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オオカミの化石と骨-雑記帳 その2-
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オオカミの化石と骨-雑記帳 その2-
オオカミの化石と骨-雑記帳 その2-
犬の頭骨の模型。歯と頭骨。犬とオオカミは歯の数などが共通である。
犬の頭骨と歯の図。犬とオオカミは歯の数などが共通である。
犬の骨格図。全身骨格図奈良県文化財研究所による。
オオカミの化石と骨-雑記帳 その2-
(本文)
http://www.gmnh.pref.gunma.jp/wp-content/uploads/bulletin08_5.pdf
石灰岩洞窟内で発見された九州産ニホンオオカミ遺骸
群馬県立自然史博物館研究報告(8) :57-77,2004
原著論文
石灰岩洞窟内で発見された九州産ニホンオオカミ遺骸
長谷川善和1 ・小原巌' ・曾塚孝,
群馬県立自然史博物館:〒370〆2345群馬県富岡市上黒岩1674-1
,〒146-0085束京都大田区久が原5-5-21
3〒802-0985 棉岡県北九州市小倉南区志井2-8-10
要旨:九州各地の石灰岩洞窟内で発見されたニホンオオカミの遺骸4点を蝿告する. 3点は福岡県平尾台産頭骨で、他の1点は熊本県矢山岳産の頭骨と体骨格の一部である. 4点中3点はニホンオオカミとしては中等大であるが,平尾台産のl頭骨は大きく ,ニホンオオカミとしては既知のもので最大の部類に入る.
キーワード:哺乳類,ニホンオオカミ,QJFJjJ/mf北Jph//fJLr , 石灰岩洞窟,洞窟堆枇物,熊本県,福岡県,北九州市,平尾台
数は少ない. この報告では, これまで知られていなかった, または十分な検討が加えられていなかった九州産ニホンオオカミ頭骨を主とする遺骸4点につき報告する.このうちの1点は熊本県から採集されたもので,九州産狼の標本としては最初のものとして報告されている(今泉,1970a;北村ほか、 1999)が四肢骨等については記録がないので,未報告の四肢骨も含め改めて報告した‘他の3点はすべて北九州市の平尾台から曾塚らによって採集された(曾塚, 1982)ものである.Hasebe(1924)は,蜆塚貝塚産の下顎骨に対して,貝塚オオカミCq"/so/TDAq"〃なる名称を与え, また高知県の洞窟堆積物より産出したl~5号標本に対して,佐川狼“"芯/""""wqe"応を提唱した(長谷部, 1941) ,前者は今日はじめにニホンオオカミαJ"LF加"p"/cIxT℃mminckと思われる頭骨等の遺骸資料は本州,四国及び九州の各地に散在し,かなり多数に及んでいる. この中には民間信仰の対象とされた個人所有のもの(直良, 1965;小原. 1990等) ,考古学的調査により遺跡から発見されたもの(中村, 1999;茂原・江木, 2002等) , さらに洞窟内の堆積物から発見されたもの(小原・長谷川, 2003)等がある.九州からの記録としては,大分県から下顎骨が根付けに加工されていた2例(高橋, 1994;小野・高橋, 1994)及び熊本県八代郡泉村落合の京丈山の石灰岩洞窟の堆積物から発見された全身骨格のl例(北村ほか, 1999)等があるがそのでいうニホンオオカミで後者はエゾオオカミ型のもののようであるが,いずれの標本も不完全なものであること,タイプとされているCa"Is/Fc(物ル"QXTemminck,1839との議論が充分にされていないことなど,動物命名法上からも問題があるので,今後の課題として議論しないこととした.ここでは国立科学博物館に保管されているニホンオオカミの骨格標本との比較を行い,当該標本類がニホンオオカミであることを確認した.よって九州産の未記載標本について報告しておくこととした.また,エゾオオカミCq"商/""ルα"“とニホンオオカミCQ"/s加例"力"“との関係についても議論するには多くの問題(長谷川, 1998)があり, ここで言及するだけの材料に乏しいので、専ら九州地方で採集された4点の資料について記録することにした.本文中に用いた記号はそれぞれ,次の様になる.KMNHは北九州市立自然史.歴史博物館,NSMTは国立科学博物館.頭骨全長(GL) ,基底全長(CBL) ,眼問部幅,後眼窩部幅,脳匡幅,乳様突起間幅、 P4部幅(P4部の頭骨最大幅) ,犬歯部幅(犬歯部の頭骨最大幅) ,後頭頼幅口蓋長(骨口蓋後縁中央部の湾入及びその両側に後方への突出がある場合はこれを無視する) ,口蓋幅Pz中央歯槽部,口蓋幅P3中央歯槽部, 口蓋幅P4中央歯槽部,上顎門歯間幅(左右I]外縁歯槽部の幅) ,上顎骨歯列長(犬歯歯槽前縁からM2歯槽後縁の距離) ,下顎長,下顎体高(下顎内側MI中央における下顎の高さ) ,下顎厚(M,中央部における~ト顎体の厚さ) ,下顎C-M3長(~ト顎犬歯歯槽部前緑からM3歯槽後縁の距離) .九州産ニホンオオカミの記載 北九州市平尾台のオオカミ遺骸の産出地はこむそう穴と人参窪第一洞の2ヶ所である(図1 ・ 2) ~ こむそう穴から2点,人参窪第一洞から1点が北九州ケイビングクラブ員の協力で採集されたものである.平尾台は,平尾台石灰岩体(松本ほか, 1962a)とそれに貰入した中生代末の平尾花崗閃緑岩などが主体である.標iEI350~680m・テーブル状の典型的なカルスト台地を形成している‘台上には何百ものドリーネが発達し, 100を越える洞穴群が知られている(曾塚ほか, 1982) .肖龍窟は平尾台でも屈指のもので~ とくに曲流現象の顕著なものとして有名であるが.洞内からナウマンゾウ,オオツノシカ(長谷川ほか, 1980)やステゴドンゾウ(岡崎ほか, 1980)が, 目白洞からオオツノジカ,ニホンムカシジカ(曾塚,1982)など第四紀後期の哺乳動物化石が発見されている.このことから台上に生息した動物群は,少なくともステゴ
ドン象の生息した数十万年前の時代より古くなることはない.
調査資料及び計測方法
ここでは次の4標本を報告する‘
(1) こむそう穴第1標本KMNHVP、200.007.福岡県北九
州市小倉南区平尾台こむそう穴(頭蓋,左下顎,第2
頚椎) .
(2) こむそう穴第2標本KMNHVR200.008.福岡県北九
州市小倉南区平尾台こむそう穴(頭蓋,左下顎) .
(3) 人参窪第1洞標本KMNHVP.200-00,福岡県北九州
市小倉南区平尾台人参窪第一洞(頭蓋,左右下顎) .
(4) 矢山岳標本NSMT-P9792.熊本県八代郡泉村落合,
矢山岳のたて穴(頭蒸,左右下顎,体'筒'格) . これらは何れも次に述べる特徴からイヌC""jsル"""α"sLinnaeus,1758>及びShikama(1949),Saito(1957)により報告された更新世の化石オオカミQJ"/J/""Linnaeus" 1758などとは異なり,ニホンオオカミCa"的 ルリ“フノ"/αrTEmminck,1839に属するものである‘すなわち, ノ”蝿に比較し小型である. Shikama(1949)による栃木県葛生産の更新世化石オオカミのP4長は26.0mm本報告の4標本はこれより遙かに小さく、巌大のこむそう穴第2標本でも2413mmに過ぎない‘ また今泉(1970a)によれば,骨口蓋後緑中央部が湾入するのは/叩財sでは193点中僅か3点(1.5%)のみであった.本報告の資料はすべて,これまでル“わ〃尚"“とされた標本の多くのものと同じく,骨口蓋後縁中央部に顕著な湾入が見られる. このような点から,本報告の標本はすべて/叩蝿とは識別できる.血""/”応と比較した場合.顔面部の形態の中凹の程度は弱く、前頭甲の膨らみと.正中線部の窪みが殆ど認められない. また,歯,特に裂肉歯(P4及びM,)が相対的に大きい.頭骨の測定は次の各部位につき行った測定方法は主に哺乳類頭骨の一般的計測方法(今泉, 1970bなど)に従った.
(1) こむそう穴第1標本(図版1 ・2)
調査標本:北九州市立自然史.歴史博物館蔵
標本番号:KMNHVP200,007,頭蓋・下顎骨及び
第2頚椎
採集地 :福岡県北九州市平尾台, こむそう穴第
1地点(図2-A-l)
採集時期: 1972年8月13日
採集者 :曾塚孝
頭蓋前半はバラバラになったものを修復した結果,破損は少なくほぼ完全な頭骨になった,上顎歯は左PIを欠くが,その他は欠損なし.骨口蓋後縁中央部の湾入は顕著.側頭下部神経孔は左右とも5個.前蝶形骨外形十字型,鼓室胞外側近遠心方向に平坦面を作り,丸くない.矢状稜あまり発達しない. P4は基底全長の10.2%・軸椎は後述の矢山岳標本とよく似るが,若干大きい.ほぼ完全で横突起小さく斜後方に伸びる‘
(2) こむそう穴第2標本(|叉|版3 .4)
洲査標本:北九州' li lgl然史・歴史|#物帥ル塊
標本番号:KMNHVP200、008,皿擶および/'ミド'W1!| &|-
採集地 :禍'1,1県北ノL州1 1jW世台, こむそう穴箙2
地点(図l-b,図2-A)
採集時期: 1972年8月141=|
採集背 :稗塚孝
吻端部欠撹右傾け弓破批.欠恨する歯は、 リj l噺及びノt歯のすべてと右P1 ,左P' , P2. 'H'口蓋後緑' l 1火部の湾入は蝋著.側頭ト部神経孔は左5佃,右4個.吸擶は棚めて大きく頑丈~M1は~ド顎長の15. 1%~ ノL州産標本の! l 'では,水標本の測定値は特に大きな値を示す(表l) .近年III。i知りIL仁淀村から発見された頭|,|'は,ニホンオオカミとしては雌大級とされる‘その測定仙は、頭'H'全長235.8, |lllIMiW{ ll11,1457,脳| 'i l lli,159.3、PI I邪l l1lil75.1 ,犬歯部||II1146.7,下顎肖長171 .9, P4長22.66,M,lZ26.9(安部、 2001 ;岩| | | , 2001) .本標本を仁淀標本と比鮫した場合, | ll{Ⅲ部| |府及び犬'菊部'胴及びM長は仁淀標本が大きいが,その他の計測値は本標本が大きい.仁淀標本では蝋骨全促に対する下顎長は235.8対171.9mm.水棟水の|<!WI1長は176.5mmであるから, |司じ比率と仮定すると,本標本の頚骨全長は242.1mmと推定できる.この値は肌タミ| |のニホンオオカミでは雄大級といえる(図5及び表4) . このll,'il体はすべての点で大きく ,矢状櫛が発達することなどからニホンオオカミの雄と考えられる.この↑' '1鮪は3段ほどに>ll1れ非常に深い(図2-A) ,洞口標高367.8m,総延長435m,高度蕪98m.オオカミの2標本は第2段1 1の深さ40m地点の落石の間で発見された.採集時に得られたその他の動物遺骸は次のようなものがみられる‘すべて現生極からなり,オオカミの時代は更新1Uまで古くならない.
(2) こむそう穴第2標本(|叉|版3 .4)
洲査標本:北九州' li lgl然史・歴史|#物帥ル塊
標本番号:KMNHVP200、008,皿擶および/'ミド'W1!| &|-
採集地 :禍'1,1県北ノL州1 1jW世台, こむそう穴箙2
地点(図l-b,図2-A)
採集時期: 1972年8月141=|
採集背 :稗塚孝
吻端部欠撹右傾け弓破批.欠恨する歯は、 リj l噺及びノt歯のすべてと右P1 ,左P' , P2. 'H'口蓋後緑' l 1火部の湾入は蝋著.側頭ト部神経孔は左5佃,右4個.吸擶は棚めて大きく
頑丈~M1は~ド顎長の15. 1%~ ノL州産標本の! l 'では,水標本の測定値は特に大きな値を示す(表l) .近年III。i知りIL仁淀村から発見された頭|,|'は,ニホンオオカミとしては雌大級とされる‘その測定仙は、頭'H'全長235.8, |lllIMiW{ ll11,1457,脳| 'i l lli,159.3、PI I邪l l1lil75.1 ,犬歯部||II1146.7,下顎肖長171 .9, P4長22.66,M,lZ26.9(安部、 2001 ;岩| | | , 2001) .本標本を仁淀標本と比鮫した場合, | ll{Ⅲ部| |府及び犬'菊部'胴及びM長は仁淀標本が大きいが,その他の計測値は本標本が大きい.仁淀標本では蝋骨全促に対する下顎長は235.8対171.9mm.水棟水の|<!WI1長は176.5mmであるから, |司じ比率と仮定すると,本標本の頚骨全長は242.1mmと推定できる.この値は肌タミ| |のニホンオオカミでは雄大級といえる(図5及び表4) .このll,'il体はすべての点で大きく ,矢状櫛が発達することなどからニホンオオカミの雄と考えられる.この↑' '1鮪は3段ほどに>ll1れ非常に深い(図2-A) ,洞口標高367.8m,総延長435m,高度蕪98m.オオカミの2標本は第2段1 1の深さ40m地点の落石の間で発見された.採集時に得られたその他の動物遺骸は次のようなものがみられる‘すべて現生極からなり,オオカミの時代は更新1Uまで古くならない.ごむそうノf勢の斧維〃〃澄骸群葵コウモリ熱種族未定ノウサギL""Sかαc/zyl"wsTemminck
タヌキMノe/eノセ"/eS'〃ノ℃〔”ノ7O/"S(GraV)テンM上"/""7e/αノ叩""F(Wagner)イタチMMz/We/α〃α応/TemminckアナグマMど/""7e/"(Linnaeus)カワウソ L""αsp. (Linnaeus)
ノネコ陸"sc""'FLinnaeLIsイノシシS"ssf.γ加LinnaeLIsl、リ奴繩族未定ヘビ奴祁族未定ヒキガエルβ"/b6I(/b/"o"/c"sSchlegel
(3) 人参箙鯆一↑liil柳本( IXI版5 ・6)
,リ,'ilffIWMK : _|ヒノL州' ij立自然史・歴史博物館賊
MI!水帝号:KMNHVP200,009,頭鵲及び左右下顎
採集地 : i,' ,Ⅱ所ll,↓北ノL州市平尾台人参窪第1洞下段
( I)xI2-B)
採集|1,11111 : 1972年8月141 1
採集サf :御塚孝
右加’ ),右|!!ll",fl(の一部と鼻骨が欠損欠損歯は,左11 ,12,C, P' , |く'棚の全切歯と左ィLiC及びィLiM3,左l2C歯冠部破仙する. ′間' I I薇後縁巾央部の湾入は顕著側頚下部神経孔/,ffiとも6州. 11ij蝶形'H'外形十字型鼓室胞丸くならない.12側外{11l1近速心ノ'jlhlに平畑面を作る.矢状稜やや強く後方に向け発進する.'fi・もろく ,化石化は充分ではない. P4は」i鳴底全艮の1 1 . 1%,M1はド顎長の16. 1%.比'|唆的加純な曝穴.洞口標高383m.総延長110m.高度差62m~人'三Iは広く,底はより広い~下段の分l1皮した小さい枇穴より表川採集したものである.この洞底からは二ホンオオカミ以外に次の脊椎動物の遺骸がでている‘ノ(参籠蒻一〃芽維勤勿這發諜美コウモリ知種族未定ニホンザルM""cqjiIscq/q(Blyth)ムササビPa""・/s#/α/e"coge"ys(Temminck)ヒメネズミ 4po火ノ""SaI笘Ew/e"4f(Tcmminck)イヌα,"耐ん"7///L"/sLilmaeusテンM上"/ES/77e/αノ""s(Wagner) エ ーイタチMI/.We/α〃"F/Temminckアナグマ ハ化/es/77e/", (Linnacus)ニホンジカCeノ蘂v“〃/ppo/7Temminckトリ弧称族未定ヒキカエルβ姉6'(/b/叩o"/c"sSchlcgcl以上のものはすべて現生種であり,オオカミのみ絶滅祁となる.オオカミの保存状態からみて化石化はほとんど進んでない. また, I炊体部の付着痕が見られるなど,あまり古いものではない. また, こむそう穴の2点よりこの人参窪第-ilil棟水はかなり新しい時代のものと思われる.人参窪第一il'1からはイヌの辿骸も出ているが,その大きさは|リl暗に小さく 、 j1シ態ともに多くの点で区別される.
(4) 矢| | |届楪水(lXl版7-10)
完全なものから不完全なもの,を含めて約50点ほどが収集された.複数の部分骨がふくまれないことから| ' il一(|,'il"のものとして扱う.
調査標本: |'il立科学博物館地学研究部蔵
標本帝号:NSMTP9792(頭蓋NSMT-P9792-1,
イi下顎骨NSMTP9792-2,左ド顎'H。
NSMT-P9792-3等)
採集地:熊本県八代郡泉村落合,矢| | |岳のたて穴( '叉'3 .4)
採集時期: 1967年1月261]
採集背:入オ[昭雄
矢1l 1僻標本は矢l l l届の南西斜|mに|ルl l lした深さ約22mの'職'(で‘‘矢| | |岳のたて穴"の唯被物炎liliから採柴された.矢l I l ,'丹は秩父帯に屈し、 l鳥祁石灰キi |ないし二,W系の矢| | |岳fTノ火埼体(松本ほか, 1962b)に化じたl羅穴である. JRlll岳のたて穴からは,ニホンオオカミQ"7/sル()‘〃〕ルノ/αxとカモシカQ"〕ノ・/co/7"sc""".『が採集された(入江, 1969) . この標本については入江(1969)により蚊'| '|'及び体骨格の一部の発見について報告された.今ル&(1970a)は, この頭表2九州の洞窟内発見のニホンオカミの歯(歯冠)の計測値(mm)
(1)こむそう
穴第1標本KMNHVP200.007
(3)人参窪輔
-il'1楳水KMNHVP200:009
(2)こむそう
穴鋪2標本l<MNHVP200.008
(4)矢| | |用
標本NSMTP9792 C」jLi"il; '2.()×8.() '4,0×10.5 12,5×80 '2,3×9.5
P |2.0 '2.7 ’9 P 12.8 14.6 '3.2 l3.0 (4) 矢| | |届楪水(lXl版7-10)
完全なものから不完全なもの,を含めて約50点ほどが収集された.複数の部分骨がふくまれないことから| ' il一(|,'il"のものとして扱う.
調査標本: |'il立科学博物館地学研究部蔵 標本帝号:NSMTP9792(頭蓋NSMT-P9792-1,イi下顎骨NSMTP9792-2,左ド顎'H。NSMT-P9792-3等)Pイ 20’7 24. 1 21.6 20.8M' 18.5×14.9 '6.6×20.6 18. 1×14.5 14.8×19」P2 9.6 1 1 .6 |0. 1 9.4P 1 l.6 12 | 1 .3 1 1 .6 P4 12.5 |40 '3.3 '28 M 24‘3 266 24.3 23‘9
H'標本が外」4.道の外絲が後l對節孔のレベルより外|11llに位li'iする,塊状‘| !|'|ハ|桶の前緑'11央に明らかな湾入タイプがある等の特徴が, タイプ標本とされるLeiden「I然史|W物館の弧‘|‘|, (今ルとのCタイプ)に完全に一致するとのことから,Q""sル〔)‘"ルノ/q.xTemminck,1839と |司定した.北村ほか(1999)は熊本県八代{||{泉村京丈山の洞窟で採集されたニホンオオカミ乍身'H'格標本(KCMI-109)の|司定に際しこの櫟イKを比'|暁ヌ、l照として川いた. ちなみに, この)i(丈l l llツリ(水を旅したil'1)術は矢| ||舟と| ' 「|じ泉村で,京丈l l lから|ノLi l ,卜j lノLi18.3km地Jbl、';に矢l l l l門のたて穴がある~班| '|'の特徴: リ,1I'| '|'の前半,右頬に)の賊'H部, 」|1' | |緒の| 、lil1も部等に破仙が見られるが,保存状態は比岐的良好.蓋後緑(翼状'| | |' |ll1術の前縁) 11='央部は強く |ulむ. l11111WIシ'| | |'外形| ・ &i笠ノ'i'1,鼓室胞丸く膨大しない眼窩角は42・でC/""7///αノソム,より小さい. i11l1頭ド部神経孔は左右とも6111'il ,欠状稜発達し後ノ'jに強く突出する次の各歯は欠批する1"I
左P1 , P2、 {iP' , P],M' .下顎右C, PI ,M3、左PI ,M2、M3.'己下とも切1噺なし.犬歯顕著に消耗する~裂肉歯は大きく ,PIはJiL底全腿の1O.5%.M,は下顎臆の15.3%.体'| ‘ |'略( |叉|版9・ 10) :脊帷骨・肋'H'および指'|斗'などほとんどが採集されていないが、その他の主要な骨の大部分は保存されていた~体'| !l'格の計測値は表3に比'l唆して示した.| |"611l l lをすれば、欠批部分が兄つかる可能!|ノヒがある. fi l:腕''1'や12170.0mm,左僥門'全長165.5mm, {i大IIE'| ||'fl&184.0mm. この{l i'Iは,既知の伽cわPル"‘(の骨格概水NSMTMIOO(l'il}72科'γ: |'#物館)及びKCM1-109(熊本|W物帥)と比'lifして、 |:腕'| |i' 、幌'H・及び大腿骨などの何れにおいてもやや小さい.頭骨基底全長においても,MlOOの2023mm(小原1990),KCM-1-109の204.6mm(北1 1 1ばか, 1999)に比較して,本標本は197.3mmでやや小さい1別|体である~環椎(図版10-a) : LIJ央,祁分が破仙し不完全.横突起大きく三角形で後方に発達する.その後縁ほぼ'' 1 |線的、オオカミやコヨーテに似る(OIson, 1973) .
'lilllllt(図版10-b)は前後方| ''!lに良い. l」脚突起尖| '1柱状やや|洞きで突出,帷休腹|MI1大きく |IIIむ、 'li' l 'にそい前方と後方に稜発達する.椎体後部関節lili強く |く恥する.卿突起上ノ'/にあまり発達しないで前後に{|||びる. 1,1ijノ|jは歯突起尖のi↑畷の|を方まで張り出す後方はノfイiに店がり,帷体より後方に伸びる.下関節面の前縁が帷体'11節Ⅲiの上方に位置する~横突起欠如する,横突孔は椎体にそって前後に開口する.最大長53mm.肋骨(図版10,図9, h) :光全な知い肋'|'l' (|叉lh)と下端を約半分欠いた肋'H' (図g)の2本のみ|)il打は'|'1'体あまり湾l lllせず, 'H体上部は川,i狭し, ドユ|皇はかなり腿い. 」|' |'頭は比較的大きく前後に関節面が発達するIノJ'| | |'弧はっきりくびれる.肋骨結節はH'体のIII[上に在る.全瞠80mm. これは左第211ノJ'| ||'と、トll l斬した.後者は外111||への滴l lllが強い~肋!|'1,体前|ノ11!1 llと後外側に肋'H満が発進する. !| &l'皿かなり大きく,肋'H頚かなり長い.肋'H'紬節後ノ‘jの|11節衞大きい.おそらくf「6番目かその前後のものである~雌大長80mmおよび65mm.肩1 | 1骨(図版10,図c」 d) :左イiあり. l , l ,j者共に鰊上窩.林下衞大部分を欠く ~鰊上席は鰊|く1術より広い.肩甲卿直線的局lllfは並三角形をなす,その先端はill節衞のほぼ巾央上にくる‘関節窩は楕円形であるがi11節上結節に向けてはみ| |'す. |腱|節禰最大前後径27mm.上腕|」i' (I~|版9, |Xla, b) :左上腕| 'i' (a)は'| @1.体巾央部より遠心部分を欠如.右上腕'ILI' (b)はほとんど冗余である.上腕
1' '1'蚊l1ii後方lfi」に楕|LI形.人i1'i節発達する,上端は|211#I'肯,頭と| , 「In.大結節稜下端は骨休の|2三分の一イ、I近に達する.三町筋州1面扁平な稜状外{!lllおよび|ノ、ll!1ll上燗1がかなり側方に発達する・ ルl頭窩と鈎突櫛の間は1'i辿し,円い滑車上孔が開く .すなわち, 上腕骨滑'l[ほとんど360。近く |血l転する.最大長170mm.尺,H' (図版9, lXle, D:左右あり.共に速位端を6mmほど欠血l l .左は滑車切痕付近が破批する.肘頭薄く , lllH広い,|ノ1111llに湾曲する.肘突起発達する~鈎状突起内側に強く突川する撲骨切痕鈎状切浪に接して|ノ1側に発達する~右尺骨岐大腱138mm.|#E'H' (図版9,図c, d) :左右あり. イiは完全,ノ「皇はド端の一部を欠く ‘関節環状miは頚術の後外絲に光速し、尺'門'の僥'i | |'切狼と関節する'H'体はl)il後に), , ,il2, 1111iliはやや凸で後1iliは平畑,近位から速位にli1かってゆるやかに|胴広くなる.速位端は内外側に発達し,桃‘| '|,皿より大きい.外側後絲に尺骨切痕の窩があり、 |ノリ側茎状突起あまり大きくない、左僥| ‘|'雌大長168mm.′H'樅( |叉|版10,図e, f) :寛結節と坐骨板を欠くもほぼ完全な左'| ,l・板と腸骨体を主とする不完全な右!| !l・樅よりなる.寛骨はイl''f成1、l'は3純とも結合していて境界不|リlである‘腸骨はM1/~We/(I,L""α,陸/なのように左イ「に広がらず, 1くノ‘jに少しイ''1腱する.寛紡節小さい.仙結節は遠心でAI:くなる吟筋mi比鮫|'I1窪む.坐骨抑発達しない.寛'| 」|'「|はほぼ| ' l形に近い,切狼後方に開く .坐骨板大きくノ,もイiに拡がる. 人14骨結節皿群に州状となる,恥骨結合弱い、 ノ''4'|‘|'結合不明.閉鎖孔大きい.左骨盤最大長十145mm.大腿‘'1' ('又'版9,図9,h) :左右2個,共にほぼ充希.大腿骨"I11形に近い.内側に頭席明瞭.大腿骨頚Iリl l l京炊く内11llに向く .大II賊子よく発達する,上端はH'頭を越えない~小転子| | |状突川する. ′|坐I'体中程で細くなる.そのIWi lil iはほぼ| '」形. ′H'休細と外側噸ほぼ| ,1大‘両者の上方(背側)にそれぞれ伸筋爾が浅く発進,そのため滑市満は速位端で少し狭くなる.最大長184mm.脛H' ( IXI版9, |xl i , j) :/,fイi共膝関節の部分のみ,大,祁分は破批して欠如. l:lil i側で膝|%|節はほぼ三角形をなす. |ノ、1111ll噸,浅い術を形成外側噸低い「1 1 I面を作る.内外| ,l ijIIIIHli,'iniiは低い~脛'| |l'111 1mやや斜傾,表面比I|嘆的平凪脛'| !l・1:l l lili外側と外側H1の|川に深い111筋溝が発達する. イi脛'| ‘''十74mm.膝捺骨( IxI版9, |叉|k) :/fil1lll個ほぼ完全.長逆三角形、 ' l'程から遠位端で)IIIく '~!II降すろ鮭大長33mm.足根H' ( I叉|版9, Ixl 1,m, '') :充全な左右踵骨とZIZIIi'| |l' ' il i骨はL“"s(Schmid, 1972)のように距骨滑巾大きく , | 11ノI状,巾心足根」| 'l' |)LI師部大きく , |11節面はjHifl i形,姉'|!|'の鈍骨隆起|Jll, iは熊む. ,i &|'体は/[fイiに薄い城MIT突起は1Iテlil iに突出した' ' 1〔角に近い|11nil l{liを作る下方内{!!llに卸'|」}'ll21ili lノ、l側との関節部が|ノ1{!lllに他く突出する鐘'H' , I|』'H'は共にL“"ぶと類似する~ ブifIII'| | l・雌人長43mm.左距H最大長27mm.尾椎'H' (IXI版9, |xIo) :近心郡上ド左右に痢状突旭がある'H'体遠心まで| '1じイ籾蔓の大きさで遠心端平坦, IWi lili ! l li四角形. 5~6冊| |の尼帷と思われる‘中手'H' (IXI版10, Ix1k, 1) :左第3中央'骨'一部欠仙は完乍である.節2が太く,鋪5はそれよりやや長いが糸lll, 、 ."3 ・ 第4はほぼ| !il」JZ. 7iの' l 'f'| |l'の先に並べた4点の指| 'l'はl lf位置かどうか不|リlである.ほとんどの指の』H端に'| | i'11錫が兄られる.右' l 'rl,tlを、 |ノ11!!llよりそれぞれ64, 72.5, 72,62mm.巾足'汁(|叉|版10, i, j) :/「こむに完全に四本ずつlliiっている.全休に! | '下'| ‘'.よりわずかに長い.右中足骨艮,内側よりそれぞれ73, 78,80, 72mm.時代に関する考察 前述したようにオオカミの遺骸を表面採集した||、fに. |' il時に採集した汗帷動物の辿骸はすべて現化祁である.しかしながら, 1,'il々のil' i1)'(|ノ1から発見される迩骸の時代については絶対イト代を決定することは難しい.熊本県の矢| | |届の竪穴についても| ' il棟である~オオカミ,カワウソ、などは絶滅しているが江ノ i llケ代にはIIITi種共に九州に生」ILj、していた(安田, 1987 ;北ノL州' liの文化財を守る会, 1977)ことは確かであるが,それ以後の記録は少ない千葉(1995)はlリ1滴巾期(1868)岨から急速にオオカミが減じたようだと述べているが理l l |は定かではないという.巾村(私循)氏のil;ll好,IEKによりニホンオオカミの記録について」|群Mを得たが|リ|治水にはほとんどi氾録がない.北海道のエゾオオカミは,, ifIMとしてIリ1#fi10( 1877) 11北ⅡからWK除が始まり、 '11ifi22( 1889) イド以降には公式の, iu妹がないという(犬飼, 1933) . この上I!にはほとんど絶滅に近かったと思われる。ここに報告した4標本のノ碓地は{I IIれもイi灰#! |地,Ⅲ:にあり,ドリーネ・曝穴及び↑''1席が発進しているiliil旅内には各種の動物遺骸を含む埖砿物が兄られることがあるが,ここに報告した各標本も, il'il"|ノ1唯械物として採莱されたものである何れも,獲物を追跡'l!か走行!IIに| ' |然l戦蒋し擁死したものであろう‘いずれも化行化の狸度は弱い.それらのイ|乏代は,抓戸時代から明淌時代初期に杣推されたとされる民|川信仰の対象として保存されている資料(114[lj4, 1965 ;小ノル(, 1990等)よりは時代的にTITいものと思われる.それは北村ほか(1999)が報告した京丈l l l標本(KCMI-109)の14Cイト代測定仙は約380±90年前との結果がlllている.kl l 1崎楪水NSMT-P9792の産出地,熊本県八代郡泉村滞合矢| | |鵬は, Ji(丈l l lとはl l !1:線距離が18.3kmで比I1"|'|1近く, lil il行のパ訓||状況も弧似していという単純な比岐によるイ!i!皮で, 1 12碓なイ|晶代を決めることは今後の課腿である.られた.~ 今 1 , 1少 3)各地産と, ここに報告した九州産ニホンオオカミの頭'口全長を比較した.九州産3標本はニホンオオカミの測定値としてはほぼ中位の値を示す. しかし, こむそう穴第2標本はI1勿端部が破損しているが推定価頚骨全長は242mm±で既知のニホンオオカミの値のI |'では鍛大級の仙を示す(図5) . これは雄の可能性がある. lノヒi三河(斉藤1938) ,徳島県仁淀(安部, 2001 ;岩H1 , 2001)とともに比較的低緯度地域に特に大型の個体が出現する点は,ニホンオオカミの大きさについて諸説(宮尾ほか, 1984;1 | 1村, 1998等)ある中,ニホンオオカミの変異を考察するにあたり興味深い.
謝 辞
熊本11丁の入江照雄氏には,標本の寄岫と産地の情報をⅨいた.北九州市ケイビングクラブの池内英雄,亀井俊幸、大江弘幸,添!!f#修次,高津浩二,樋'二|脚己の諸氏には平尾台の伺灰ilT1調査に多人の援肋を頂いた.圧|立科学|#物fl 'imj物研究部の速藤秀紀,地学研究部I|I能|自樹,高I | | :雅光の諸氏には1'1館所賊標本の洲査に便宜をお計り頂いた‘ また{ll'奈川県立生命の星・地球博物館の元学芸部長III村一恵氏には未発表情~#|{および文献について教示を1頁いた. 11tびに熊zkl ljl#物餅の北村直司氏には文献の入手および矢i11岳の位。
まとめ
l )4川の蚊骨の特徴及び'肘の人きさなどから,ル""//αノソ‘yとは|リlらかに識)lllしうる. また史新| | |:の/"ノブ"Nより遙かに小さい.従ってここに;ト|il'「した商科はすべてCα"ハルocA)/Jル"“と|' il定された.
2)九州産ニホンオオカミの' | 'に+序しい大きさの変)14が耐め置碓認をして頂いた.群馬県立図耆館の|%I I I裕子さんには文献について洲査をして頂いた元'|リ111新|川社lf業部の安田健氏には文献を頂いた‘北九州市立自然史脈史|(Ii物館の藤jl惇志,森康,岡I崎美彦の諸氏には置料1”'1についてilll協力ll'Iいた. 、1館木村敏之氏には資料終JII!のために協力をしてInいた.以上の方々に感謝の意を表するHascbc,Kotondo ( 1924) :Ubcl・ dicSchadel ulldUnterkicibl・vondcI1steinzeitliclljapalliSChcnllulldcrsasscn.ArhA11atlnsLSclldai, IlX,S. 9u.26.長谷部言人(1941) :イI器l1、}代辿跡l11土Ⅱ本産狼二極.人類学鮴誌.56:”0-602.長谷川善和・仲啄紫・汕|Ⅱ他作(1980) : 、え尾台吉龍Ⅲ1ハ';ナウマン象幼児化fi(予測) ,北ノL州I |j立l'|然史博物館柵、2:41-47.長谷川蕪fI I ( 1998) : |水のオオカミ化石の変遷.特)lllIIExl録オオカミとその仲|Alたち イヌ科・動物の世界,pp.62-65、 ネ'll余川リ,いエノ|え命の』,4・地球|!#物m'(.平岩米吉(1981) :狼そのノ|態と歴史.池田書店,東京、308pl).今泉古典(1970a) :ニホンオオカミの系統的地位について 1.ニホンオオカミの棟木. lll li乳動物学雑誌.5: 7-32.今泉古典( 197()b) : l lyIKlllli乳動物催|説,上巻.新思潮社,*)i(,350pp.犬飼哲夫(1933) :北珈迫jノ1';狼とその滅亡経路.植物及び動物, 1: 1091-
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https://wannya365.jp/article/health/477
犬の乳歯と永久歯、その数
犬の歯は、乳歯で28本、永久歯で42本あります。ちなみに人間の永久歯は28〜32本(親知らずの有無)です。ただし、犬の歯の特に奥歯には大きな歯があり、見慣れないと数え間違えてしまうこともあります。さて、そんな犬の歯ですが、乳歯から永久歯に抜け替わるのは、およそ生後4〜7ヶ月の間と言われています。しかし筆者の経験では、1歳近くになってようやく抜け替わりが終わる犬もいます。ただし、中にはこの抜け替わりがうまくいかない犬もいます。放置すると乳歯遺残や不正咬合などの異常を引き起こすため、注意が必要です。
http://dogfame.com/dogtips/dentistry/dentistry3.html
<歯の本数と役割>
●切歯(上:左右3本ずつ、下:左右3本ずつ 合計12本):噛み切る
●犬歯(上:左右1本ずつ、下:左右1本ずつ 合計4本):獲物を捕らえて引き裂く
●前臼歯(上:左右4本ずつ、下:左右4本ずつ 合計16本):噛み切ったり噛み砕いたりする
●後臼歯(上:左右2本ずつ、下:左右3本ずつ 合計10本):噛み砕く
黄色く塗っている第4前臼歯が文太が欠けて抜歯した部位で、歯が欠けるのはこの部位か犬歯がほとんどだそうです。第4前臼歯は大きくて歯根も3つに分かれているため、抜歯の際には一度で抜くことができず、歯をドリルで割ってから何度かに分けて取り除くそうです。文太の抜歯後の歯をいただいたのですが、恐ろしいぐらいに割れていました。犬がものを噛む力は人間の数十倍も強いといわれています。ほとんどの犬種は歯がぴったりと噛み合わさっているのですが、フレンチブルドッグは「反対咬合(アンダーバイト)」と呼ばれ、上顎より下顎の方が出ています。そして、歯並びが悪い子が多いそうです。文太もびっくりするぐらい歯並びがガタガタで、しかも下顎が上顎より1センチぐらい出ています。(つまり、かなりのしゃくれです。)
http://www.shikoku-np.co.jp/national/science_environmental/20130604000526
栃木で「タイリクオオカミ」化石/5万年超前か 2013/06/04 19:05
栃木県佐野市の石灰石鉱山で見つかった「タイリクオオカミ」のあごの骨の化石(佐野市葛生化石館提供)
栃木県の佐野市葛生化石館は4日までに、同市内の石灰石鉱山で見つかった化石が推定5万年以上前の「タイリクオオカミ」のあごの骨であることが判明したと、明らかにした。化石館関係者は「保存状態が良く、オオカミがアジア大陸から日本に定着した時期を知る貴重な資料になる」と話している。化石館によると、化石はあごの上下と歯31本で、長さ約16センチ。発見場所付近で採れた別の化石から5万~50万年前のものと推定している。タイリクオオカミの化石は国内で青森や静岡など約10カ所で確認されているが、あごが上下そろっているケースは珍しいという。化石館での展示は23日まで。
2020-10-24-wolf-fossils-and-bones-miscellaneous-notes-part-2-
旅のエッセー集 essay and journey(essay of journey) 旅行家 甲斐鐵太郎
essay and journey(essay of journey) by kai tetutaro
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Japanese dog height, wolf height, Kishu height
日本犬の体高、オオカミの体高、紀州の体高
Wolf fossils and bones-Miscellaneous notes Part 2-
オオカミの化石と骨-雑記帳 その2-
Wolf fossils and bones-Miscellaneous notes Part 1-
オオカミの化石と骨-雑記帳 その1-
Archeology and history of Jomon, Yayoi, dogs and wolves of notebook
縄文、弥生、犬、オオカミの考古学と歴史-雑記帳-
apanese dog Jomon dog Yayoi dog Modern Japanese dog Wolf database of notebook
日本の犬 縄文の犬 弥生の犬 現代の日本犬 オオカミ データベース-雑記帳-
Japanese dog Jomon dog Yayoi dog Modern Japanese dog Wolf database
日本の犬 縄文の犬 弥生の犬 現代の日本犬 オオカミ データベース
日本犬はオオカミと最も遺伝子が近い? そのルーツを紐解き 答えるのは麻布大学教授菊水健史氏。
小海線の佐久海ノ口から鉄道に乗って遊んだ一日 甲斐鐵太郞
ターシャの庭と聖アンデレー協会と田渕義雄さんをつなぐモノ 甲斐鐵太郞
標高1,500mの八ヶ岳山麓で考えたこと 甲斐鐵太郞
旧石器時代の定義そして日本の旧石器時代を知る 甲斐鐵太郞
縄文時代を理解する 甲斐鐵太郞
縄文人はニホンザルを食べていた 甲斐鐵太郞
松本市郊外の蒲萄農家 甲斐鐵太郞
2020年は八ヶ岳の夏が何時までも終わらない 甲斐鐵太郞
縄文研究Jomon study
縄文研究-その1-
縄文研究-その2-
縄文研究-その3-
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その30-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その29-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その28-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その27-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その26-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その25-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その24-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その23-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その22-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その21-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その20-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その19-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その18-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その17-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その16-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その15-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その14-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その13-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その12-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その11-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その10-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その9-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その8-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その7-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その6-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その5-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その4-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その3-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その2-甲斐鐵太郞
縄文の暮らしがあった八ヶ岳山麓-その1-甲斐鐵太郞
ナビ不調で蝶ヶ岳と常念岳への登山口に迷い込んだ2020年9月21日のこと 甲斐鐵太郞
田渕義雄さん自作のウインザーチェアーに触発されて机と椅子を考察する 甲斐鐵太郞
信楽焼と甲賀衆 甲斐鐵太郞
安楽椅子の延長として電動リクライニングベッドに行き着いた 甲斐鐵太郞
伊賀上野は忍者の街 甲斐鐵太郞
稲城の梨「稲城」と狛江市の慈恵第三病院 甲斐鐵太郞
郡上おどり、長良川そして郡上市のこと(その1) 甲斐鐵太郞
郡上おどり、長良川そして郡上市のこと(その2) 甲斐鐵太郞
60インチモニターと桃とブドウと椅子とテーブル 甲斐鐵太郞
どろどろに溶けたサナギの身体から蝶がでてくる不思議な世界 甲斐鐵太郞
甲府盆地勝沼の葡萄園 甲斐鐵太郞
甲府盆地は御坂の桃 甲斐鐵太郞
食卓テーブルにウインザーチェアーが私の作業台 甲斐鐵太郞
霧ヶ峰高原の夏はよい 甲斐鐵太郞
夏の陽光に輝く善光寺の参道 甲斐鐵太郞
ヒョウモンチョウが舞う夏の八島湿原 甲斐鐵太郞
クマも鳥も虫も神である国の寒山の森の暮らし 甲斐鐵太郞
(ナチュラリストのエマソンとソローと、日本の自然のなかの田渕義雄さん 甲斐鐵太郞)
「寒山家具工房」の主、田淵義雄さんのウインザーチェアー 甲斐鐵太郞
田渕義雄さんの「寒山の森」暮らしの動機を推察する 甲斐鐵太郞
ソローの森の生活と寒山の森の田渕義雄さん 甲斐鐵太郞
寒山の森の田渕義雄さんとソローの森の生活 甲斐鐵太郞
川上村と私 甲斐鐵太郞
甲府盆地の7月は桃の季節で8月になるとブドウが本格化する 甲斐鐵太郞
霧ヶ峰高原とレンゲツツジ 甲斐鐵太郎
安岡章太郎が描く軍隊と現代の人々の生への現実 甲斐鐵太郎
現代の人には死はない 甲斐鐵太郎
真夏の暑さのなか快適に作業するために一階にパソコンを移す 甲斐鐵太郎
椅子とヒキガエルと葛の根を考える 甲斐鉄太郎
パソコン業務のためにモニターと机と椅子の位置関係を求めて苦闘する 甲斐鉄太郎
バラの花の向こうに甲斐の山々と青空が広がっていた 甲斐鐵太郞
2020年桃の果実の行方、山梨の果樹農家の不安は拭えない
塩山市の丘で果樹農園のサクランボを買った 甲斐鐵太郞
6月、カッコウの声が八島湿原の草原の向こうで響いている 甲斐鐵太郞
茅ヶ岳と八ヶ岳の山麓の高台から6月の南アルプスを眺める 甲斐鐵太郞
川上村の5月の青空は八ヶ岳を背にして夏色であった 甲斐鐵太郞
フィルムでの写真撮影にかかる実際費用 甲斐鐵太郞
R型ズミクロンをEOS 5Dで使う 甲斐鐵太郞
R型ズミクロンの初期型をキャノンイオスデジタルの5Dを使う
レオタックスFを私は気に入っている 甲斐鐵太郞
新型コロナウイルスと肺炎疾患を考える-その資料一覧 №2-
説明する児玉龍彦氏(東大先端研がん代謝PT)
児玉龍彦さん(東大先端研がん代謝PT)と金子勝さん(立教大特任教授)にうかがう最新の新型コロナ情報。なんと、日本人を含め東アジア沿岸部は、SARS以降に今回のウイルスに根幹の似たウイルスに暴露し免疫を持っている人が多いのかもしれないという仮説が出てきました。そして、ウイルスの特徴から感染後に重症化する人を見分けてケアし、軽症者の重症化を防ぐ手立ても見えてきました。そのような状況の中で、どうしたら感染を制御して社会生活・経済生活を再開できるのか、それを考えます。収録は、2020年5月16日(デモクラシータイムス)
春未だ浅い野辺山と川上村のレタス畑 甲斐鐵太郞
無線式のキーボードの便利さを知った喜び 甲斐鐵太郞
「型板」「鋳型」を使ってwebページを作成する
大菩薩峠の入り口、裂石の番屋小屋でほうとうを食べる 甲斐鐵太郞
裂石付近の番屋小屋。ここは東京と山梨の境に位置する。
新型コロナウイルス禍を理解する 甲斐鐵太郞
5月始めに開かれている城端曳山祭 甲斐鐵太郞
緑が萌え始める信州に遊ぶ 甲斐鐡太郎
白い雲と青空と太陽の輝きは誰のためにあるのか 甲斐鐵太郞
八ヶ岳山体崩壊による28kmほどの岩屑なだれによる崖
思いがけずに出現した八ヶ岳山体崩壊による28kmほどの岩屑(がんせつ)なだれの崖 旅行家 甲斐鐵太郞 動画 YouTube。
主題 Canon デジタル一眼レフカメラ EOS 7D を使うための備忘録 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
副題1 ライカのR50mmレンズはフルサイズのCanon EOS 5Dに付けて使う
副題2 Canon EOS 5Dはライカ単焦点レンズを使う最上のカメラだ
YAMAHA RX- E100アンプとYAMAHA NS BP100スピーカー 執筆 甲斐鉄太郎
映画コンバットの砲撃や銃声は外付けアンプとスピーカーから出力する
田中館愛橘とその時代-その13-(田中館愛橘と高野瀬宗則と関菊治)
明治24年から二年間だけあった物理学校度量衡科の卒業生68名のなかに関菊治がいた
田中館愛橘とその時代-その12-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
関菊治が修業した物理学校度量衡科と物理学校創立した東京大学仏語物理学科卒業の同志21名のことなど。
田中館愛橘とその時代-その11-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
物理学校の度量衡科を卒業した明治7年(1874年)生まれの長州人、関菊治(大阪府権度課長)
田中館愛橘とその時代-その10-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬宗則の権度課長着任と度量衡法制定(メートル条約締結と連動する日本の動き)
田中館愛橘とその時代-その9-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
高野瀬秀隆と肥田城の水攻め(高野瀬宗則とその先祖の高野瀬秀隆)
田中館愛橘とその時代-その8-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
彦根藩主の井伊直弼(大老)による安政の大獄
田中館愛橘とその時代-その7-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
井伊直弼の死を国元へ伝える使者の高野瀬喜介、子息は高野瀬宗則
田中館愛橘とその時代-その6-(田中館愛橘と高野瀬宗則)
日本の近代度量衡制度を築き上げるために農商務省の権度課長に指名された高野瀬宗則
田中館愛橘とその時代-その5-(東京大学の始まりのころと現代の高等教育の実情)
日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その5-
日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その4-
日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その3-
日本物理学の草創期に物理学を背負う人々を育てた田中舘愛橘をさぐる-その2-
日本物理学の草創期にその後日本の物理学を背負う多くの偉人を育てた日本物理学の祖である田中舘愛橘(たなかだて あいきつ)をさぐる。-その1-田中舘愛橘が育った江戸から明治にかけての日本の状況(執筆 横田俊英)
初版 物理学者で日本人初の国際度量衡委員の田中舘愛橘-その1-(執筆 横田俊英)
美ヶ原高原と春の雪 執筆 甲斐鉄太郎
地が裂け山が崩れ洪水が人を襲う日本の自然(ハザードマップは人が住んではならない場所を示す地図だ)
富士山より高かった八ヶ岳が崩壊すると泥流は甲府盆地の向こうまで流れた執筆 甲斐鐵太郞
韮崎と須玉に連なる丘の七里岩は八ヶ岳崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ
霜が降りるまでヤマモミジは真っ赤に燃えていた 執筆 甲斐鐵太郞
中央道須玉IC付近右手にみえる七里岩。八ヶ岳が山体崩壊による岩屑(がんせつ)なだれの跡だ。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
霞ヶ浦の岸辺で遊ぶ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
ライカの一眼レフを使う 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
ロッキングチェアでパソコンと遊ぶ 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
紅葉の富士山と河口湖-その1- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
紅葉の富士山と河口湖-その1- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
紅葉の富士山と河口湖-その2- 11月3日 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
中部横断自動車道を走る トンネルと橋でできた道だ 2019年10月21日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
ライカM5は特別な感覚領域を備えていて私を虜(とりこ)にした
暑い夏の日に紀伊半島の山中をさまよっていた 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
黒羽観光やなと那珂川の清流 文章 旅行家 甲斐鉄太郎
灰色の街と紅い夕日 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
大山阿夫利神社と山麓の梨 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
安曇野の夏、8月18日には稲が実りかけておりました 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
高山市の古い町並みの暖簾(のれん)が良い 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】YouTube
八ヶ岳連峰 硫黄岳へ夏休み登山 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
地震と津波
地震計は地震を予知する機能を持たない
旅行や自然や風景の動画 目次-その2-
旅行や自然や風景の動画 目次-その1-
地震計は地震を予知する機能を持たない
【八ヶ岳連峰 硫黄岳への夏山登山 動画】
八ヶ岳連峰 硫黄岳へ夏休み登山 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
オリンピックの自転車ロード競技のテストイベントを見物する 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
2019年郡上おどり2日目7月14日は午後10時半まで盛大に 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎
2019年の郡上おどり始まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎
飛騨市古川町にNHK 朝ドラの「さくら」がいた。執筆 旅行家 甲斐鐵太郎
海をみに行く。房総半島を右回りで旅行した。 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎
夏至の日の八島湿原のアヤメ 執筆 旅行家 甲斐鐵太郎
ニセアカシアを知る-アカシア情報-
アカシアの白い花が咲いていた 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
松本市と松本城そして穂高連峰 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
上田城跡と白土三平と霧隠才蔵 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
真田の上田城をみる 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
ありふれた一日の覚書 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
午前9時までに4時間の調べ事、そして都内で新聞の業務です
真澄の宮坂酒造で利き酒する諏訪の旅 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
5月19日、山梨県清里の清泉寮にでかけました 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
ある一日、木曜日の典型的な行動です。執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
良い景色のところにでかけて自然に身体を浸すように心がけたい 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
フェリーで伊勢旅行 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
伊勢旅行したら草臥れ果てて椅子に座れなくなりました。
(そのためにキーボードとの位置関係のよい椅子を買って対処しました) 執筆 甲斐鐵太郎
輝く虹の環水平アークと日暈(ひがさ)の出現に沸いた2019年4月28日 執筆 甲斐鐵太郎
湘南の海岸通りを走る 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
富士芝桜まつり 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
ウイルス防御ソフトの「ブロック」表示との格闘三日間 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
ウイルス・ソフトのパソコンへのアップの顛末記 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
「ハッピーエンド」を聴く 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
八ヶ岳と野辺山高原そして川上村の景色 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
3月7日、別所温泉の和風・老舗旅館に泊まる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
webページとYouTubeで構成された私の音楽室 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
出雲崎町「良寛記念館」を訪ねる 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
日本海の幸を寺泊で味わう-その2-執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
日本海の幸を寺泊で味わう 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
土曜日、ガストで新調したパソコンの動作を確かめる。快調だと朝定食を食べて喜ぶ。執筆 甲斐鐵太郎
キャノン7とキャノンP 執筆 甲斐鐵太郎
中央道下り諏訪から北アルプスがみえる 執筆 甲斐鐵太郎
(中央道下り諏訪から穂高岳、槍ヶ岳、常念岳がみえる)
富士市の富士山展望の宿に泊まった 執筆 甲斐鐵太郎
国道158号線 松本市に向かう冬の旅である 執筆 甲斐鐵太郎
霧ヶ峰高原 八島湿原 八ヶ岳の雪と青い空 執筆 甲斐鐵太郎
石老山(標高702 m)2月1日、雪の朝 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎
熱海桜は河津桜よりも確実に早く咲く 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎
真鶴と湯河原をぶらりとする 執筆 甲斐鐵太郎
富士山を見るために二週連続で富士宮駅前のホテルがでかけた 執筆 甲斐鐵太郎
(ダイヤモンド富士が出現する暦、年中ダイヤモンド富士が見られます 執筆 甲斐鐵太郎)
1月10日、京都えびす神社の「えべっさん」 執筆 甲斐鐵太郎
富士山に陽が昇る 執筆 甲斐鐵太郎
富士山が見えている夕方に「吉田のうどん」を食べる 執筆 甲斐鐵太郎
(副題)本を読むこと、文章を書くこと、とwebが一体になった
山中湖から富士山を仰ぎ見るのを楽しみにしている。執筆 甲斐鐵太郎
太陽が平原の林に沈んだ。月が輝きだした。高原の冬である。執筆 甲斐鐵太郎
大王わさび農場を冬至の日に訪れる 執筆 甲斐鐵太郎
上高地夏至のころ 執筆 甲斐鐵太郎
江戸の人々の山岳信仰の山だった大山(標高1,252m) 執筆 甲斐鐵太郎
林の向こうに青空が見えると嬉しくなります 執筆 甲斐鐵太郎
山手のレストランとBOSEのスピーカー 旅行家 甲斐鐵太郎
三浦岬をぐるりと巡って葉山マリーナにでた 執筆 甲斐鐵太郎
浅草の場外馬券売り場前の飲み屋で一杯 執筆 甲斐鐵太郎
お酉さま 執筆 甲斐鐵太郎
晩秋の霧ヶ峰高原 霧に包まれたカラ松の高原道路を走る 執筆 甲斐鐵太郎
カラマツは黄色と赤の中間色に燃えていた。カラマツ林の裾に民家があった。茅野市である。執筆 甲斐鐵太郎
10月の下旬に新潟市の界隈をうろついた 執筆 甲斐鐵太郎
11月の旅 壊れているフィルムカメラを旅の途中で買った これが酒の肴にはいい 執筆 甲斐鐵太郎
10月12日、川上村のレタス畑は最後の収穫をしていた 執筆 甲斐鐵太郎
信州の秋をめぐる 諏訪から佐久にでる 千曲川沿いを走る 執筆 甲斐鐵太郎
信州松本市郊外で秋のめぐみに出会う 執筆 甲斐鐵太郎
金曜日の夜は紅葉と夕日と星空の八ヶ岳、霧ケ峰そして美ケ原を走っていた 執筆 甲斐鐵太郎
日本平と久能山東照宮 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その6-上高地賛歌 八ヶ岳登山で山の自然に魅了される 甲斐鐵太郎
私と上高地-その5-格好いい山男は女に好かれる 山で英雄になった男の物語 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎
私と上高地-その1-槍ヶ岳と穂高岳のあとの休息地・上高地 執筆 甲斐鐵太郎
横浜市山手の丘にでかけると海が見え瀟洒な家並みにはブリキ博物館が紛れ込んでいた
夕暮れどきの高山市古い町並み2018年6月23日、18:06:44
夏至の日の旅行で郡上八幡市の古い町並みを見物する
6月24日、松本市波田のスイカを買う 温室栽培の大玉スイカです
6月に晴れる 小さなリゾート地相模湖で憩う
白いヒナと黒い3羽のヒナを連れて湖面を移動するコブハクチョウ
夏の訪れを告げる鮎釣り 相模川の6月1日の夕暮れ時
よい景色とよい音楽と美味しい食事 八ヶ岳と北欧レストランとパソコンでユーチューブ
近江の国、多賀大社(たがたいしゃ)の茅の輪くぐり
特別な位置にいる投手としての大谷翔平
「春の日と一人娘はくれそでくれない」ので5月は午後7時まで遊んでいられる
奥飛騨の新芽の背景は北アルプス穂高連峰の山肌であった
松本駅前の昭和横丁でホルモンを食べる 松本山雅FCファンがやかましい店だ
金曜日、思いついて新宿から松本に向かう。塩尻駅で降りた。
東京の桜は散って新緑の季節になりました
武田信玄の北条との決戦地の三増峠近くの枝垂れ桜
(季節は2カ月と半分ほどで夏至になる)
北杜市実相寺の山高神代桜は甲府盆地の桃の花と開花時期が同じです
(関東地方の春分の日は雪が舞い河口湖では28㎝も雪が積もりました)
陽だまりでは梅の花が土手にはスミレが咲く
5月になれば水田に映える常念岳を見に安曇野にでかけよう
埼玉県吉見町の栽培農家で買ったイチゴは甘かった美味かった
富士山の雨を集めた山中湖は忍野をへて津久井湖で道志村に降った雨と合流する
槍ヶ岳 霧ヶ峰からの遠望(高原の秋の始まりのころ)
山みちで老いたキツネにであう 旅行家 甲斐鐵太郎
数学者も物理学者も現在持つ知識は写し取って得たものである
(インターネットで拾った文章を繋げて出来上がるニュース報道)
数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実
数学と物理学者が事実として構想することと実験によって確かめられる事実
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(光波干渉測定システムはアインシュタインの理論を事実として確認した)
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