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官僚制度と計量の世界(13)
Bureaucracy and Metrology-13-
昭和24年生れ 計量教習所修了後に千葉県(計量検定所)に奉職した男の公務員人生-その3-
Life of a metrological civil servant Part 3
目次 官僚制度と計量の世界 執筆 夏森龍之介
千葉県の計量行政の変遷 小さな計量史(2)
大先輩、斎藤勝夫氏の思い出
官僚制度と計量の世界(13) 執筆 夏森龍之介
(計量計測データバンク編集部)
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官僚制度と計量の世界(13) 執筆 夏森龍之介
官僚制度と計量の世界(13) 執筆 夏森龍之介
(見出し)
官僚制度と計量の世界(13) 執筆 夏森龍之介
(本文)
昭和24年生れ 計量教習所修了後に千葉県(計量検定所)に奉職した男の公務員人生-その3-
ラビスタ釧路川から見た釧路市中心市街地。市内総生産ではサービス業、卸売・小売業、不動産業や公共サービスなどの第三次産業が6割以上を占める。製造業も北海道の中では特徴があり、製紙・パルプが市内製造品出荷額の35パーセント。2017年現在、日本で唯一石炭を坑内掘りで採掘している。
計量法にかかる通達集の作成に携わる 新計量法の施行にともない従来の通達行政が廃止されことへの対応
工業試験場から1994年(平成6年)に鈴木義衛氏が所長に着任
1994年(平成6年)に、計量出身者ではない鈴木義衛氏が工業試験場から異動して着任、1997年(平成9年)まで4年間の所長在任期間であった。新計量法の執行に尽力した。
翌年の1995年(平成7年)に組織変更がされ、これまで業務関係の筆頭課が検定第一課であったが新設の企画啓発課が筆頭課に位置付けられた。ほかにもも検査第一課と検査第二課を統合し検査課に戻されたが、実質は6課制が維持された。この年から私は、企画啓発課に異動となり1996年(平成8年)までの2年間、1997年(平成9年)の1年間は検定第一課で質量標準管理マニュアル(素案)作りを担当し、翌年1998年(平成10年)から1999(平成11)年の2年間、再度企画啓発課に異動した。
計量法にかかる通達集の作成に携わる
この鈴木所長になって私に特命的な事務が割り当てられた。所長会議や全国行政会議への随行、関東甲信越地区の連絡会議、東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の4都県ブロック会議等々の担当などほとんどの会合に出席していた
。
1996年(平成8年)から1997年(平成9年)にかけて新計量法の施行にともない従来の通達行政が廃止されることから、都道府県計量行政協議会の要請で通達集作成検討委員会が組織され、通産省計量行政室の山本さん、東京都の印南さん、小林さん、神奈川県の小堀さん、埼玉県の藤田さん、横浜市の田中さん、千葉市の三浦さん、千葉県の私、吉田が委員で「通達集」の作成に携わることになった。
引き続き地区世話人の東京都が中心となり、新計量法の施行後数年の運用状況と地方分権一括法の準備が進むなか、計量に関する基準等については通達等の形で全国共通の判断が確保されていたわけですから、これを整理して一つは省令に格上げできるか、一つは告示として大臣名で整理するか、一つはガイドラインとして整理するかを検討した。
この時期に各県から参集された担当者が、東京都は、元指導課長の印南武雄氏、小林武志氏他、埼玉県から藤田益司氏、金井一榮氏他、神奈川県から元所長の山口明光氏、西川茂氏、加藤節夫氏他、千葉県から江澤昌夫氏と私が定期的に作業を進め、終了後の反省会での飲み会も貴重な意見交換の場として楽しいひと時であった。
この時期は、計量法の法令解釈等に関する見直し検討が全国的な規模で組織された法令解釈検討委員会で協議され、その結論を確定版として全国都道府県、特定市の共通認識事項として共有された。
これらの作業の結果は、後の「計量法関係法令の解釈運用について」や「ガイドライン集」となっている。
指定製造事業者審査における計量法令とISO規格の整合で苦労
1996年(平成8年)は、千葉県で第1号の指定製造事業者が11月27日付けで(株)エルクエスト(当時は、ウエダ製作所の社名)が、血圧計第一類(電気式)で指定された。
ウエダ製作所から相談を受けたのが2年前で検査員は、研修第1期の塚本さんと私、第2期の米谷さんと江澤さんの4人で担当した。
指定製造事業者制度の指定検査は、検査機関である日本品質保証機構(JQA)等の民間機関の審査によるか都道府県が直接おこなう指定検査かの2通りである。申請者からすれば費用が格安な都道府県を選択するようであった。
当該事業者とは、申請までの準備期間約1年間以上にわたり血圧計の製造工程や検査方法の実態等、数回の視察をおこなった。指定検査は、省令に基づく20項目の品質管理の方法書の作成と実績の記録等が必須。われわれ検査員もこの20項目の内容について共通認識を図らなければならないから毎週1回ペースで時間外の勉強会を開いていた。
苦労したのは、国際的な品質システムのISO9001などの民間での普及が推進しはじめていたので、計量法の品質管理の方法とISOの品質システムとの比較についてすり合わせることであった。事業者との質疑でこのことがでてくるたびに困った。
事業者側が、ISO規格でよいのではないかといえば私たちは、法令的解釈から省令に規定された通りに構築することを説明した。結果、初期の頃は、折衷的な表現になってしまったり、無理やり表現を拡大的に解釈したり、また事業者マニュアルを尊重するあまり省令上の1項目についていえば、社内規格のいろいろな場所を見つけなければならない煩雑な作業の繰り返しであった。
1997年(平成9年)3月にガスメーターで(株)竹中製作所が指定製造事業者に指定
千葉県としてもこれまでに経験のない検査だったので事業者に対し本検査の前にJQAによる事前の模擬審査(1日コース)を受け、かつ私たち検査員の同行を依頼したところ受け入れられた。
模擬審査の当日は、JQAから2名の審査員がきた。一人は小林好夫氏、もう一人は片桐拓朗氏。二人の審査風景を目の当たりにして感じたことは、私たちにこのようなやり取りができるのだろうかということであった。
的確な質問と事業者の品質マニュアル以下の関連規程類の検索の早さ、質疑や解説等の対応についても多弁ではなく簡潔なやり取りであった。私としては、この経験も今後の指定検査を実行するうえで貴重な手本になった。
1997年(平成9年)3月には、ガスメーターで(株)竹中製作所が指定を受けた。その後、2004年(平成16年)年10に血圧計第1類でフクダ電子(株)が指定された。2005年(平成17年)年月にガスメーターで京葉計器(株)が指定され、4社が指定製造事業者になった。
私としては、これらの指定製造事業者の指定検査の全てに携われたことは計量人生の貴重な一頁である。
1994年(平成6年)からのこの時期が私の計量行政人生で一番忙しく難しい時期であった。しかし見方を変えれば人脈という一番の財産を得ることができた時期でもあった。
関東北5県の計量検定所職員が集まる「清遊会」は楽しみであった
1996年(平成8年)の計量界では、トレーサビリティ制度(JCSS制度)の認定事業者の質量計で島津製作所が認定第1号であった。
1997年(平成9年)には、関東近県の計量検定所の行事の一つが任務を終えた。関東北5県(埼玉県、栃木県、千葉県、茨城県、群馬県)の「清遊会」という1年に1回輪番制で計量検定所職員が集まる会が閉じた。
この会は大変歴史があり1955(昭和30)年以前から始まったようで近県における計量行政の情報交換を通じて共通的な認識の確認や検定所職員の親睦を図ることを趣旨として発足した。会は、当番県の観光地を巡りゆっくり温泉につかり、夜は大宴会。参加人数は少ない時で50人から多い時で100人近くであった。
若い頃は、この会のおかげで行政会議等に1人で出席しても他県の所長さん、課長さんから職員の方々と既に知り合いになっていました。それであまり緊張することなく会議に参加できた。
このような会も時代とともに、各県の職員が増加するなかで任務を終えたと考えられる。半世紀近く続いていたが、5県の合意のもと、この年の埼玉県秩父の開催をもって終了した。心情的には非常に残念なことであった。
江波戸俊朗氏、小野俊一氏の所長時代
1998年(平成10年)に所長として、江波戸俊朗氏が着任した。江波戸所長は、計量出身者であるが1994年(平成6年)から1997年(平成9年)までの3年間、本庁主務課の保安課に異動してののことであった。
1999年(平成11年)の所長は小野俊一氏で、2002年(平成14年)までの3年間の勤務であった。
1999年、計量法の都道府県事務が自治事務に区分される
1993年(平成5年)に新計量法が施行されたが、1995年(平成7年)には地方分権推進法が公布され、1999(平成11)年地方分権一括法が公布されるなか、計量法の都道府県事務が自治事務に区分された。
これにより検定業務から定期検査業務すべての手数料を都道府県・特定市の条例で定めなければならなくなった。この作業に関しては、1998年(平成10年)、1999年(平成11年)を準備期間として都道府県の計量会議が頻繁におこなわれた。私は1998年(平成10年)に企画啓発課に異動していたので、この条例案作成を担当し、1カ月のうち3日か4日は、東京都計量検定所や経済産業省へ足を運んでいた。
手数料を都道府県・特定市の条例で定めることになってこれを担当
条例の作成については文書課(現政策法務課)へも相談に行った。計量検定所単独では進められないので主務課の保安課担当主幹にも協力を仰いだ。
国から手数料の算出根拠に関する資料の配布を受けて参考にした。千葉県の手数料条例の構成要素の一つは人件費で、業務の所要時間に職員の平均単価を乗じた数値、一つは設備・備品等に要した費用、一つは設備・備品の減価償却費、これらに必要な人員数や実績数等を勘案してすべての検定・検査業務についてデータとして算出した。
その結果、おおむね国の手数料額に近似したものであったことで煩雑さを避けるために基本的には国の手数料額とほぼ同額とした金額で千葉県手数料条例に追加し2000年(平成12年)4月施行となった。
手数料の値上げの条例改正の見直しを3年ごとに検討したが人件費単価が十数年以上大きなアップがなく変わらないことで当初の構成要素では現行手数料額を上回る根拠が得られないことが多い。2008年(平成20年)に庶務担当者が作成した構成要素の計算方法を合理的な形に変更したのでこの資料に基づき計算できるようになっている。
1999年(平成11年)年の計量界では、斉藤勝夫元所長(故人)が春の叙勲で「勲5等旭日双光章」を受章した。私はこの年、計量記念日式典で深谷隆司通商産業大臣より地方公務員永年勤続30年感謝状(翌年から廃止)を受けた最後の公務員になった。
2000年(平成12年)、国の省庁再編で通商産業省が経済産業省に改称
2000年(平成12年)は、国の省庁再編で通商産業省が経済産業省に改称し、計量行政室は産業技術環境局知的基盤課の所属となった。この年は地方分権元年でもある。
千葉県では、質量標準管理マニュアルに基づく「高精度恒温高湿室」が設置した。
計量教習所が計量研修センターに移行
平成13年は、2001年であり21世紀の始めの年。計量界では、計量教習所が32年間の国の組織から発展的に閉校し、独立行政法人産業技術総合研究所の計量研修センターとなった。
2002年(平成14年)は、小野所長の任期最後の年で千葉県の人口が600万人を超えた。
私はといえば、地方分権関連担当を終えた2000年(平成12年)から2003年(平成15年)までの4年間検定第二課で穏やかに仕事をした。
2001年、ダイオキシンなどへの対応の特定計量証明事業制度が施行
計量界では、2001年(平成13年)にはダイオキシン類の極めて微量のものの計量証明をおこなうために、特定計量証明事業制度が施行された。
斉藤博之氏の所長着任
2003年(平成15年)の所長は斉藤博之氏で、1年の勤務でした。斎藤所長は1967年(昭和42年)から1980年(昭和55年)の14年間と検査第二課長で2年間、次長で2年間を勤め所長となった。
この時期の職員数は、指定製造事業者制度の活用や計量職員の業務研修等の必置規制の廃止など業務の効率化、合理化の進むなか、1998年(平成10年)ころから30人を切りこの年には25名になっていた。
青木茂章氏の所長時代
2004年(平成16年)の所長は青木茂章氏で、1年間の勤務であった。青木所長は、若い頃、主務課保安課で計量検定所を担当されていたこともあって計量の理解者であった。
私は、5年ぶりに企画啓発課に戻った。振り返ってみると所長に計量の経験者でない人が付いた時に企画啓発課にいたことになる。
千葉県の指定製造事業者については、前述したがフクダ電子(株)と京葉計器(株)の2社が指定製造事業者の指定を受け計4社となり、以降、現在まで指定製造事業者申請はない。
この制度は、事後の立入検査を繰り返しおこないます。3年ごとに全20項目を実施する全般検査で2日間、通常年は、重点検査で1日それも2人1組の2班で対応し延べ4人だから業務量は結構な負担となっている。その間、事業者の製造工程の変更や新しい型式承認器種を追加・変更した時の必要に応じた臨時検査もある。
計量人生の後半は、退職するまでのほとんどを指定製造事業者の立入検査で班長をやっていた。
佐久間則夫氏所長時代、2005年(平成17年)ころ
2005年(平成17年)の所長は佐久間則夫氏で、2年間の勤務であった。佐久間所長は、計量出身者ではなく、県産業支援技術研究所から着任した。
総務課は2000年(平成12年)から課長が事務次長に昇格されて廃止されており庶務担当1名のみとなっていた。課は、業務のみで企画啓発課が3名、検定第1課と検定第2課が一つになり検定課となり6名、検査課が4名、指導課が4名、総勢22名になっていた。
この年あたりから人事に変化を感じていた。それは異動の転入者が技術職員ではなく一般事務職員に変わったことである。
このことは、業務課の配置から見た時に即戦力が期待できなくなったことと一般事務職員の場合、通常の異動期間が4年前後のため計量研修センターへ行くことを希望しないことがあり、一般計量士の養成が閉ざされた感を受けた。
転入者への業務研修は、所内のOJTによるか、研修センターを活用するにしても1カ月の短期計量教習への派遣に留まっている。
関東甲信越地区の計量行政会議のこと
私は、2004年(平成16年)から企画啓発課に配置されていましたので所長に同行し、会議にはよく出席していた。関東甲信越地区の計量行政会議について触れる。
全国の計量行政機関の組織として都道府県計量行政協議会があり、全国を東北北海道地区、関東甲信越地区、東海北陸地区、近畿地区、中国地区、四国地区、九州地区の7つに分けた中の関東甲信越計量行政協議会に所属している。
協議会は東京都、神奈川県、埼玉県、茨城県、栃木県、群馬県、長野県、山梨県、新潟県、千葉県の10都県で構成。東京都が都道府県計量行政協議会の全国世話人なので地区世話人は、神奈川県が当協議会の創設から1999年(平成11年)まで担当していたが地方分権化にともない会役員の負担軽減の趣旨から神奈川県、埼玉県、千葉県の3県で世話人、副世話人、監事の3役を2年毎の持ち回り制とした。
また以前の地区計量行政協議会の年間の会議は総会1回、所長会議2回、実務担当者会議3回と活発な活動をしていたが各都県とも職員の減少や予算の削減等で会議の見直しをせざるを得ない状況であった。
実際は、1998年(平成10年)から世話人埼玉県、副世話人千葉県、監事神奈川県で輪番制がスタートした。
会議の開催数の変更については、2006年(平成18年)の千葉県が地区世話人であったときに新潟県開催の所長会議の時だった。翌年から総会1回、担当者会議2回の現行の形になった。
技術基準へのJIS引用の省令改正
2005年(平成17年)の計量界は、新計量法が施行後10年を経過していたから2年後を見据えての計量制度の見直しが計量行政審議会に諮問された。実際は、法律改正までには至らかった。
特定計量器検定検査規則の省令改正があり省令の技術基準へのJISの引用をするという初年度になった。この年は、抵抗体温計、ガラス製体温計、電気式アネロイド型血圧計、非自動はかり、タクシーメーター、水道メーター、温水メーターの7器種であった。
私はこの年から、計量士国家試験委員に、先輩計量士金井一榮氏の推薦があり任命された。この担当区分は、「計量器概論及び質量の計量」であったが、一番大変な試験問題案の作成は主に産業技術総合研究所の研究員や業界専門家があたり、計量検定所からの委員としては、東京都の小林雄志さんと二人で第3者的視点から参加していた。何とかトラブルもなく退職まで務めた。
菊地忠義氏の所長時代の2007(平成19)年ころ
2006年(平成18年)は、検定所の組織変更があり、企画啓発課と指導課が企画指導課となり6名、検定課6名と検査課4名の3課体制に変更され、職員数は20名となった。
2007年(平成19年)の所長は菊地忠義氏であり1年間の勤務であった。菊地所長は、計量出身者でなく県産業支援技術研究所から着任。正確には、1994年(平成6年)、1995年(平成7年)の2カ年検査課長で勤務したから2回目の計量行政でした。
千葉県柏市が中核市になり計量法上の特定市の業務を移管
千葉県柏市が2008年(平成20年)度から地方自治法に基づく中核市に移行することが決まっていた。中核市になると計量法上の特定市の業務が移管されることから、柏市より山本常正氏という職員1名の派遣を受け入れた。1年間であったが、はかりの定期検査と量目検査、計量に関する各種立入検査、一部の検定業務まで短期間で習得、翌年は教習センターも修了して、柏市で計量業務に従事することになった。
米谷賢徳氏が2008(平成20)年の所長に、所長勤務は2年
2008年(平成20年)の所長は、米谷賢徳氏で2年間の勤務であった。米谷所長は、私とほぼ同時期の1970年(昭和45年)に計量検定所に勤務することになった。米谷所長の計量検定所勤務期間は、1970年(昭和45年)から1998年(平成10年)までの29年間と所長期間の2年間の31年で、9年間を本庁の保安課(主務課)で勤務した。私は米谷所長と新計量法の施行時期や指定製造事業者制度の対応などを企画啓発課(1995年(平成7年)新設)で一緒に取り組んだ。
千葉県計量検定所体制は2課制度に
この年2008年(平成20年)の計量法関係では、法律改正は見送られ政省令の改正に留まった。
千葉県計量検定所組織は変更があり、庶務機能と企画指導課が総務企画課となり課長は事務次長の兼務となり6名、検定課6名と検査課4名の3課となり、18名の職員数となった。
2013年(平成25年)は、総務企画課と検定・検査課の2課制で所長以下16名体制となる。
2010年(平成22年)3月に米谷所長と共に私は定年退職を迎えた。
千葉県計量協会が悲願の一般社団法人に2012年(平成22年)6月に登録を受けることができたのは、米谷所長が着任の2年間をこれを目標に尽力した結果であった。
役所退職後の第2の人生があるのは皆さまに支えられてのもの
定年後の第2の人生を考えたとき、スタートの計量教習所から計量行政の道に進み41年間を無事に務められたことは、家族を含め検定所の同僚、県庁関係、特定市関係、近都県の計量関係職員、産総研の法定計量関係、研修所関係の皆さまのおかげである。退職後は中堅スーパーマーケットの適管事業所勤務計量士として働いている。
適正計量実施体制確保へ計量研修センターを活用してほしい
現状の各計量行政機関においては、専門的な訓練(計量研修センター)の修了者が減少している状況にあります。それぞれの地方公共団体における計量行政組織が、OJT(自前の人材育成)によって職員の計量行政の知識と専門技術を修得させるという訓練は、経験者の退職等により厳しい状況になっている。
計量法の実質上の目的である適正な計量の実施の確保をするための体制を維持するために、計量研修センターを大いに活用するのが良いのではないか。
大先輩、斎藤勝夫氏の思い出
2007年(平成19年)は、千葉県の計量行政を積極的に構築し推進に尽力した大先輩の斎藤勝夫元所長が81歳の人生に幕を下ろした。斎藤氏は1948年(昭和23年)に後の計量検定所となる前組織の商工課に配置され、当時の小林義雄係長に度量衡教習(現計量教習)へ度量衡係から派遣され、第1期の教習生となり計量の第一歩を踏み出した。
その後は、計量界の諸先輩の皆さまが御存じのように1963年(昭和38年)に第2代目の計量検定所長になり、1966年(昭和41年)までに千葉県の計量行政の基礎を確立した。
齋藤勝夫氏によって現在の千葉県内の計量業界(計量団体)の組織化が図られた。計量器の製造・修理事業者の千葉県計量工業会、自重計の修理事業者の千葉県自重計部会、一般計量証明事業者の千葉県計量証明事業協会、流通関係の計量器使用事業者の千葉県計量管理大型店協議会、生産事業所の千葉県計量管理協議会、計量器の販売事業者で組織された千葉県計量協会がそれぞれの創立に関わった。
現在の千葉県計量協会は、2010年(平成22年)から一般社団法人に登録して一本化が図られています。1970年(昭和45年)から1978年(昭和53年)まで2回目の所長として戻る。
その後、中小企業関係、東葛飾元支庁長を経て県を退職し、流山市元助役、千葉県計量協会元会長・計量士会元会長と生涯を公務員と計量に捧げた人生あった。
年代的には、親子の開きがあり上司と部下の関係ですから仕事に関しては100%手本とした。大変面倒見がよかった人であった。1970年(昭和45年)のことでした療養中であった父の突然の死亡の知らせを受けた時に斎藤元所長が、すぐに飛行機の手配と公用車の使用を認め、羽田空港まで送ってくれる措置をとってくださった。
官僚制度と計量の世界(13) 執筆 夏森龍之介
2024-09-23-life-of-a-metrological-civil-servant-part-3-
├目次 官僚制度と計量の世界 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(14) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(13) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(12) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(11) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(10) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(9) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(8) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(7) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(6) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(5) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(4) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(3) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(2) 執筆 夏森龍之介
├官僚制度と計量の世界(1) 執筆 夏森龍之介
├
├
[以下は覚書]
通産官僚と大分県知事
地方公務員齋藤勝男
地方公務員吉田としお
製鉄会社の計量技術者二人
夜学から大学へ 石川島播磨の男
工業技術院から変わった研究組織はトップを公募として民間の大企業経営者を据えるようになった。
ほか
[資料]国立研究開発法人産業技術総合研究所:役員および執行体制 (aist.go.jp)
https://www.aist.go.jp/aist_j/information/organization/director/director_main.html
├
├指揮幕僚課程 CGS | 戦車兵のブログ (ameblo.jp)
├埼玉県計量協会会報2019年7月号
http://www.saikeikyou.or.jp/custom_contents/cms/linkfile/kyoukaihou-13.pdf
特別寄稿 放射線測定に関する資料を渉猟 日本計量新報 編集部 横田 俊英1)放射線被害を低く見積もらず、放射線測定器の特定計量器化で警鐘を
石島徹前事務局長退任の挨拶
平成25年から6年間、皆様方には大変お世話になりました。令和元年5月31日に退職いたしました。今後の埼玉県計量協会の発展と皆様のご多幸をご祈念いたします。
├(古賀茂明と前川喜平と国家公務員試験)日本の有名企業の採用内容を国家公務員一般職(旧Ⅱ種)試験が映し出す
├私の履歴書/高徳芳忠 (keiryou-keisoku.co.jp)
├日本の国家公務員の機構を旧日本軍の将校機構(士官学校、兵学校、陸軍大学、海軍大学)と対比する
├計量計測データバンク 私の履歴書
├計量法抵触事例を公表していなかった柳津町 | 水道メーター | 検定有効期限が8年 (seikeitohoku.com)
├エリート職業の鉄板!官僚の結婚相手になるためのポイントを3つ紹介!|結婚相談所パートナーエージェント【成婚率No.1】 (p-a.jp)
├品質工学の考え方 計量士 阿知波正之
├行政の継続性の確保と地方計量行政の在り方
├【計量士の資格認定コース】概略図(PDF形式:62KB)PDFファイル(経済産業省)
├
├計量士の国家試験 (計量士 (METI/経済産業省))
├
├計量士になる 計量士国家試験合格のための学習図書と講習会特集
├計量士資格認定の申請について
├数学と物理はできないという自己暗示から抜け出せば計量士国家試験は突破できる
├教習・講習・研修の概要説明及び費用:NMIJ (aist.go.jp)
├人の言葉の基(もとい)は教養である
├産総研:採用情報 (aist.go.jp)
2024/2/19 2025年卒修士卒研究職の募集を開始しました。【終了しました】
2024/2/20 2025年卒総合職の募集を開始しました。【終了しました】
採用情報|採用|産総研 (aist.go.jp)
├田中舘愛橘の志賀潔と中村清二への教え方
├品質工学や計量管理の技術を言葉で解き明かすことを課題とする(計量計測データバンク編集部)
├計量標準120周年:NMIJ (aist.go.jp)
├戦後70年~地図と写真で辿る日本と名古屋の空襲 - Yahoo!マップ
├田中館愛橘博士と航空の歴史
├現代日本の自衛隊とその階級と出世事情
├長島安治 大正15年生れ 昭和18年陸軍予科士官学校入校 陸士とは別に航空士官学校が創設された、ここに入校。
https://www.noandt.com/static/summary/kakigara/documents/libertyjustice_201808.pdf
├解説 国家公務員の中途採用試験の現状(計量計測データバンク編集部)
├私の履歴書 安斎正一 目次
├古賀茂明、前川喜平の国家公務員としての経歴
├私の履歴書 高徳芳忠 神戸大学計測工学科をでて製鉄会社で計量管理の仕事をした男の記録(日本計量新報デジタル版)
├古賀茂明 - Wikipedia
├私の履歴書 齊藤勝夫(元千葉県計量検定所長、元流山市助役)(日本計量新報デジタル版)
├前川喜平 - Wikipedia
├私の履歴書 蓑輪善藏 目次 大正14年に生まれ、37年間を計量国家公務員として働いた男の記録
├古賀茂明、前川喜平の国家公務員としての経歴
├私の履歴書/吉田俊夫 (keiryou-keisoku.co.jp)
├横田英史の読書コーナー (eis-japan.com)
├
電力改革については、発送電分離が有力な選択肢という立場をとる。古賀茂明のベストセラー。
日本中枢の崩壊 古賀茂明、講談社、p.386、¥1680 2011.9.15
現役官僚が民主党政権の国家公務員制度改革などを批判したことで話題を呼んだ、古賀茂明のベストセラー。雑誌論文や国会証言などで政権批判を行ったため経済産業省大臣官房付という閑職に追いやられた。その後も現役官僚の肩書きで政権批判を続けていたが、9月22日付で辞表を提出したようだ。本書は“現役官僚”が徹底的に政権を批判している点で見るべきところはあるものの、内容自体は他の民主党政権批判や官僚批判と大きく異なってる訳ではない。政官界の問題について頭を整理するときに役立つといったところが、本書の評価として妥当なところだろう。
筆者が力点を入れて論じるのが国家公務員制度改革。自民党政権時に渡辺喜美・行政改革担当大臣がどのように改正させたか、成立までの紆余曲折、成立後の官僚の抵抗などを詳述している。自民党への失望が大きかっただけに、民主党にいる政権交代に筆者は期待する。期待はすぐに失望に変わる。期待が高かっただけ、その反動は大きかったといえる。
さすがに現役官僚だけに、官僚機構についての記述は詳細だ。天下りの仕組み、官僚が駆使する騙しのテクニック、大企業との癒着など、自らの体験を踏まえ紹介する。
「経済学に人間の心を持ち込みたい」という経済学者・宇沢弘文が自らの人生哲学を開陳した書。現在の貧困を解決するキーワードとしての社会的共通資本を紹介するとともに、ミルトン・フリードマン流の市場原理主義を徹底的に批判している。リベラルな論客としての宇沢の考え方がよく分かる。本書は2003年に刊行された「経済学と人間の心」に、二つの未公表講演録と池上彰の解説を追加した新装版である。池上の解説がコンパクトでよく出来ている。
第1部「市場原理主義の末路」は経済倶楽部での2本の講演で構成する。2009年の「社会的資本と市場原理」と2010年の「平成大恐慌~パックス・アメリカーナの崩壊の始まりか」である。質疑応答も収録しており、新自由主義や市場原理主義に対する宇沢のスタンスだけではなく、人柄が伝わってくる。もし東日本大震災や原子力発電所の事故後に宇沢が講演していれば、どういった内容になったのか興味のあるところだ。第2部以降は、思想や歴史観、官僚観、教育観を宇沢自らが語るエッセイである。右傾化する日本への危惧、60年代のアメリカ、学の場の再生、地球環境問題への視座という構成をとる。
計量計測トレーサビリティのデータベース(サブタイトル 日本の計量計測とトレーサビリティ)
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計量計測トレーサビリティのデータベース(計量計測トレーサビリティ辞書)
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