

安曇野の夏、8月18日には稲が実りかけておりました 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

高山市の古い町並みの暖簾(のれん)が良い 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】YouTube

八ヶ岳連峰 硫黄岳へ夏休み登山 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

地震と津波

地震計は地震を予知する機能を持たない

旅行や自然や風景の動画 目次-その2-

旅行や自然や風景の動画 目次-その1-

地震計は地震を予知する機能を持たない

【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】

八ヶ岳連峰 硫黄岳へ夏休み登山 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

オリンピックの自転車ロード競技のテストイベントを見物する 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

2019年郡上おどり2日目7‎月‎14‎日は午後10時半まで盛大に 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

2019年の郡上おどり始まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

飛騨市古川町にNHK 朝ドラの「さくら」がいた。執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

海をみに行く。房総半島を右回りで旅行した。 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

夏至の日の八島湿原のアヤメ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎

ニセアカシアを知る-アカシア情報-

アカシアの白い花が咲いていた 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

松本市と松本城そして穂高連峰 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

上田城跡と白土三平と霧隠才蔵 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

真田の上田城をみる 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

ありふれた一日の覚書 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
午前9時までに4時間の調べ事、そして都内で新聞の業務です


真澄の宮坂酒造で利き酒する諏訪の旅 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

5月19日、山梨県清里の清泉寮にでかけました 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ある一日、木曜日の典型的な行動です。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

良い景色のところにでかけて自然に身体を浸すように心がけたい 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

フェリーで伊勢旅行 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

伊勢旅行したら草臥れ果てて椅子に座れなくなりました。
(そのためにキーボードとの位置関係のよい椅子を買って対処しました)
 執筆 甲斐鐵太郎

輝く虹の環水平アークと日暈(ひがさ)の出現に沸いた2019年4月28日 執筆 甲斐鐵太郎

湘南の海岸通りを走る 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

富士芝桜まつり 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ウイルス防御ソフトの「ブロック」表示との格闘三日間 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

ウイルス・ソフトのパソコンへのアップの顛末記 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎

「ハッピーエンド」を聴く 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

3月7日、別所温泉の和風・老舗旅館に泊まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

webページとYouTubeで構成された私の音楽室 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

日本海の幸を寺泊で味わう-その2-執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

日本海の幸を寺泊で味わう 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞

土曜日、ガストで新調したパソコンの動作を確かめる。快調だと朝定食を食べて喜ぶ。執筆 甲斐鐵太郎


キャノン7とキャノンP 執筆 甲斐鐵太郎

中央道下り諏訪から北アルプスがみえる 執筆 甲斐鐵太郎
中央道下り諏訪から穂高岳、槍ヶ岳、常念岳がみえる

富士市の富士山展望の宿に泊まった 執筆 甲斐鐵太郎

国道158号線 松本市に向かう冬の旅である 執筆 甲斐鐵太郎

霧ヶ峰高原 八島湿原 八ヶ岳の雪と青い空 執筆 甲斐鐵太郎

石老山(標高702 m)2月1日、雪の朝 執筆 甲斐鐵太郎

真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

熱海桜は河津桜よりも確実に早く咲く 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎

富士山を見るために二週連続で富士宮駅前のホテルがでかけた 執筆 甲斐鐵太郎
(ダイヤモンド富士が出現する暦、年中ダイヤモンド富士が見られます 執筆 甲斐鐵太郎)

1月10日、京都えびす神社の「えべっさん」 執筆 甲斐鐵太郎

富士山に陽が昇る 執筆 甲斐鐵太郎

富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった


山中湖から富士山を仰ぎ見るのを楽しみにしている。執筆 甲斐鐵太郎

太陽が平原の林に沈んだ。月が輝きだした。高原の冬である。執筆 甲斐鐵太郎

大王わさび農場を冬至の日に訪れる 執筆 甲斐鐵太郎

上高地夏至のころ 執筆 甲斐鐵太郎

江戸の人々の山岳信仰の山だった大山(標高1,252m) 執筆 甲斐鐵太郎

林の向こうに青空が見えると嬉しくなります 執筆 甲斐鐵太郎

山手のレストランとBOSEのスピーカー 旅行家 甲斐鐵太郎

三浦岬をぐるりと巡って葉山マリーナにでた 執筆 甲斐鐵太郎

浅草の場外馬券売り場前の飲み屋で一杯 執筆 甲斐鐵太郎

お酉さま 執筆 甲斐鐵太郎

晩秋の霧ヶ峰高原 霧に包まれたカラ松の高原道路を走る 執筆 甲斐鐵太郎

カラマツは黄色と赤の中間色に燃えていた。カラマツ林の裾に民家があった。茅野市である。執筆 甲斐鐵太郎

10月の下旬に新潟市の界隈をうろついた 執筆 甲斐鐵太郎

11月の旅 壊れているフィルムカメラを旅の途中で買った これが酒の肴にはいい 執筆 甲斐鐵太郎

10月12日、川上村のレタス畑は最後の収穫をしていた 執筆 甲斐鐵太郎

信州の秋をめぐる 諏訪から佐久にでる 千曲川沿いを走る 執筆 甲斐鐵太郎

信州松本市郊外で秋のめぐみに出会う 執筆 甲斐鐵太郎

金曜日の夜は紅葉と夕日と星空の八ヶ岳、霧ケ峰そして美ケ原を走っていた 執筆 甲斐鐵太郎

日本平と久能山東照宮 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その6-上高地賛歌 八ヶ岳登山で山の自然に魅了される 甲斐鐵太郎

私と上高地-その5-格好いい山男は女に好かれる 山で英雄になった男の物語 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎

私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎

横浜市山手の丘にでかけると海が見え瀟洒な家並みにはブリキ博物館が紛れ込んでいた

夕暮れどきの高山市古い町並み‎2018‎年‎6‎月‎23‎日、‏‎18:06:44

夏至の日の旅行で郡上八幡市の古い町並みを見物する

6月24日、松本市波田のスイカを買う 温室栽培の大玉スイカです

6月に晴れる 小さなリゾート地相模湖で憩う

白いヒナと黒い3羽のヒナを連れて湖面を移動するコブハクチョウ

夏の訪れを告げる鮎釣り 相模川の6月1日の夕暮れ時

よい景色とよい音楽と美味しい食事 八ヶ岳と北欧レストランとパソコンでユーチューブ

近江の国、多賀大社(たがたいしゃ)の茅の輪くぐり

特別な位置にいる投手としての大谷翔平

「春の日と一人娘はくれそでくれない」ので5月は午後7時まで遊んでいられる

奥飛騨の新芽の背景は北アルプス穂高連峰の山肌であった

松本駅前の昭和横丁でホルモンを食べる 松本山雅FCファンがやかましい店だ

金曜日、思いついて新宿から松本に向かう。塩尻駅で降りた。

東京の桜は散って新緑の季節になりました

武田信玄の北条との決戦地の三増峠近くの枝垂れ桜
(季節は2カ月と半分ほどで夏至になる)

北杜市実相寺の山高神代桜は甲府盆地の桃の花と開花時期が同じです
(関東地方の春分の日は雪が舞い河口湖では28㎝も雪が積もりました)


陽だまりでは梅の花が土手にはスミレが咲く
5月になれば水田に映える常念岳を見に安曇野にでかけよう

埼玉県吉見町の栽培農家で買ったイチゴは甘かった美味かった
富士山の雨を集めた山中湖は忍野をへて津久井湖で道志村に降った雨と合流する
槍ヶ岳 霧ヶ峰からの遠望(高原の秋の始まりのころ)
山みちで老いたキツネにであう 旅行家 甲斐鐵太郎

数学者も物理学者も現在持つ知識は写し取って得たものである
インターネットで拾った文章を繋げて出来上がるニュース報道

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実

数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実
(光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した)


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