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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)

私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その38-
ソ連への輸出機器とロシアに長期滞在しての現地指導・調整



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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その38-
ソ連への輸出機器とロシアに長期滞在しての現地指導・調整

ソ連への輸出機器とロシアに長期滞在しての現地指導・調整

トレーニング生の受け入れ

 ドキュメントの提出が終わり輸出機器の製作が始まった1988(昭和63)年に、完成図書のチェックと実操業の実習のためにモスクワの事務局とノボリペツク製鉄所からの人達がやって来た。度重なる打ち合わせの結果、私は、少なくともモスクワではソ連人とロシア人を区別して対応すべきだとの結論を得ていた。即ち、共産党独裁体制での生粋の官僚がソ連人、ルールと権限を重んずる人達で、これに反して大らかで人懐こいのがロシア人である。

 しかし彼らが日本にやってきて東京(川鉄)や鎌倉(三菱電機)でミーティングを始めた頃には、次第にソ連人の影が薄くなり、「かたち」が消えていった。モスクワでの打ち合わせでは、時間が無いので昼食にサンドイッチを出して食べながら進めようとしても、別室に持ちかえって食べていた程の人達が、日本では全く居なくなっていた。皆本来のロシア人に還っていったのである。

 もう一つ驚いたのは秋葉原の電気店、有楽町界隈の薬局の情報に詳しく、買い物に専念する姿であった。買うためのお金を浮かすために、秋葉原から宿舎のある品川まで歩いて帰ったと聞いてまた驚いた。

 当時禁酒令が出ていたソ連と違って、街角の何処でもお酒が買えることを体得して、「これは大変なことだ、もうすぐ日本人は皆アル中になる」と心配してくれた友もいた。

ノボリペツク製鉄所へ

 1990(平成2)年、現地の建設も進み、調整・試運転の状態に入ったので、監督者として現地に出かけることになった。ノボリペツク製鉄所は、モスクワの南に直線で約300km、列車では約500kmのノボリペツク州にある、ソ連の最新鋭の製鉄所だった。我らの宿舎は製鉄所が運営しているホテルであり、工場から約30km離れた小高い丘の上、市の中心を少し外れたところにあった。送迎バスで工場に通い、昼食はこのホテルに帰って頂き、少しの昼寝の後再び工場へ。土・日曜は休みで残業なし。

 時間は充分あると聞いていたので、この機会に読むべしと、『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』『白痴』を持参した。また『未成年』は後から送ってもらった。

 予期していなかったが、職場で知り合った人達からもらったこれらの原書と見比べて読むこととなり、喜びも倍増であったし、またこれによって友達もできた。

現地の計測屋

 私の受け持ちはオートメーションで、中身は計測・コンピューター・シーケンサーであったが、技術レベルは至って高く、先に送った資料をよく読んでくれていたので楽であった。はかり屋はオートメーションとは別集団でいたが、この国の「ゴースト」(ГOCT)なる国家規格は完全なメートル法が取り入れられており、何も問題はなかった。

 ヤードの中に「タカトクワゴンチキ」(簡易ハウス)なる個室があり、何かあれば彼らが訪ねて来た。冷蔵庫の中にはビール、ウオツカとつまみを常備しておき、3時過ぎてからやって来る友には一応誘うことを礼儀としていた。

 朝は調整作業の見回り・状況チェック、順調であれば明日以降の作業説明と指導、実際の問題は殆んど出てこなかった。あるのは露訳の拙さ、その前に我々が書いた英文の拙さにも責任がある(我々がソ連に提出したドキュメントはページの左半分は我々が書いた英語、右半分にはそれを訳したロシア語が書いてある)。この種の問題はお互いにすぐ判るので、顔を見合わせて笑うほどであった。

 モスクワのミーティング以来気にしていた板の温度制御については、念のため三菱のコンピューターに入れた制御計算式を別に用意した可搬形計算機に入れ、検証用の接触式板温計も秘かに持ち込んでいたが、全くその心配はなかった。この2つの秘密兵器は帰る時、計測のリーダーにプレゼントし、お互い喜んだことであった。

高徳コック長

 ホテルでは3食ともいただけるが、似たものあり・不味いものありで日本人には評判が悪く、滞在半年で体重が2~3kg減った人も出た。そこで、私が行く少し前から夕食は自分達で作ろうということになり、一室を借りて炊事を始めていた。始めは日本から持ち込んだものが主であったが、私が行った頃からは現地調達のものも次第に増えていった。

 私は面白半分に、若者を伴って土曜日に自由市場で肉・野菜を買い、いろいろな料理を食卓に並べた。料理は全くの思いつき、かつ自己流である。こんなことを繰り返してやっていると、誰言うことなく私が「コック長」と呼ばれるようになった。こうなれば私の態度も大きくなり、自然と周囲の協力者に指示を出すようになった。日本から来た新人はまず人参・ジャガイモの皮剥きである。手つきを見て料理を命じる。焼き加減、煮加減が安心して任せられると立派な助手である。魚釣が趣味で魚捌きに秀でた人もいた。しかし本当に台所では何もできない人もいるもので、その人には“砥ぎ屋さん”になってもらった。

楽しく作って、楽しく食べる

 ただし、自由市場故にいつも決まったものが買える訳ではない。運よく飛び切り上等な牛肉が買える日もあれば、鳥しかない、またはアヒルだけの日もある。牛肉は斧で切り落としてもらうし、鳥・アヒルは一羽丸々である。

 従って土曜日の仕入れによってその週のメニューが決まる。これは一切私の頭の中に置き、公表はしなかった。「今日は何かなー」と思うことが食欲を呼ぶと考えたからである。自由市場故に何も出ていないこともあるので、ホテルの賄い方のデップリめのおばさんに近づいて仲良くしていただき、肉・魚・コニャック・シャンパンを分けてもらったり、食料品店ではお金持ちそうなご婦人が買う高価な缶詰を真似して買ったりもした。いずれも美味しいものを調達するノウハウである。

 コック長にはこんな苦労もあったのであるが、皆で作って楽しく食べられたのが何よりであった。何しろ仕事は4時に終わり全員バスで帰ってきて、時間はたっぷりあるのだから、料理は毎日の楽しいイベントでもあった。

 ついでながら主なメインディッシュを紹介しておくと、ステーキ、焼肉、親子丼、カレー、ハヤシライス、ちらし寿司、炊き込みご飯にそば付、……。喜ばれるコツは料理の組み合わせと、昨日と今日のバリエーションにあることも覚えた。当然のことながら、皆さんの体重が増え始めた。

(つづく)

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その38-
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私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版)
神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その1-はじめに
西宮高校から神戸大学の計測工学科に進み川崎製鉄千葉製鉄所で計量の仕事を始める

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その2-我が家と計量の係わり
祖父の高徳純教が「はかり屋」を始め社名に「メートル」を用いた気概に敬服

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その3-「異人さん」と「神戸メートル協会」
母は大阪の船場の商家の生まれで、“こいさん”(末娘)として育った

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その4- 父(忠夫)のはかり屋「高徳衡機(株)」
裕福な青年期を過ごした父は祖父が始めた「はかり屋」の跡を継いだ

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その5- 私の誕生は1936(昭和11)年9月である
私が誕生したのは神戸の御影という阪急とJRに挟まれた静かな住宅街であった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その6- 1943(昭和18)年、私は魚崎小学校に入学した
疎開列車は家族揃って城崎温泉に湯治に行ったときと同じ流線形の蒸気機関車

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その7- 1高徳家の由来
酒醸造や両替商を営みかつ庄屋でもあったのが我がご先祖、姫路藩ご用達となり苗字帯刀を許されたらしい

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その8- 疎開地・丹波での小学生時代
疎開先で雑音と音声の途切れる玉音放送をラジオ屋の前で聞き後で戦争に負けたのだと教えられた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その9- 田畑を耕し薪採りをした中学時代
高校1年生になる1952年までの10年疎開地に居着くことに 1949年に湯川博士のノーベル物理学賞

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その10- 父のはかり屋への復帰
私は京都府立福知山高校入学後の3学期に編入試験を受けて兵庫県立西宮高校に転校した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その11- 西宮での高校生活
2・3年生の担任は英語教師である「英語は丸覚えなり」と指導され、これに従って何とか様になった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12- 文学への傾倒
浪人時代お金はない。参考書代が小説代に化けていった。父は「芳忠には小説を読ませるな」と。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その12-2- 牧師と教会の人々
私を育ててくださった他大学の関西学院小林信雄氏ほかの偉い先生方

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その13- 楽しき神戸大学での学生生活
ボート部では艇が走る水音とスピード感、漕ぎ疲れ艇庫に戻る時の疲労感と達成感に浸る

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その14- 国立大初の神戸大学「計測工学科」に進む
J・トムソン(英国)の言葉「科学は計測に始まる」に感激、「科」とは禾(か)(稲・麦などの穀物の総称)を斗(容量の単位)るに学をつけて科学

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その15- 時代の要求で生まれた「計測工学科」の名が消えた
神戸大学「計測工学科」は「システム工学科」に、今では「情報知能工学科」になっている

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その16- 3年夏休みの工場実習は川鉄千葉工場へ
「石を投げれば37(昭和37年入社)に当たる」学卒大量採用の年度に川鉄に採用決定

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その17- 千葉製鉄所管理部熱管理課に
「千葉製鉄所管理部熱管理課に勤務を命ず」という辞令をもらい、「特急つばめ」で東京に向う

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その18- 川崎製鉄(株)最初の職場は計量整備掛
「始めは現場で人と計測機器に接するのが一番の近道だよ。これ程恵まれた仕事の与えられ方はない」

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その19- 消耗型熱電対の導入
計量整備掛に就いて1年も経っただろうか、次は消耗型熱電対が入ってきた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その20- ドイツ人と計測技術の導入
端子台に及ぶまでドイツ独特の技術レベルの高さに敬服したものであった。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その21- 仲間達との交わり
何の為に仕事をしているのか」と問われ、私は「金を儲ける為でない、隣人の為だ」と答えた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その22- 電子計算機による制御
千葉でのプロセス用コンピューターとの初めての出会いは忘れることができない

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その23- 計量士の誕生
口頭試問は何を答えたのか全く記憶にない。試験官に「お父さんはお元気ですか」と聞かれびっくり。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その24- 日本学術振興会製鋼第19委員会と計測部会
学術振興会19委員会と共同研究会計測部会で鉄鋼各社の計測担当者が調査・研究の成果を発表していた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その25- 計量管理委員会に若手技師としてデビュー
製品の歩留まり・品質・生産性・環境保全・安全等の計量・計測は確実か成果を報告をして指示を仰ぐ

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その26- 計測器をあえて設備しなくてすませる
「ハス切り」になるという原因は装置がさずかに横に動くとだったのでラインと装置のセンターを取り確かな据付をして対応

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その27- QCサークルができて活動がはじまった
計量中に排出ゲートからわずかな漏れが原因の誤計量が重役まで聞こえてしまった。それが失敗が教えた知恵になった。

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その28- 西宮工場にて掛長を拝命し計量と熱管理を担当する
「作業長や班長さんの査定は、あなた方が言っている事を信用しては行わない。あなた方の部下の仕事振りや日々の表情をみてあなた方の査定を行う」

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その29- 表面傷検査装置が開発課題であった
始めての海外出張 ヨーロッパの連中が何を考えているかが知たかったし、またお互いに議論もしたかった

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その30- 欧州鉄鋼業の表面形状検査を調査
ドイツでは鉄鋼業を訪ね、パリではゼンジミア社の人に会い、ロンドンでは形状検出機の発明者のDr.ピアソンに面会する

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その31- 煙を建屋外に出さない厳しい制約
製鋼工場から発生する多量の煙や粉塵を建屋内にて吸い取ってしまわなければならない

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その32- 私は父に似てきたらしい
私は父に似てきたらしく、近所の人は「よく似てきなはった」と言う

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その33- 私の習い事 謡と仕舞い
観世能楽堂で開かれた上田観正会では地頭を宗家に『隅田川』の渡し守を演ずるワキを謡わせていただいた

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その34- 父は論文を遺書として引退
父は「計量器工場の経営はいかにあるべきか」を書き上げ、それを遺書として引退した

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その35-
オーストラリアの製鉄所BHP社への技術援助

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その36-
1986(昭和61)年からはカラーラインのプラント輸出でソ連と日本を行き来する

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神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その37-
モスクワでの仕事とモスクワの町並み、そしてドストエフスキー博物館

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