森の小屋に喫茶室をつくる(3)
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森の小屋に喫茶室をつくる 夏森龍之介(3)
2024年07月09日の記録 蓼科高原ロッジは幅6m、奥行4mのテラスになった。おおよそ1mの建て増しである。
森の小屋に喫茶室をつくる 夏森龍之介(3)
6月29日に丸太をステイン系塗料で塗った。6月30日にはキシラデコールを上塗りした。上の写真は塗装を剥離した状態。
森の小屋に喫茶室をつくる 夏森龍之介(3)
6月9日、曇り、時々日差し。午前7時30分にデッキにでる。コーヒーカップにhaman/kardenのスピーカーを持って。
森の小屋に喫茶室をつくる 夏森龍之介(3)
7月9日(火)、林に面したテラスで紅茶を飲んでいると上空を強い風が吹き抜けた。強い風でミズナラの枝先がテラスに落ちてきた。枝の中心部にドングリが小さな形になっていた。
森の小屋に喫茶室をつくる 夏森龍之介(3)
6月16日、晴れ、ときどき曇り。ミズナラや白樺や広葉樹の新緑が広がる標高1,600mの高原の庭と空。
森の小屋に喫茶室をつくる 夏森龍之介(3)
6月17日正午。シジュウカラは雛を育てるのに最後のひと踏ん張りだ。晴れ、ときどき曇り。
森の小屋に喫茶室をつくる 夏森龍之介(3)
2024年06月20日の記憶 蓼科高原ロッジにて
丸木小屋とテラスの塗装を構想していてと三年ほどになる。雨に濡れて腐食したテラスに突き出した丸太を切ることに二年を要した。これは大工さんが行った。切った後の隙間には手すりを付けた。これもお願いしたもの。丸木とテラスのウッドデッキの塗装は自分ですることに。
デッキの床板はナラの木があるためにそれが作用して渋が付く。渋が付くと黒くなる。腐食しているような感じ。渋を剥がして塗る段になって外周の板が腐食しているのをそのままにすると、後々大修理が待ち構えるから、手を入れることにする。手すりを外して板を剥がすという大仕事になった。デッキの床を支えているのは角のコンクリートの柱を貫通させた鉄のボルトであり、コンクリートの両脇に付けられた支えの板がこのボルトによって保持されている。コンクリートの角柱は四本、つまり四本のボルトで渡された支え板を保持している構造。これでは心もとない。いずれ大修理を余儀なくされるから、構造を変更することに。コンクリートの四本の角柱に横板を渡して支えるようにする。手間だがこの補強をるすことで、デッキの耐荷重を増大させる。
露天に晒したウッドデッキの腐食の進行は早い。修繕の回数を減らすためにウッドデッキに屋根を付けることにする。そうすれば四本のボルトで支えているウッドデッキの弱点の保全になる。支えのために渡された横板と同じ高さになるように四本のコンクリート角柱に板を渡して補強をする。そうした上で柱を立てて屋根を付ける。
冬場に山荘を留守にするとテラスの積雪量は1mになる。屋根がこの重みに耐えられるか。1mの積雪に耐え、なおかつ放っておいても滑り落ちる仕掛けを講ずる。仕掛けとは屋根を急こう配にすること。もう一つは人の手で雪を落とす仕掛けにしておくこと。デッキの工事を依頼した工務店の担当者に屋根を付けることを話したら、とっさに雪対策を言われた。デッキの屋根が落ちる事故があるためだろう。
森の小屋の丸太の再塗装のために下地を剥がして気付いたことがある。ログハウスの丸木は築後35年を経て表面が劣化していて高圧洗浄機で水を吹き付けると木屑が綿状になってこびり付いている。木材の劣化なのである。無理矢理剥がすのではなく、軽く洗浄して、つまり汚れを落として、キシラデコールなどでそのまま固めてしまうのがよいのではないか。これを全て剥がしていたのでは切りがない。また木材の表面が綿状になるものと、そうではないものとが併存するからでもある。
2024年07月09日の記録 蓼科高原ロッジにて
知人何人かが山荘に来るというので対応のため四日間を費やす。やりかけのテラスの整備が主なもの。土台の補強のために13本の木材を入れた。屋根のために用意していた9㎝角4mのヒノキの無垢材を5本が含まれる。土台から崩れたのでは美しく見える上物は砂上の楼閣。ホームセンターに足を運んで工事に必要な機材を用意する。
雨を恐れてテラスにタープを張る。強い日差し除けにもなる。テラスの上空はコナラとミズナラと唐松の葉が覆うので焼かれることはない。これは山荘の屋根も同じである。
幅6m、奥行4mのテラスになった。おおよそ1mの建て増しである。テラスに付ける屋根用として十分に用意していた材料に不足感が覚える。あるモノで何とかこしらえて、その後に追加することになる。
山荘から里に下ると30℃を超える暑さ。山荘はせいぜい25℃。テラスにパソコンモニターを据えて作業をする。屋根を付けるために状況を実際に見るためでもある。テラスに貼ったタープが屋根を想像するのに役立つ。雨露に濡れないようにすること、寒い季節にもこの場所でくつろげること、ウッドデッキのテラスの耐腐食性というのが屋根をつける狙いである。言ってみれば森の山荘の小さなコーヒールームの建設。
2024年07月10日の記録 蓼科高原ロッジにて
7月9日(火)、林に面したテラスで紅茶を飲んでいると上空を強い風が吹き抜けた。背の高いミズナラと赤松とシラビソの高いところがゆさゆさと揺れている。テラスに風がこないことで思い出したことがある。車山肩のそのさきにある山小屋のコロボックルヒュッテの主人が周りの樹木は防風林だと言っていたことだ。調べたらコロボックルヒュッテは台風で小屋が飛ばされたことがあった。木が倒れて山荘が壊されるのも困る。木が無くて山荘が飛ばされるのも困る。高原の初夏に上空で騒ぐ強い風のようすを見ながらコロボックルヒュッテのことを考えた。強い風でミズナラの枝先がテラスに落ちてきた。枝の中心部にドングリが小さな形になっていた。周囲では山栗の花が強いにおいを放っている。
テラスの工事をしたのは8日までの四日間。テラスの土台を補強したので、タープで雨よけをしたテラスに喫茶室にする木材を持ち上げた。随分の量と重さの木材を持ち上げたので身体が悲鳴をあげ、左手の薬指と中指が腫れた。薬指はこの間の木材運びで調子が悪くなっていてバネ関節と呼ばれる現象に生じている。曲げた指関節が自然には戻らない。慣れない身体に無理をさせていることを感じる。
[資料]
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├(320) -建築家・吉村順三の仕事-(軽井沢の山荘) - YouTube
├吉村順三 - Wikipedia
吉村 順三は、日本の建築家。東京藝術大学名誉教授。(ウィキペディア)
生まれ:1908年9月7日, 東京都
死去:1997年4月11日, 東京都
書籍:小さな森の家: 軽井沢山荘物語、他
出身校:東京美術学校
受賞:日本建築学会賞作品賞(1956年); 日本芸術院賞(1975年); 毎日芸術賞(1989年)
建築物:軽井沢の山荘(吉村山荘); 皇居新宮殿基本設計奈良国立博物館八ケ岳高原音楽堂。
├吉村順三邸 軽井沢の山荘2 (mirutake.sakura.ne.jp)
吉村順三邸。主室となる二階居間からの南側の眺め。鳥になったような気分になる山荘という考えで設計された。標高1,000m。
標高1,000mにある吉村順三邸。アプローチから見える秋の山荘。ヤマモミジの紅葉と針葉常緑樹のモミの木がある。冬はモミの緑に救われる。
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├ミズナラの木とドングリ 甲斐鐵太郎
├森と野鳥(シジュウカラ)の子育て 甲斐鐵太郎
├森の小屋に喫茶室をつくる 夏森龍之介(3)
├山荘に喫茶室をつくる 夏森龍之介(2)
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├山荘に喫茶室をつくる 夏森龍之介(1)
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├信濃への美しき旅 長野県立博物館と善光寺 甲斐鐵太郎
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├ここは高原 季節が一気にはじけて春がきた 甲斐鐵太郎
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├東山魁夷の絵画「緑響く」と御射鹿池 甲斐鐵太郎
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├新緑の風かおる五月五日の城端祭り 甲斐鐵太郎
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├計量計測データバンク ニュースの窓-59-私の上高地 安曇野 松本と信州
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├【文書版】5月の連休に安曇野を遊覧する | 「計量計測データバンク」ニュース - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
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├槍ヶ岳 安曇野の空に浮かぶ 甲斐鐵太郎
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├安曇野の夏、8月18日には稲が実りかけておりました 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
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├美ヶ原が松本駅からよく見える | 「計量計測データバンク」ニュース - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)
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├五月 春の陽光の安曇野 大町市 執筆 甲斐鐵太郞
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├2020年3月の松本市長選挙の結果と松本市の概要 旅行家 甲斐鐵太郞
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├美ヶ原高原と春の雪 執筆 甲斐鉄太郎
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├アカシアの白い花が咲いていた 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
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├松本市と松本城そして穂高連峰 執筆 旅行家 甲斐鉄太郎
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├国道158号線 松本市に向かう冬の旅である 執筆 甲斐鐵太郎
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├大王わさび農場を冬至の日に訪れる 執筆 甲斐鐵太郎
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├上高地夏至のころ 執筆 甲斐鐵太郎
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├上高地 晩夏
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├私と上高地-その6-上高地賛歌 八ヶ岳登山で山の自然に魅了される 甲斐鐵太郎
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├上高地 錦秋の梓川の流れ 甲斐鐵太郞
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├散りゆく唐松林の向こうに銀嶺の穂高連峰が輝いていた 甲斐鐵太郞
├私と上高地-その6-上高地賛歌 八ヶ岳登山で山の自然に魅了される 甲斐鐵太郎
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├私と上高地-その5-格好いい山男は女に好かれる 山で英雄になった男の物語 執筆 甲斐鐵太郎
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├私と上高地-その4-槍ヶ岳・穂高岳登山と上高地 執筆 甲斐鐵太郎
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├私と上高地-その3-上高地帝国ホテルと大正池界隈を歩く 執筆 甲斐鐵太郎
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├私と上高地-その2-登山とロマンチズムそして感傷主義 執筆 甲斐鐵太郎
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├上高地讃歌-その1-私の上高地そして小梨平 執筆 甲斐鐵太郎
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├標高3000mに集まった人々 人それぞれの人生が垣間見える 執筆 甲斐鐵太郎
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├メルヘン 森と泉がおりなす世界 青木湖 執筆 甲斐鐵太郎
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├北アルプス 廃道寸前の伊東新道を湯俣温泉に下った1979年夏 執筆 甲斐鐵太郎
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├湯俣温泉「晴嵐荘」の都はるみとオーディオ 執筆 甲斐鐵太郎
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├6月24日、松本市波田のスイカを買う 温室栽培の大玉スイカです
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├信州をぶらぶらする 青い麦畑に風の姿がみえた (麦畑は風が吹くとその姿を麦の穂が写し取った)
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├松本駅前の昭和横丁でホルモンを食べる 松本山雅FCファンがやかましい店だ
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├槍ヶ岳 霧ヶ峰からの遠望(高原の秋の始まりのころ)
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├北アルプス連峰の鹿島槍ヶ岳について 文章 夏森龍之介
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├霧ヶ峰高原と日本アルプスの遠望 甲斐鐵太郞
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├東京から松本行きのバスの執着地はホテルと酒場であった 甲斐鐵太郎
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├上高地に似ている高原川の上流部 甲斐鐵太郎
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├6月26日、カッコーが八島湿原で啼けば夏です 旅行家 甲斐鐵太郎
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├信州の秋をめぐる 諏訪から佐久にでる 千曲川沿いを走る
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├奥飛騨の新芽の背景は北アルプス穂高連峰の山肌であった
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├山みちで老いたキツネにであう 旅行家 甲斐鐵太郎
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├諏訪生まれの小口太郎と琵琶湖周航の歌 甲斐鐵太郎
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├いつかの夏 夢の径 甲斐鐵太郎
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├クマも鳥も虫も神である国の寒山の森の暮らし 甲斐鐵太郞 (ナチュラリストのエマソンとソローと、日本の自然のなかの田渕義雄さん)
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├旅のエッセー集 その1 旅行家 甲斐鐵太郎
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├旅のエッセー集 その2 旅行家 甲斐鐵太郎
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[資料]
春の高山祭2024 からくり奉納(15日・午後2時〜) (youtube.com)
1,009 回視聴 22 時間前にライブ配信。春の高山祭の屋台組「三番叟」「龍神台」「石橋台」の3台によるからくり奉納を生配信します。伝統を受け継ぐ綱方たちが人形に息を吹き込み見事な早変わりや華麗な演舞を披露します。
春の高山祭り 甲斐鐵太郎
甲府盆地 釈迦堂の桜と桃とレンギョウの百花繚乱 甲斐鐵太郎
八ヶ岳の森と春を恋う叫び 甲斐鐵太郎
槍ヶ岳 安曇野の空に浮かぶ 甲斐鐵太郎
キツネ - Wikipedia
車山高原レア・メモリーが語る諏訪地方の狐の生態 (rarememory.com)
冬の高原でキツネに出会う 甲斐鐵太郎
旅行家甲斐鐵太郎の自然博物誌 (keiryou-keisoku.co.jp)
人は空の抜けた霧ヶ峰高原で少し気持ちよくなるが同時に虚ろさを感じる 執筆 甲斐鉄太郎
冬の霧ヶ峰高原で群れる日本鹿(ニホンジカ) - livedoor Blog(ブログ)
新美南吉と新美南吉記念館 執筆 旅行家 甲斐鐵太郞
晩秋の霧ヶ峰高原 霧に包まれたカラ松の高原道路を走る 執筆 甲斐鐵太郎
人は空の抜けた霧ヶ峰高原で少し気持ちよくなるが同時に虚ろさを感じる
軽四駆比較 スズキ・エブリイとスズキ・キャリイ 甲斐鐵太郎
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