官僚制度と計量の世界(2)
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官僚制度と計量の世界(2) 執筆 夏森龍之介
(見出し)
官僚制度と計量の世界(2) 執筆 夏森龍之介
(本文)
秋津修の前任課長は高山峰雄、後に内閣法制局長官
内閣法制局が設置されている中央合同庁舎第4号館。東京都千代田区霞が関3丁目1番1号。
計量課に二度目の着任となった高山峰雄計量課長
秋津修計量課長の前任は高山峰雄であった。異例のことだが一年の任期で高山から秋津に計量課長が引き継がれた。高山峰雄計量課長は計量課には二度目の着任である。係員か係長のころに計量課の職員として勤務し、そのころに工業技術院計量研究所の技術職員と仕事を離れて山登りで交流があった。後に計量研究所第四部長になる大泉勝男、同じように研究科長になる保科正幸などである。
工技院の技術職員との交流によって計量法とその目的や性格の概略を知り、大所からの判断ができていた高山峰雄への周囲の信頼は厚かった。
着任早々の高山峰雄計量課長に私はインタビューをして文章を起こした。私は28歳、高山課長は40歳。テープレコーダーを二台回して私は次のようなことを語った。「ギリシアのロードス島でインタビューしたガルブレイスの話が録音されていなかったことが著書に書かれたおりました」と。このころ経済の世界ではジョン・ケネス・ガルブレイスが1977年書いた著書「The Age of Uncertainty」が邦訳版では『不確実性の時代』として、1978年に出版され半年で50万部売れていた。この著書ではUncertaintyを不確実性と訳していた。計量計測の用語としてのUncertaintyは不確かさ、と直訳されて普及してしまった。国土交通省の国土地理院などの関係者はUncertaintyを確かさ、と表現して講演していた。
不確実性の時代と計量課長へのインタビュー
ガルブレイスはルーズベルト、トルーマン、ケネディ、ジョンソンの各政権に仕えた。1961年、就任まもないケネディ大統領は、ガルブレイスを駐インド大使に任命し1963年まで赴任した。ハーバード大学の終身教授として1934年から1975年に教鞭をとり、多くの本を書き、多くの論文を残した。ガルブレイスの経済書を1951年11月から1953年1月まで国防長官として朝鮮戦争を指揮したロバート・アバークロンビー・ラヴェットは「財界は小説と見なしていた」と述べる。だから私も紐解いたのであり、邦訳版はよく売れた。
ガルブレイスはアメリカ経済学会の会長を務めた。ガルブレイスの経済学は数学的な表現ではなく、日常の言葉で語り、政府による市場介入の支持者であったから大まかにはケインズ派の経済学者といえる。
マネタリストで新自由主義経済を唱えるフリードマンが、ガルブレイスの経済学への対抗軸になった。ミルトン・フリードマンが1980年に書いた『選択の自由』( Free to Choose)もまたベストセラーとなった。フリードマンの経済政策は1980年代にイギリス・サッチャー政権、アメリカ・レーガン政権で実施され、日本でも中曽根政権の「公社民営化」から小泉政権による「聖域なき構造改革」にいたるまで、さまざまな政策に反映されている。
『選択の自由』のフリードマンが、『不確実性の時代』に書かれている政府の市場介入理論に優越して、国際社会を席巻することになる。サブプライムローンに端を発するリーマン・ショックがあり、2008年の世界同時株安は、フリードマンの理論の破綻として捉えられる。
私が文章にした高山峰雄計量課長の言葉に意義を呈さなかったのは鷹揚さによるものであり、同時に私が試されていたのだと考えている。計量研究所の研究課長になっていた保科正幸は高山さんのお家は「ざーます母さん」なのだと語っていた。
運輸事務次官だった高山峰雄計量課長の父
高山峰雄計量課長は日比谷高校、東京大学法学部と進んでいる。父親は岡山県岡山市出身。1928年、京都帝国大学法学部卒業。1949年6月、運輸事務次官。1952年1月、退官。退職後は羽田空港への交通機関とターミナル駅のホテル業の運営に経営者として従事。
高山峰雄計量課長の通商産業省入省後の経歴の主なものは次のとおり。
1963年 東京大学法学部卒業。通商産業省入省。同期に、牧野力、高島章、川口融(福岡通商産業局長、原子力発電環境整備機構副理事長)、麻生渡、横堀恵一など。経済企画庁調整局調整課長補佐。外務省プレトリア総領事館領事(1972年から1975年)。1977年7月1日、通商産業省通商政策局通商調査課長。1978年7月1日、通商産業省機械情報産業局計量課長。1979年9月1日、内閣法制局第四部参事官。1984年6月19日、通商産業省貿易局為替金融課長。1986年6月10日、通商産業省産業政策局調査課長。1986年10月1日、内閣法制局総務主幹。1988年1月8日、内閣法制局第四部長。1989年8月18日、内閣法制局第二部長。1996年1月16日、内閣法制局第一部長。1999年8月31日、内閣法制次長。2002年8月8日、内閣法制局長官。2004年8月31日、依願免官。新エネルギー財団会長。2007年6月、王子製紙取締役。2012年10月、王子ホールディングス取締役。2015年6月、王子ホールディングス取締役退任。
高山峰雄が計量課長に着任した当時の日本はオイルショックで夏の冷房の抑制が叫ばれていた。高山はこれはアフリカで勤務していたときの服装ですと薄茶色の半そで姿を見せた。背が高く美男な高山の姿が皆には眩しかった。
アフリカでの勤務地はプレトリア。南アフリカ共和国ハウテン州北西部のツワネ市都市圏にある。同国の大統領官邸を始めとする行政府が立地し、対外的には当地が南アフリカ共和国の首都(行政首都)と認識されている。2000年までは、単独の都市としての権限を有していた。アフリカ有数の世界都市であり、アフリカ最大の経済大国、南アフリカ共和国の政治的な中心都市の一つであり、各国の大使館も多くが当地区に建てられているためアフリカでも最重要な都市である。
通産次官にするか、別の形で処遇するか、優秀な者の扱いの一方法としての内閣法制局長官
経済産業省あるいは国は高山峰雄の処遇に思いをめぐらした。次官候補になっている高山に別の道を用意したと考えてよい、それが内閣法制局への道である。内閣法制局長官の待遇は、特別職の職員の給与に関する法律で副大臣に並ぶ。内閣が組織されるごとに総理大臣、閣僚と一緒に記念撮影をする。社会的には大臣と同等とみなされる。長官は首班指名による組閣があるたびに依願免官を申し出て再度任命される。
内閣法制局の所掌事務
内閣法制局の所掌事務は次のとおりである。
1、審査事務
閣議に附される法律案、政令案および条約案を審査し、これに意見を附し、および所要の修正を加えて、内閣に上申すること。
これが内閣法制局の主たる事務であり、他の法律と抵触する部分はないか、文章の体裁が法令表記の慣例から逸脱していないかなどについて審査する。実務上は、各部に所属する内閣法制局参事官が、審査を担当する省庁の課長補佐クラスと協議しつつ法律案等を審査・修正していく。
2、立案事務
法律案および政令案を立案し内閣に上申すること。
内閣法制局自身が案を立案した例はかつては、文官制度に関する勅令の起案を行うなどかなりの例があった。
戦後も特にこれを所管する機関がない場合(例えば、ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件の廃止に関する法律)、各省の起案に係るものを技術的な見地から一本の法令に統合する場合(例えば、奄美群島の復帰に伴う法令の適用の暫定措置等に関する法律)、政府各省庁の所管に属さない事項(例えば、会計検査院法)について当該関係機関の一応の草案に基づいて起案する場合があったが、現在では内閣官房がこのような事務を担当することが通例となり、憲法調査会施行令を最後に、内閣法制局の設置法施行令を除き、内閣法制局の起案は行われていない。
なお、内閣法制局の起案上申については、部長はもちろん、長官自ら主査となって行うものがある。一般の行政機関ではおよそ考えられないことである。
3、意見事務
法律問題に関し内閣ならびに内閣総理大臣および各省大臣に対し意見を述べること。
内閣および各府省庁からの意見照会に関する回答を行うことがあるほか、国会において関係大臣の間で意見に相違があるとき閣内統一見解を求められた際に内閣法制局長官が答弁する例が多い。また国会法第74条による質問主意書に対する回答で法制に関するものを含む場合は内閣法制局が関与する。
3、調査事務
内外および国際法制ならびにその運用に関する調査研究を行うこと。
その他法制一般に関すること
内閣法制局の組織
内閣法制局の組織はつぎのとおり。
1、部組織 内閣
2,内部組織
第一部。第二部。第三部。第四部。長官総務室。
高山峰雄は上の組織のうち第四部、第二部、第一部の部長を経て長官になっている。
秋津修計量課長のその後の官職と香川大学教授就任
香川大学工学部の庁舎、香川県高松市林町2217-20。秋津修は四国通産局長などを経て香川大学工学部教授を務めている。
1964年4月に通商産業省入省した秋津修は高山峰雄の後任として1979年7月1日、通産省機械情報局計量課長に着任。1985年昭和63年6月、四国通商産業局長。1989年平成元年10月、産業基盤整備基金理事。1999年平成11年4月、香川大学教授。2004年(平成16年)4月1日から2005年(平成17年3月31)香川大学理事。このとき入省から41年経過、63歳(2005年)。二年間在任の計量課長から異動したのが1981年、それから4年後に四国通商産業局長になる。出先の通産局の局長の職は退任前にポストであることが多い。このとき秋津修は45歳。定年にはまだ早い。産業基盤整備基金理事は通産省からの出向。香川大学教授に就任したのが59歳。定年しての大学教授就任だから通産省退職後の第二の職場。大学には少なくとも4年間在職している。
香川大学での所属は工学部信頼性情報システム工学科。その教授であり、科学技術文明史、科学技術政策、ベンチャー企業などが研究分野。再起が可能な起業のあり方(2002年)、決定論的カオスの事業への応用(2001年)、システムの安全性と信頼性、などの研究に従事。
秋津修の同期の一人が事務次官になり、東大卒でなかった者が政治家になり通商産業大臣になったことを前に書いた。秋津と同じように九州通産局長で退職した者もいる。秋津の出身地は聞いていない。香川県高松市だとすれば郷里の国立大学教授として職を終え、その後に郷里で余生を楽しんでいることになる。しかしこの高松市の高校卒業者の一人が東京大学法学部を卒業した同期入省でであり、この人は経済産業事務次官になっている。事実を確かめられないが人の運命を予測させる。
国立大学法人香川大学職員就業規則は、第22条に職員の定年は満65歳とすると規定している。国立大学の教授の定年の項目をみると、第9条に部局長の任期については、教育研究評議会の議を経て学長が定める。 第10条に大学教員の定年は、60歳に達した日から65歳に達する日以後における最初の3月31日までの間で定年及び退職日を選択できる「選択定年制度」となっている。
香川大学の概要
香川大学の概要は次のとおり。
1、学部
教育学部。法学部。経済学部。医学部。工学部(2018年3月募集停止)。農学部。創造工学部(2018年4月開設)。
2、大学院、専門職大学院
教育学研究科。法学研究科。経済学研究科。医学系研究科。工学研究科。農学研究科。地域マネジメント研究科。創発科学研究科(令和4年度開設)。愛媛大学大学院との連合農学研究科。
地方国立大法科大学院の司法試験低迷
地方国立大学の法科大学院が司法試験合格率で低迷している。香川大学では法学研究科がそれに相当する。国立大学法人への予算削減が続いている。校庭と校舎など大学全体を覆う雰囲気は寒々しい。この大学の事務局長には文部省からの出向者が就任する。黒須茂が国立小山高等専門学校の校長に就任した科学技術庁から出向の専横ぶりを文章にしている。香川大学がそうであるかどうかわ分からない。この大学の理事には文部省からの者に加えて通商産業省の関係者の秋津修がなっている。
国立大学の授業料が月額1200円時代
名古屋大学工学部 名古屋大学工学部は7つの学科があり1学年に700人から900人の学生がいる。
国立大学の授業料が月額800円か1200円か、2400円の時代があり、これは昭和40年代まで維持されていた。現代は文部科学省令による国立大学の標準額では、1年間の授業料は535,800円。4年間在学すると授業料の総額は2,143,200円になる。
親の時代の国立大学学費と現代の差は大きい
国立大学の工学部で修士課程を終えるまでの6年間の授業料を工面したのが私の兄弟であった。数学科から工学への転科をであり、名古屋大学のそこでは修士課程ではアルバイトなどをする時間的余裕はない。下宿代、授業料、ほか全てを親が賄うために四苦八苦のようすであった。この男が国立大学工学部生であったころの月額授業料は1200円。途中で2400円に値上げされるときに集団で納入を忌避していたら、親が大学からの通知を受けて支払っていたのであった。そのころの授業料、学生寮など大学生の生活費と比べると娘の学費の高さに驚くのであった。
私大医学部卒業には一億円
国立大学なら医学部は入学できれば非常にお得である。私立大学の学費が高い医学部を卒業しようとすると一億円の出費になる。私大医学生に同等額を融資する金融組織がある。資格があれば確実に収入が挙がるのは医者だけだと森永卓郎が話す。本人か自治医科大学合格100%の模試結果があったのに滑って、東京大学経済学部に行き、専売公社に総合職として入社した。森永卓郎のその後の活躍はよく知られ、年収300万円時代を予言した。
名古屋大学工学部
名古屋大学工学部は「基礎科目を重視し、現在の科学・技術の水準を理解し、創意改善しながら工学を応用する能力のある技術者・研究者の養成」という学部教育の基本方針のもと、7つの学科があり、1学年に700人から900人の学生がいる。化学生命工学科、物理工学科、マテリアル工学科、電気電子情報工学科、機械・航空宇宙工学科、エネルギー理工学科、環境土木・建築学科。
工学部の学生は主に東山キャンパスに通う。
ノーベル賞受賞者の多くが旧帝国大学出身者であるのは、ノーベル賞級の研究ができる環境が整えられているからである。
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├官僚制度と計量の世界(5) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(4) 執筆 夏森龍之介
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├官僚制度と計量の世界(2) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(1) 執筆 夏森龍之介
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