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社会の統計と計量計測の統計 【分類12】 web情報総合サイト 音楽の項目 音楽とオーディオ 目次 音楽・オーディオの文化・評論(芥川賞作家の五味康祐氏) 五味康祐氏の音楽とオーディオ評論(エッセー) 楽曲(音楽)とユーチューブ(動画)目次 楽曲(音楽)とユーチューブ(動画)-その内容 1- YAMAHAコンサート用のPAスピーカー S0108T 執筆 甲斐鐵太郎 |
日本計量新報一面記事です。 日本計量新報 電子版の全紙面2018年11月のIDとPW (日本計量新報は紙面をインターネットで閲覧することができます。 新聞と同じ形式のPDF ファイルです。webに掲載の全紙面です。どうぞご利用ください) (IDとPWは計量新報購読者に限り電子メールで月ごとにお知らせしております) IDは5138 PWはbhc5pet3 日本計量新報社 編集部 hiroyuki-takamatsu@keiryou-keisoku.co.jp 東京都江東区亀戸7丁目62-16-803 質量の単位であるキログラム(kg)の定義変更と関連する諸事項 2018-11-16-various-matters-related-to-the-definition-change-of-kilogram-which-is-unit-mass-measurement-news-site- 国際度量衡総会のキログラムの定義変更と産業技術総合研究所の発表資料など 2018-11-17-announcement-materials-national-institute-advanced-industrial-science-and-technology-change-definition-kg- 2018年10月28日号(3214)1面 2018年10月21日号(3213)1面 2018年度関東甲信越地区計量団体連絡協議会開く10月12日、栃木県宇都宮市のホテルニューイタヤで 2018年10月14日号(3212)1面 2018年10月07日号(3211)1面 2018年09月23日号(3210)1面 2018年09月16日号(3209)1面 2018年09月09日号(3208)1面 2018年09月02日号(3207)1面 2018年08月26日号(3206)1面 2018年08月12日号(3205)1面 2018年08月05日号(3204)1面 2018年07月29日号(3203)1面 2018年07月22日号(3202)1面 2018年07月15日号(3201)1面 2018年07月01号(3200)1面 |
私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その35- オーストラリアの製鉄所BHP社への技術援助 オーストラリアの製鉄所BHP社への技術援助 厚板形状制御技術を海外へ売る 1984(昭和59)年、関西を離れ、東京本社のエンジニアリング事業部に異動した(いずれも川崎製鉄(株)、現・JFEアドバンテック(株))。 スラブといわれる連続鋳造設備から切り出される矩形状の極厚の鋼材を普通に圧延していくと、頭部と尾端部に製品にならない異形状ができる。この頭部と尾端部を切り落とし、予定した定尺の板を得ようとすると、製品歩留まりが悪くなる。もし圧延し終えた厚板形状が、頭部と尾端部で長さ方向に対して直角であれば望むところとなる。 圧延中にスラブの幅、長さと温度を繰り返し測定しながら圧延方向と圧延圧力を変えていく計測と制御ソフトが一体となった「MAS圧延」という技術が、我が社で開発された。この技術を海外に売るのがエンジニアリング事業部での私の初仕事となった。 オーストラリアの製鉄所 BHP社は、鉄鉱石や石炭の膨大な資源を持ち、これを世界に売っているオーストラリア最大の会社であり、川崎製鉄はそこのお客でもあった。またシドニー近くのポートケンブラに製鉄所を持ち、その中の厚板工場が私たちのお客であった。我々はまずドキュメントを送り読んでもらい、先方の計算機のソフト改造、センサーの取り付けができあがったところで、実運転を行っている日本の製鉄所で実習してもらう事にした。 私にとっては初めての海外業務であったので、まずは先方に礼を尽くすべきだと考え、大使館にビザの申請を行った際には、この国の歴史、政治、社会などの資料をもらって帰り、勉強をした。 ところがやって来た客人に会ってみると、同業の製鉄屋という気安さも手伝ってか直ぐに打ち解けることができた。先方も日本のことを良く知っていて、お互いに礼儀を欠くこともなく、スムーズな打ち合わせとなった。彼らも英国の伝統を受け継ぐ紳士達であった。 無事に終了 オーストラリア人特有のアクセントには少し悩まされたが、“ゆっくりと”の連発で無事切り抜けた。現場にいる日本人技師の英語を読み、我々日本人の英語がいかに解り難いものであるかが理解できたのが何よりの収穫であった。 お互いの交流を通じて、我々がはじめに出したドキュメントの不備がわかり、これらを修正し再提出した。その2~3週後、先方のマネージャーから感謝状としてのレターをいただいて、嬉しかった。このような経験から、幼い頃から抱いていた人付き合いにおける劣等感からようやく解放された思いを感じていた。 この厚板の技術援助の話はフィンランドへと続いたが、残念なことに私にはソ連の仕事が待っていた。 (つづく) 私の履歴書 高徳芳忠(たかとく・よしただ)(日本計量新報デジタル版) 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録 -その35- オーストラリアの製鉄所BHP社への技術援助 |