日本計量新報一面記事です。 2018年07月29日号(3203)1面 2018年07月22日号(3202)1面 2018年07月15日号(3201)1面 2018年07月01号(3200)1面 |
私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その25- 計量管理委員会に若手技師としてデビュー 製品の歩留まり・品質・生産性・環境保全・安全等の計量・計測は確実か成果を報告をして指示を仰ぐ 計量管理委員会に若手技師としてデビュー 計量管理委員会への初デビュー 1968(昭和43)年頃は、葺合工場は伝統ある本社工場であり、下山田工場長以下計量管理を重要視しているスタッフが揃っていた。 そのような中での6月の計量強調月間は、工場入り口の立て看板から始まって全てのPR行事にも気が使われていて、「徹底して」という雰囲気が感じられた。そして開かれた計量管理委員会に担当部門の若手技師として初デビュー、居並ぶ部課長を前にした工場長の重々しい挨拶を、私も緊張して聞いていた 。 この席上で私は、命じられ設置したスリッターライン(鋼板を縦状に切り分けて行く装置)の稼働率計の報告を行った。その運転担当部課に別の問題が生じて少し間が空いていたのを、私は知っていたが、何の気なしに「いまだ使われていません」と言ってしまった。工場長はそれを聞いて「使われていないとはどういうことか!」と雷を落とされたものだからたまらない。“しまった”と思えど後の祭り。担当課長は立ち上がり真っ青、部長が弁護にまわる……。終わって部屋に帰って来てからが、また大変であった。 共通の尺度については全体で 初めての計量管理委員会で、工場長に雷を落とされた後に運転部門の部、課長が次々と部屋に訪れ「先に言っておいてくれれば」とか「どうしてあそこまで」とかと、我が課長が攻められていた。 私は工場長とは偉いものだ!とつくづく思った。千葉育ちの自分には想像できなかった。千葉は広大な敷地内に新規拡大中の組織でもあり、管理も大ざっぱであった。そのような経験の中での反省として、この計量管理委員会委員長の威力は最も有効に使わねばいけないという事であった。常に前向き・生産的でなければならない当委員会に多少とも「非難的なもの」が生じることは気を付けるべし。この教訓は、現在の日東富士製粉(株)の計量管理委員会の運営にも生かしている。 計量管理を実施する組織として「計量管理委員会」を置くならば当然のこととして、委員長は工場長となり、委員会には全部課長が出席となる(ただし事務系は除く)。そして主な議題は、製品の歩留まり・品質・生産性・環境保全・安全等に関して計量・計測に問題は無いか、精度は充分か、どのような成果が考えられるか、に関して報告しまた指示を仰ぐ。 私の経験では、工場が大きい場合は部単位、部門別にわかれて行ったこともあったが、やっぱり一同に会して計量・計測という共通の尺度について話し合うことは必要なことであると考えている。 最近ならば、ISOのこと、JIS化の問題などもあろう。計量管理規程についても常に見直したり、項目の新設や削除、文言の差し替えも行っていないと、規程そのものが陳腐化してしまう恐れもあろう。 この章では、若かりし頃の、驚きや恥ずかしい次第の話にそえて、適正計量管理事業所へのいまだに残っている未練を書いた。 (つづく) 私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その25- 計量管理委員会に若手技師としてデビュー 製品の歩留まり・品質・生産性・環境保全・安全等の計量・計測は確実か成果を報告をして指示を仰ぐ |